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2018年1月10日(水)
今日も、ここ数日間のコメントに対し、一言だけ追記をしたいと思います。
「企業自身は業績予想を行ってはならない。」という点について書いた7日前のコメント↓
2018年1月3日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180103.html
「企業は増資を行ってはならない。」という点について書いた6日前のコメント↓
2018年1月4日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180104.html
「たとえ投資家間で株式の取引を行っても、『株式の本源的価値』には何らの影響を与えることもない。」、
それが「所有と経営の分離」と呼ばれる概念の本質の1つである、という点について書いた5日前のコメント↓
2018年1月5日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180105.html
完全な「銘柄間の比較可能性」を担保することは現実には始めから不可能なことだ、という点について書いた4日前のコメント↓
2018年1月6日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180106.html
完全な「銘柄間の比較可能性」を担保することができるのは同一業界・同一業種内の銘柄間のみである、
という点について書いた3日前のコメント↓
2018年1月7日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180107.html
「企業は配当を行ってはならない。」という点について書いた一昨日のコメント↓
2018年1月8日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180108.html
「企業は負債を計上してはならない。」という点について書いた昨日のコメント↓
2018年1月9日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180109.html
>株式の譲渡ができない会社であれば会社は配当を支払ってもよいのだが、
>株式の譲渡ができる会社の場合は会社は配当を支払ってはならない(これは株式の上場制度と関連がある論点だ)、
>という話を以前に聞いたことをコメントを書き終わった後に思い出しました。
「株式の譲渡ができない会社であれば会社は配当を支払ってもよいのだが、
株式の譲渡ができる会社の場合は会社は配当を支払ってはならない。」、という話を以前に聞いたのは確かであるわけなのですが、
この点について一言補足をしたいと思います。
特に「証券制度」の観点から言えば、株式の譲渡が不可能な会社では、「ディスクロージャー」そのものが不要であるわけです。
「ディスクロージャー」というのは、まさに「投資判断」のためにあるわけですが、投資判断そのものがそこではないわけです。
株式の譲渡が不可能な会社に必要なのは、経営の結果の報告(より実務的に言えば、「営業報告書」の提出)だけなのです。
経営の結果の報告(「営業報告書」の提出)は、投資判断に資するためにあるのではないわけです。
経営の結果の報告(「営業報告書」の提出)は、文字通り出資者に経営の結果を報告するためだけにあるわけです。
理論上の話をすれば、「営業報告書」を見て投資判断をする人は誰もいないのです。
理論上は、投資家は「有価証券報告書」を見て投資判断をするのです。
「営業報告書」と「有価証券報告書」の記載事項が極めて似ている(記載内容はほとんどが重複している)のは、
結果に過ぎません。
「営業報告書」は次の①であり、「有価証券報告書」は次の②です。
①受託者として、受託者責任の遂行上、出資者に対しこれだけのことは報告をしておかなければならない、と考えられる内容。
②経営者として、投資家が投資判断を行うに際し、発行者の情報についてこれだけのことは開示しておかなければならない、
と考えられる内容。
①と②を比較した場合、一方は他方より情報量が多い、というのはやはりおかしいわけです。
簡単に言えば、投資家は株式の購入後は出資者になるわけです。
会社の業務執行者が、①「受託者として出資者に対し報告する内容」と②「経営者として投資家に対し開示する内容」とは、
自ずと同じになるわけです。
株式購入後のことを考えれば、まさに「市場の投資家=会社への出資者」であるわけです。
現在の出資者には報告しないが市場の投資家には開示する、という内容があるのもおかしいですし、
市場の投資家には開示するが現在の出資者には報告しない、という内容があるのもおかしいです。
「営業報告書」の記載内容と「有価証券報告書」の記載内容とは、理詰め(論理の流れ)で考えれば当然同じになるわけです。
しかし、「営業報告書」と「有価証券報告書」は、全く目的が異なるのです。
「営業報告書」と「有価証券報告書」は、制度上の理由(作成目的)からして、実は根源的に異なるのです。
