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今日も昨日までのコメントの続きになります。
まず、昨日コメントできなかった仕訳についてのコメントから書きます。
昨日、【設例@】の仕訳として、次の仕訳を書いたかと思います。
参謀試案の仕訳(法人税法の規定を参考にしたイメージ上の仕訳)
(寄付金) 100円 / (資産) 50円
(現金) 60円
(譲渡益) 10円
(差額負債調整勘定) 100円
上記の仕訳は、時価について考える上での私個人の試案に過ぎず、まず説明をしないと全く意味不明な仕訳になっていると思います。
ここでは、法人税法上は資産には予め決められた時価がある、ということを前提に考えているわけです。
法人税法上は「資産には予め決められた時価がある」ということは、この場合、
「資産を取得した人は金額にして時価の寄付を受けたもの」ということです。
「資産を取得した人は金額にして時価の寄付を受けたもの」ということを取引の前提にして考えると、
資産の譲渡を行った人は時価(ここでは100円)の金額の寄付を行った、という捉え方が先に来るわけです。
ですからまず最初に、借方に100円の寄付金勘定が来るわけです。
そして、引き渡した資産の帳簿価額は50円ですので、50円の資産勘定が貸方に来ます。
また、資産を引き渡した見返りとして現金を60円受け取っていますので、60円の現金勘定が借方に来ます。
そして、引き渡した資産勘定と見返りとして受け取った現金勘定の差額が譲渡益となるわけです。
このままでは貸借に100円の差額が生じますので、差額100円は差額負債調整勘定で調整しています。
上記仕訳では、取引を「寄付の部分」と「資産の譲渡の部分」とに分けているわけです。
「この取引は資産の譲渡人にとって寄付なのだ」、という捉え方が一番最初に来ているわけです。
相手方に金額にして100円の寄付を行ったということをまず最初に認識することにより、
資産の譲渡の部分は通常の資産の譲渡に準じた会計処理になる、と考えているわけです。
「この取引は資産の譲渡人にとって寄付なのだ」という会計処理(仕訳に記入する)をまず行うことで、
資産から時価という縛りをなくしている(その結果、通常の資産の譲渡と同じ扱いをできるようになる)、
というふうに考えています。
この、「この取引は資産の譲渡人にとって寄付なのだ」という会計処理(仕訳に記入する)をまず行うことで、
資産から時価という縛りをなくす、という考え方は、
現行の規定上も会計理論上も、全く行わないことかと思います。
誰にとっても前代未聞と言いますか、そのような考え方などないのではないか、と誰もが思うだろうと思います。
ここはまさに私個人の試案という部分です。
ただ、試案ついでにこの場合の買い手の仕訳を書きますと、次のようになるかと思います。
買い手の仕訳
(受取寄付金) 100円
(資産) 60円
/ (現金) 60円
(差額資産調整勘定) 100円
上記の仕訳も、また意味不明だな、と思われると思います。
ここでも、「まず買い手は金額にして100円の寄付を受けたのだ。」というところから仕訳の記入を始めています。
これにより、資産の譲渡から時価の縛りがなくなります。
したがって、買い手は現金60円を支払って資産を取得します。
このままですと貸借に100円の差額が生じますので、現行の法人税法の規定から勘定科目名だけを拝借して、
差額100円を差額資産調整勘定で調整しました。
ただ、受取寄付金は益金であるのに対し、差額資産調整勘定はここでは損金不算入、と考えています。
すなわち、買い手には益金100円のみが認識される、ということになります。
この試案の場合、現行の法人税法の規定に比べ、益金は60円多くなり、また、資産の取得原価は40円小さくなります。
この結果、買い手が資産を再譲渡した場合、時価云々を度外視すれば、取得原価が小さくなった分、
譲渡による益金は相対的に40円多くなる、ということになると思います。
この辺り、私の試案はあまりにも奇抜なため、現行の法人税法の規定との比較はあまり意味はないかもしれません。
あくまで試案ということで、読んでいただければと思います。
一見して意味不明な仕訳だと思われると思いますが、上記仕訳についての説明付けは以上のようになります。
では、今日は次の設例を考えてみましょう。
【設例A】
時価100円の資産を、代金110円を受け取って相手方に譲渡した。資産の帳簿価額は50円である。
