2018年1月3日(水)


記事をいくつか紹介しながら、昨日のコメントに対し、論点毎に少しずつ追記をしたいと思います。
まず、「証券市場における短期売買と長期保有」について一言だけ書きたいと思います。

 

2017年2月15日(水)日本経済新聞
短期売買制限論の弊害 市場の流動性損なう恐れ
(記事)


「公正な株価形成」とは何かについて書いた時のコメント↓。

2017年12月24日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201712/20171224.html

2018年1月2日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180102.html

 


昨日は、「証券制度から見た株主優待制度」の問題点についてコメントを書きました。
個人投資家が株主優待制度のみを目的に株式を購入する場合は、市場における株式の取引値(いわゆる株価)の意味が、
優待制度目当ての投資家とそうではない投資家との間で相違が生じてしまうわけです。
優待制度目当ての投資家にとっては、優待制度が非常に有益ですので、
たとえ将来株式売却損が生じることが予想されようとも、優待制度による経済的便益を加味すれば、十分に元が取れる、
ということが現実にもあるわけです。
それはすなわち、他の投資家であれば絶対に買わないような価格であっても優待目当ての投資家は目的の株式を市場で購入する、
ということを意味しますから、優待制度が充実していれば充実しているほど、株価が上昇してしまうわけです。
これでは「公正な株価形成」が行われていないということになってしまうわけです。
結局のところ、株主優待制度というのは、全株主・全投資家にとって平等ではないわけです。
株主優待制度を重宝する投資家もいれば、株主優待制度を全く利用しない投資家もいるわけです。
「株式を保有することの意味」や「株価の意味」を全投資家にとって一様にするためには、株主優待制度があってはならないのです。
それで、株主優待制度と関連のある議論になるのですが、
「証券市場における短期売買と長期保有」について一言だけ書きたいと思います。
昨日2018年1月2日(火)に紹介しました2017年12月3日(日)と2017年4月2日(日)と2017年3月7日(火)の日本経済新聞の記事は、
企業が株主優待制度を活用することで株主に対して自社株式の長期保有を促そうとしている、という内容になります。
株主が株式を長期間保有すればするほど、株主優待制度の内容が充実する仕組みを導入しているわけです。
そうした企業には、「株主には自社株式を長期保有してもらいたい。」という考えがあるようです。

 



しかし、昨日次のように書きましたように、投資家は「株式の本源的価値」に基づき株式の取引を行うわけです。

>売り手は自分が予想する「株式の本源的価値」よりも低い価格では株式を売りませんし、
>買い手は自分が予想する「株式の本源的価値」よりも高い価格では株式を買いません。

すなわち、投資家にとって、「株式投資が短期売買になってしまうのか、それとも、長期保有になってしまうのか」は
純粋に結果に過ぎない(自分が希望する条件を提示する取引相手が市場に現れるか否か次第である)、ということになるわけです。
投資家には自社株式の長期保有をしてもらいたいと企業が考えるのは全くのお門違いであるわけです。
今日紹介している2017年2月15日(水)付けの日本経済新聞の記事の内容は、
一般的には短期売買に関しては否定的な論調が多いのだが短期売買を制限しようという主張には問題がある、という内容です。
短期売買は決して悪者ではない、という主張内容となっており、その根拠としてこの記事には次のように書かれています。