「営業報告書」と「有価証券報告書」の記載内容がほとんど同じ(そのほとんどが重複している)のは、結果に過ぎないのです。
しかし、今日私が書きました議論を踏まえますと、「有価証券報告書」の記載内容の方が「営業報告書」の記載内容よりも
詳細でなければならない、という考え方も「証券制度」の観点から言えばあると思います。
なぜならば、「営業報告書」の利用者は投資判断を行わない一方(「株式の本源的価値」について考慮する必要が全くないから)、
「有価証券報告書」の利用者は投資判断を行う必要がある(「株式の本源的価値」の算定がまさにその利用目的だ)からです。
現在、金融庁では、記載内容が重複していることを理由に、「営業報告書」と「有価証券報告書」の共通化・一部簡素化などが
検討されているようですが、私個人の意見としましては、「証券制度」の観点から言えば、証券取引の論理を考えてみると、
実は「有価証券報告書」の記載内容の方がより詳細・豊富・正確でなければならないはずだ、と思います。
この論点に関しては、
「どちらの利用者が『株式の本源的価値』について算定・判断をしなければならないか?」、
という問いについて考えてみると、答えが出ると思います。
それから、他の論点としては、実務上のこと・現実的な様々なこと(税制など)のことを鑑みますと、
「会社清算時まで利益を留保することが『株主の利益の最大化』につながるとは限らない。」、
という考え方もあると思います。
例えば、残余財産の分配の受取額には相対的に高い所得税率が課せられ、
配当の受取額には相対的に低い所得税率が課せられる、という税制では、
会社は、将来の事業機会等を勘案するのは当然にしても、会社清算時まで利益の全てを留保するよりも、
事業継続の途中で積極的に配当を支払った方が、現実には株主の利益は最大化される、ということは、実際にあるわけです。
「会社清算時まで利益を留保することが『株主の利益の最大化』につながる。」、との考え方・会社制度上の理論的前提は、
株主の所得税率が0パーセントか、あるいは、残余財産の分配の受取額への所得税率と配当の受取額への所得税率が常に同じだ、
ということを大前提にしていると言えるわけです。
もしくは、もっと単純に、その考え方は「税引前の利益」のみを考慮している、と言えるわけです。
しかし、現実には、それらの所得税率は必ずしも同じではなく、さらに、年度毎に改正・変動すると言えるわけです。
「株主の利益の最大化」について考える時には、会社の業務執行者は、受託者として、そして、経営者として、
現実には「株主に課せられる税率」について無視することは絶対にできないのです。
さらに言えば、経営戦略論やマーケティング論でも盛んに議論されていることであるわけですが、
事業運営を継続する上では、ライバル企業の台頭や新しい科学技術の誕生や人口構造の変化など、
会社の自助努力ではいかんともしがたい事業環境の変化というのはやはり現実には起こるわけです。
会社にとって、将来の事業機会の減少(収益を獲得する見込み・可能性の減少)というのが、
現実には起こり得ると言えるわけです。
そういう時には、会社は、利益を利益を留保し続けるのではなく、株主に対し配当を支払ってしまった方が、
株主に「新たな投資機会」を提供することにつながるわけです。
社会的な意味(新たな産業に資金が供給されること)でもそうですし、
株主の投資収益という意味でもそうです。
「弊社にこのまま投資をなさっても、株主様の利益が今後増加する可能性は残念ながらあまりありません。
かと言って、今すぐに会社を清算させるということも必ずしも望ましいこととは言えないと弊社では判断しております。
そこで、今まで弊社が稼ぎ留保してきた利益は配当という形で株主様にお支払いいたしますので、
株主様はその受け取ったお金で別の有望な銘柄に投資をなさってはいかがでしょうか。
そちらの方が、株主様の利益はより大きくなると思います。」、
そう会社が判断し、会社が株主に配当を支払うことは、必ずしも株主の利益の最大化に反することではないわけです。
「会社制度」から導き出されることとは異なりますが、現実的にはと言いますか、より大きな視点で見ればと言いますか、
証券制度全体や投資家による証券投資という観点から見れば、上記のような結論も現実には導き出せるのではないかと思います。
というわけで、後半は「ディスクロージャー」や「投資家にとっての現実的な証券投資」について書いたわけですが、
最後に、今日書きたかった論点についての結論を書いて今日は終わりたいと思います。
確かに、「会社制度」の観点から言えば、「たとえ株式の譲渡ができない会社であろうとも会社は配当を支払ってはならない。」
という結論になります。
しかし、「証券制度」の観点から言えば、「株式の譲渡ができない会社であれば会社は配当を支払ってもよい。」
という結論になるのです。
「株式の譲渡ができない会社では、そもそも株主は投資判断(将来の業績の予想)をしないものだ。」、
というのがその理由(証券制度から見た本質部分)です。
極端なことを言えば、株式の譲渡ができない会社では、株主には「株式の本源的価値」が分からなくなっても問題はないのです。