まず、現行の法人税法上の仕訳は次のようになります。
買い手の仕訳
(資産) 100円 / (現金) 110円
(寄付金) 10円
売り手の仕訳
(現金) 110円 / (資産) 50円
(譲渡益) 60円
買い手には、法人税法上特段の益金は認識されません。
寄付金10円は、法人税法上は損金不算入(課税所得額に影響を与えない)というだけです。
売り手には、法人税法上60円の益金が認識されます。
上記仕訳を見てみますと、買い手、売り手、それぞれにとっての「法人税法上の影響」を考えてみますと、
資産には時価がない場合と同じ状況になっているかと思います。
買い手にとっては、資産の取得の見返りとして支払う金額が資産の時価を超えてれば、資産には時価がないことと同じであり、
売り手にとっては、資産の譲渡の見返りとして受け取る金額が資産の帳簿価額を超えてれば、資産には時価がないことと同じである、
ということに結果的にはなっています。
ただ、細かいこと(その後の取引のことまで)を言いますと、
買い手が資産の取得の見返りとして支払う金額が資産の時価を超えている場合、
資産に時価がある場合は取得原価はやはり時価である一方、資産に時価がない場合は取得原価は支払った資産の対価の金額です。
このことは、買い手が資産を再譲渡する場合、譲渡益(益金)の金額に影響してきます。
譲渡価額が同じなら、取得原価が小さい方が譲渡益の金額は当然大きくなります。
その意味では、やはり資産に時価があるかないかでは、買い手が支払う金額が多かろうと、法人税法上の影響はあることになります。
また、上記仕訳だけを見ると、寄付金10円は、企業会計上(会社法上)は費用になるのだろう、と思われるかもしれませんが、
企業会計上(会社法上)は上記の仕訳そのものを切らないわけです。
企業会計上(会社法上)は、資産の取得原価は110円になります。
その意味では、資産に時価がありますと、法人税法上と企業会計上(会社法上)とで差異が必然的に生じるといえるでしょう。
There is no accounting for tastes. (好みは説明できない。蓼食う虫も好き好き。)
という諺がありますが、国債とは異なり、土地や建物については、金額以外の要素(立地条件や各個人の境遇等)が含まれるため、
There is no accounting for universal benefits. (万人共通の利益というのは説明ができないものだ。)
ということになるわけです。
土地や建物については、「時価」の一言だけでは絶対に説明が付けられないわけです。
土地や建物をどのように活用するかで、
その土地や建物から生じる将来のキャッシュフローの金額というのは大きく変わってくるわけです。
額面金額100円の国債は誰にとっても100円の価値がある(その国債に100円の価値があることは万人共通のこと(universal))
わけですが、時価とやらが100円の土地や建物は、誰にとっても100円の価値があるどころか、
その土地や建物は、90円の価値しかないと判断する人もいれば110円の価値があると判断する人もいる、といった状態でありますし、
また、そこに住むとなりますと、土地や建物の価値はとても数値化はできないという話になってくるわけです。
ですので、以上のような社会的背景のようなことまで鑑みますと、
国債を額面金額(時価)以上の価格で買うとなりますと、それは差額は明らかに寄付だ、という解釈になると思います。
ところが、土地と建物に関しましては、土地や建物を時価以上の価格で買うという取引であっても、
その取引そのものや少なくとも差額部分についても、寄付や寄付的行為であるとは言えない、という解釈があると思います。
ここには、理論上の線引きはないと思います。
後は、時価というものをどれだけ強いものだと定めるかの話になると思います。
つまり、それでも土地や建物については時価が絶対的な基準だ(例えば「差額は必ず寄付だ」)、と定めるならば、
実務上は、差額は寄付となる、という会計処理を行うしかない、ということになるわけです。
法律である以上は、それこそ万人共通の基準を定めないといけないわけですから、
資産の活用方法次第では云々や人の幸福というのは云々というのは、法律の上では度外視するしかない、
ということになると思います。
その意味では、今日の【設例A】の仕訳は、上の方で書きました仕訳が結局一番自然な仕訳だ、ということになると思います。