2016年3月15日(火)


昨日2016年3月14日(月)までのコメントに追記をしたいと思います。
主に以下の12日間のコメントに追記をする形になります。


2016年3月2日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160302.html

2016年3月3日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160303.html

2016年3月4日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160304.html

2016年3月5日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160305.html

2016年3月6日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160306.html

2016年3月7日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160307.html

2016年3月9日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160309.html

2016年3月10日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160310.html

2016年3月11日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160311.html

2016年3月12日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160312.html

2016年3月13日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160313.html

2016年3月14日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160314.html

 


今日も昨日までのコメントの続きになります。
昨日の【設例A】や、国債と土地や建物は根源的に位置付けが異なる、という点に一言だけ追記します。
昨日、”国債には立地条件はありませんが、土地や建物には立地条件と呼ばれるものがあるのです。”と書きました。
商取引を行うという文脈において、会社が土地や建物を取得するとなりますと、
立地条件と呼ばれるものが重要だ、と言われるかと思います。
また、個人として人が土地や建物を取得する場合でも、その人に合った地理的・気候的環境があるわけです。
国債とは異なり、土地や建物については、金額以外の要素(立地条件や各個人の境遇等)が含まれるため、
万人共通の利益というのは説明ができないものなのだ、と昨日は書いたわけです。
それで、土地と建物については時価という捉え方・時価を決めることが、国債に比べはるかに難しい、と書いたわけです。
今日はこの点について一言追記します。
昨日は主に立地条件という言葉で自分が伝えたいことを表現したわけですが、
買い手がある土地や建物を取得したいと思う時、売り手が土地や建物は売らないといった場合は、
買い手は煎じ詰めれば交渉の場では購入価格を引き上げるという方法しか取れないわけです。
買い手がどうしてもその土地や建物を取得したいと考えている時は、売り手が売却に応じてくれるまで購入価格を引き上げる、
という方法しか買い手は取れないわけです。
このように書きますと、「当たり前ではないか。」と思われるでしょうか、それとも、
「いや土地や建物に関しては値段交渉など常識的にしないのではないか。」と思われるでしょうか。
理論上は、土地や建物であっても値段交渉は行う、と考えるのだと思います。
ただ、時価という考え方自体が理論上はないため、時価についての議論をする時は、
実務上・現実世界の話も一定度考慮に入れないといけないように思うわけです。
というのは、土地や建物の売り手がいわゆる不動産業者の場合は、値段交渉は行わない・売り手が値段交渉に応じない、
ということになるように思うからです。
市中のいわゆる不動産業者は、土地や建物に関する「PKO(Price Keeping Organizer)」(取引価格維持業者)
という位置付け・役割になっていると思います。
市中の不動産業者というのは、土地や建物に関して国家政策的な役割を実務の場で果たしているのだと思います。
つまり、買い手は、不動産業者が所有している土地や建物については、価格交渉の余地はなく、
買い手はまさに決められた価格(すなわち時価)でしか買えない(時価よりも高く買うことはないが安く買うこともできない)、
ということになると思います。
また、不動産業者も、買い手が買いたいと言ってきた場合は時価で所有している土地や建物を買い手に売らなければならない、
ということになると思います。
これも「当たり前ではないか。」と思われるかもしれませんが、実はここが今日のポイントになるのですが、
売り手が不動産業者ではなく一私人・一私企業である場合は、
たとえ時価であっても所有している土地や建物を買い手に売る必要は全くないわけです。
要するに、土地や建物の所有者が、不動産業者なのかそれとも一私人・一私企業なのかで、根本的に話が変わってくるわけです。
これは単に、土地や建物の所有者が不動産業者の場合は、土地や建物は当然売り物(for sale)であり遊休の状態にあるのに対し、
土地や建物の所有者が一私人・一私企業である場合は、土地や建物は決して売り物ではなく稼動・使用・活用されている状態にある、
という「目的物の現在の状態」の違いに由来するものではなく、
「目的物の売買において価格を交渉の手段とするのか否か」の違いに由来するように思うわけです。

 