>市場の成立条件は誰もが好きなときに売買できる流動性だ。

私は「短期売買は決して悪者ではない。」という主張には同意するわけですが、
証券市場の理論から言えば、この「市場の成立条件は誰もが好きなときに売買できる流動性だ」という考えは間違いだと思います。
理論的には、「市場の成立条件は、誰もが『株式の本源的価値』を判断できる『ディスクロージャー』だ。」、
となろうかと思います。
証券制度は、「ディスクロージャー」を保証すればよいわけです。
仮に、証券制度が流動性を保証することにしますと、最後は証券の保有そのものを否定せざるを得なくなるわけです。
投資家は相手方の注文に応じることを義務付けられる、というような考え方になってくるわけです。
短期売買か長期保有かを問わず、投資家による証券の「保有」そのものを否定し、
投資家は常に売り注文や買い注文を市場で出し続けておかなければならない、というような考え方になってくるわけです。
株式の保有者が、売り注文を出していないということは、イコール、売る気はない、ということでしょう。
簡単に言えば、流動性の保証があると、株主は、「株式を保有する気はない。」と言わねばならない、かのように感じるわけです。
ですので、流動性については証券制度では保証はできないものだ、と考えるべきなのではないかと思います。
市場で売買が成立しない(注文が全く出されない)こともまた、「公正な株価形成」の1つだ、と考えるべきなのだと思います。
それから、記事には次のように書かれていますが、率直に言えば、引用した下記の考え方は間違いです。
出資者(株主)とは無関係に独立して企業が自社の事業を営めるように、「所有と経営の分離」を行っているのですから。

>どんな株主でも1人では企業を永続的に支えられない。
>だからこそ多様な投資家が互いに株を売買し、バトンを渡すように企業を支えている。

 

If the securities system ensured the liquidity of share in the market,
both every seller and every buyer would always have to be placing their orders in the market.

仮に、証券制度が市場における株式の流動性を保証するとしますと、
全ての売り手と全ての買い手はどちらも常に市場で注文を出したままにしておかなければならない、ということになります。


 


次に、「投資家にとっての判断材料」について一言だけコメントを書きたいと思います。

 

2017年3月4日(土)日本経済新聞
北米BBレシオ公表中止 投資家に戸惑い 半導体メーカーの動向 「判断材料なくなった」
(記事)


2017年4月29日(土)日本経済新聞
東エレク、受注開示を中止 「株価の短期変動避ける」 4〜6月から 投資家困惑も
(記事)


2017年5月20日(土)日本経済新聞
BBレシオ公表中止 半導体装置の重要指標 協会、販売額のみに
(記事)


2017年3月30日(木)日本経済新聞
好業績に踊らぬ株価 予想の「確度」 市場が疑問符
(記事)


2017年2月22日(水)日本経済新聞
上方修正銘柄 株価に明暗 資源高で商社など上昇 自動車は円安織り込み済み
(記事)



「投資家にとっての判断材料(法定開示書類かそれ以外か)」についてのコメント

2017年3月5日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201703/20170305.html

 