土地や建物の所有者が一私人・一私企業である場合、たとえ所有している土地や建物が完全に遊休の状態にあるのだとしても、
申し出を行った買い手にその土地や建物を時価で売らなければならない、などということは決してないわけです。
結局のところ、それは「所有権の移転を行う意思が売り手にある場合にのみ」土地や建物の売買が成立する、ということでしょう。
そしてその「「所有権の移転を行う意思」を売り手に起こさせる手段が、価格であるわけです。
それで最初の方に、”買い手がどうしてもその土地や建物を取得したいと考えている時は、
売り手が売却に応じてくれるまで購入価格を引き上げる、という方法しか買い手は取れない”、と書いたわけです。
土地や建物の所有者が不動産業者ではなく一私人・一私企業である場合は、買い手は価格で交渉を行うしかないわけです。
また逆に、土地や建物の所有者が不動産業者ではなく一私人・一私企業である場合は、
買い手は時価よりも低い価格で買うこともできる、ということも状況(買い手と売り手の関係)によってはあるわけです。
より一般的な言い方をすれば、買い手と売り手との間の相対取引の場合は時価とは無関係の価格で土地や建物を売買できますが、
不動産業者との間の取引(不動産業者は仲介業者に過ぎないという文脈ではこれは結局相対取引とは呼ばないと思います)の場合は、
時価でしか土地や建物の売買を行えない、ということになると思います。
それで、土地や建物の所有者が一私人・一私企業である場合は、買い手は価格で売り手と交渉を行うことになるわけですが、
ここでは話の簡単のため、目的物は土地であり、売り手が所有している土地は現在遊休の状態にあるとしましょう。
売り手が例えば時価での売却に応じないとなりますと、それは時価での売却では不満がある、ということを意味するわけです。
そして、時価以上の価格であれば売却に応じる、ということを意味するわけです。
他の言い方をすれば、売り手としては、その土地には時価以上の価値があると判断している、ということを意味するわけです。
さらに他の言い方をすれば、仮に売り手が、その土地には時価未満の価値しかないと判断しているならば、
売り手は既にその土地を売却してしまっているはずなのです。
この辺り、「土地の価値とは時価のことではないのか?」と思われる人もいるかもしれませんが、
実はそれは理論の流れとしては逆なのです。
時価とは国が決めたある価格です。
土地には、所有者が判断している価値、というのがあるわけです。
所有者が判断している土地の価値、それが土地の価値です。
その土地に関し、買い手が、所有者が判断している価値を上回る購入価格を申し出た時、売買が成立するわけです。
ですので、本来的には、土地も含め資産には時価と呼ばれる価格などはない、と考えなければならないわけです。
不動産業者が時価で土地を買い取ってくれるから時価が土地の価値だ、と考えるのは、
極端に言えば本末転倒なところがあるわけです。
以上のような理論の流れを踏まえますと、買い手は売り手が土地の売却に合意してくれるまで価格を上げる、
という交渉を行っていくことになるわけです。

 


それで、交渉の結果、売り手はある価格で土地の売却に合意をしたとしましょう。
この時の価格というのは、当然時価以上の価格であるわけです。
では、合意に達したこの価格と時価との差額は寄付でしょうか。
売り手は時価での売却には応じなかった、だから、買い手は価格を上げた、正確に言えば、上げざるを得なかったわけです。
そして、土地の売却の対価として、売り手はその合意に達した金額を受け取ることにしたわけです。
売り手にとっても、取引を通じ買い手から寄付を受けた、などという考えは微塵もないわけです。
売り手はただ単に、自分が納得がいく・合意ができる価格を買い手が申し出た、だから、土地の売却に合意をしたわけです。
これを寄付だなどというのなら、全ての資産の売買や対価の支払いには寄付の側面が出てきてしまうのではないでしょうか。
対価の支払いは全く寄付ではなく、対価の金額というのは、買い手と売り手とが合意をした価格というだけのことのはずです。
買い手と売り手がある資産の売買を行い、買い手は資産の取得の対価として売り手に100円支払い、
売り手は資産の譲渡の対価として買い手から100円受け取りました。
この時、買い手が売り手に支払ったこの100円は相手方に対する寄付でしょうか。
寄付ではないでしょう。
寄付ではなく、資産取得の対価であるはずです。
また、買い手が売り手に支払ったこの100円のうち、90円は資産取得の対価だが、10円は相手方に対する寄付だ、
などという考え方を行うことはできるでしょうか。
資産には決められた時価がある、という考え方を所与のこととすると、
そのような支払った金額が分割されるかのようになってしまうわけです。
買い手と売り手は、時価とは無関係に、ある価格での資産の譲渡に合意をしたわけです。
少なくとも買い手と売り手の立場から見ると、
買い手が売り手に支払ったこの100円のうち、90円は資産取得の対価だが、10円は相手方に対する寄付だ、
という考えは全くないわけです。
買い手と売り手の立場からは、買い手が売り手に支払ったこの100円の全額が資産取得の対価だ、というふうにしか見えないのです。
ただ、何と言いますか、法人税法上の解釈としては、税務当局からは、
「お互いの交渉の経緯はよく分かりましたが、
法人税法としては『資産は時価で取得したものです。以上。』という線引きをするしかないのです。」
という見解を述べるしかないのだと思います。
税務当局としては、買い手と売り手との交渉やその経緯については、法人税法上は度外視するしかない、
という見解になるのだと思います。
買い手と売り手との交渉やその経緯を考慮し出すと、この場合は寄付の側面がありこの場合は寄付の側面は弱い、といった具合に、
明確な線引きができなくなるのだろうと思います。
ですので、理論的にはやはり本末転倒のところがあるのですが、
現実には「土地の価値とは時価のことだ。」と解釈する方が実務上の取引の際には問題が生じないことになると思います。