紹介している2017年3月4日(土)と2017年4月29日(土)と2017年5月20日(土)の日本経済新聞は、
半導体製造装置の需給を示す「BBレシオ」の公表が北米や日本で取り止めになった、という内容です。
北米でも日本でも、半導体製造装置に関する業界団体が「BBレシオ」の公表を取り止めることを決めたようです。
投資家にとっては、「BBレシオ」は重要な判断材料であったようです。
「BBレシオ」は、販売額ではなく、受注額であるわけですが、
受注は将来の収益獲得に直結するため、「BBレシオ」は「株価の先行きを占う先行指標」であったようです。
「BBレシオ」の公表に関しては、開示を取り止めることに賛成した投資家もいたようですが、
投資判断の手がかりが減るということで、困惑している投資家もやはりいるとのことです。
「BBレシオ」は、業界全体の動向という形で業界団体も公表をしていたのですが、
基本的には、半導体装置メーカーが自社の受注額という形で個別に開示を行う、という位置付けだったのではないかと思います。
例えば、東京エレクトロンは、四半期決算毎に期中の受注額と期末時点の受注残高を開示していたのですが、
2017年4〜6月期の決算発表をから開示を取り止めることにしたわけです。
その意味では、個別銘柄の業績予想を行う判断材料が1つ減ってしまった、という言い方ができると思います。
それで、私が今書きたいことというのは、「業績予想」についてなのです。
先ほど書きました「BBレシオ」は、「実現した収益額」というわけではないものの、
企業が「実際に受注をした金額」(実績値)ではあります。
したがって、「BBレシオ」の公表・開示は、「予想値」ではなく「確定値」の公表・開示であるわけです。
しかるに、企業が決算発表時などに行う「業績予想」は文字通り「予想値」であるわけです。
そして、企業は、一旦発表したその「業績予想」を後になって上方修正したり下方修正したりするわけです。
それで、紹介している2017年2月22日(水)と2017年3月30日(木)の日本経済新聞の記事には、
業績予想の上方修正や下方修正が株価に与える影響について書かれてあるわけです。
以前も同じような論点について書いたわけですが、「企業自身が行う業績予想」についての結論を書きますと、
証券制度の理論から言えば、「企業自身は業績予想を行ってはならない。」がやはり理論上の結論になります。
その理由は、「市場内に判断根拠の異なる2つの業績予想が存在することになる。」からです。
企業自身が業績予想を行いますと、市場内に業績予想に関する判断根拠が2つ存在することになります。
1つは、「ディスクロージャー」です。
もう1つは、「企業の内部情報」です。
企業自身が業績予想を行うとなりますと、その判断根拠は当然のことながら「企業の内部情報」ということになります。
企業は、「企業の内部情報」に基づき、業績予想を行うわけです。
一方で、投資家は、「ディスクロージャー」に基づき、業績予想を行うわけです。
投資家は、「ディスクロージャー」のみに基づき業績予想を行わなければならないにも関わらず、
「企業の内部情報」に基づいた業績予想が市場に伝達されている、という状態になっているわけです。
確かに、企業が公表・開示する「業績予想」も広い意味では「ディスクロージャー」と言えば「ディスクロージャー」なのですが、
少なくともそれは「株式の本源的価値」を判断するための「ディスクロージャー」とは本質的に異なるわけです。
「企業自身による業績予想」の開示と「株式の本源的価値」を判断するための情報の開示は、本質的に異なるのです。
やや実務よりの話になってしまいますが、将来の業績についての「予想の『確度』」などと言い出すならば、
「ディスクロージャー」のみに基づく業績予想よりも「企業の内部情報」に基づく業績予想の方が確度は高いと言えるわけです。
しかし、市場の全投資家は、「株式の本源的価値」を判断するための材料という点で皆平等でなければならないわけですが、
市場に1人だけ全く平等ではない判断材料を持った情報発表者(企業自身のこと)がいる、という情報格差が生じるわけです。
「株式の本源的価値」の判断材料は市場にただ1つ(全投資家の判断材料が同一・全員共通ならそれで投資家間はフェアになる)、
という状態を担保するために、企業自身は業績予想を公表・開示してはならないのです(判断材料がフェアでなくなってしまうから)。

 



In theory, each investor must judge only from all information published by somebody other than a company.
A company itself must not publish anything.

理論上は、各投資家は、会社以外の誰かが公表した全ての情報のみから投資判断を行わなければならないのです。
会社自身は、何も公表してはならないのです。

 

In practice, a BB ratio can be regarded as one of the materials for fair disclosure.

実務上は、BBレシオはフェア・ディスクロージャーのための材料の1つだと見なすことができます。

 

In theory, the range of disclosure is determined by each industry.

理論上は、情報開示の範囲は各業界毎に決まるのです。

 

Expectations by securities analysts are information by merely outsiders for reference,
whereas expectations by a company itself are information by exactly an insider for somewhat sure.

証券アナリストによる予想は社外の人物による参考情報に過ぎませんが、
会社自身による予想はまさに社内からのある程度確かなこととして開示される情報なのです。

 

The true meaning of "disclosure" is not materials in general disclosed to the market on the basis of inside infromation
but materials on the basis of which investors in the market judge the "intrinsic value of a share."
The fact that a company discloses information on it to the market
doesn't always represent "disclosure" in a true sense.
All that is permitted to exist in the market is expectations on the basis of "disclosure" only.

真の意味の「ディスクロージャー」とは、内部情報に基づいて市場に開示された材料全般ではなく、
市場の投資家が「株式の本源的価値」を判断するために基づく材料のことなのです。
会社が市場に自社に関する情報を開示しさえすれば、それで真の意味での「ディスクロージャー」だ、
というわけではないのです。
市場に存在してよいのは、「ディスクロージャー」のみに基づく予想だけなのです。