2018年1月9日(火)
今日も、ここ数日間のコメントに対し、一言だけ追記をしたいと思います。
「企業自身は業績予想を行ってはならない。」という点について書いた6日前のコメント↓
2018年1月3日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180103.html
「企業は増資を行ってはならない。」という点について書いた5日前のコメント↓
2018年1月4日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180104.html
「たとえ投資家間で株式の取引を行っても、『株式の本源的価値』には何らの影響を与えることもない。」、
それが「所有と経営の分離」と呼ばれる概念の本質の1つである、という点について書いた4日前のコメント↓
2018年1月5日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180105.html
完全な「銘柄間の比較可能性」を担保することは現実には始めから不可能なことだ、という点について書いた3日前のコメント↓
2018年1月6日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180106.html
完全な「銘柄間の比較可能性」を担保することができるのは同一業界・同一業種内の銘柄間のみである、
という点について書いた一昨日のコメント↓
2018年1月7日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180107.html
「企業は配当を行ってはならない。」という点について書いた昨日のコメント↓
2018年1月8日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201801/20180108.html
【コメント】
昨日のコメントでは、遂にと言いますか、株式会社制度について理詰めで考えを進めて行ったところ、
証券制度の観点から見た場合の結論になりますが、「企業は配当を行ってはならない。」、という結論に辿り着きました。
昨日のコメントでは、あくまで自分自身の頭だけで考えて(純粋に論理の組み立てだけで)、
「企業は配当を行ってはならない。」という結論に辿り着いたわけですが、
昨日のコメントを書き終わった後、
「そう言えば、以前、『昔は株式会社は配当を支払えない定めになっていた。』という話を聞いたな。」、と思い出しました。
株式の譲渡ができない会社であれば会社は配当を支払ってもよいのだが、
株式の譲渡ができる会社の場合は会社は配当を支払ってはならない(これは株式の上場制度と関連がある論点だ)、
という話を以前に聞いたことをコメントを書き終わった後に思い出しました。
大学を卒業した社会人1年目の時に聞いたんだっけ、と思い出し、
そして、2004年にもある機会の時に同じような話を聞いたな、と昨日は思い出しました。
さらに、昨日思い出して自分でも驚いたのですが、小学6年生の時に、家にあった会計か商法の本を読んで、
「配当を支払うと、かえって(支払った配当金額以上に)株式の価値が下がるということなのだろう。」
と自分なりに理解をして、まだ小学6年生でしたが、配当について学校の教室で話したことも自分で思い出しました。
昨日は、小学校6年生の時に読んだ本やこれまでに聞いた話を基にコメントを書いていったわけでは全くありません。
今その時のことを思い起こしてみますと、確かに小学校6年生の時は配当に関して正しい結論を述べていたとは思うのですが、
私はその時点では簿記を全く学んでいなかったため、実は本質的理解は欠いたままであったのは間違いないと思います。
「家にあった本を読む限り、何となくそういう結論になるようだ。」、という程度の理解しか当時はしていなかったと思います。
小学校6年生の時は、結論の部分だけを述べていただけで、昨日書きましたような理解は全くできていなかったと思います。
小学校6年生の時のことを思い起こしますと、本質的理解のためには、「つくづく簿記に尽きるな。」と改めて思いました。
それで、昨日の論点と極めて関連が深い論点になるのですが、証券制度を前提に、昨日のコメントに一言追記します。
昨日は、「企業が配当を支払ってはならない理由」について、次のように書きました。
>企業が配当を支払ってはならない理由の本質部分は、「企業が事業運営に用いる金額を固定すること。」なのです。
>企業が事業運営に用いる金額が固定されて初めて、投資家は企業のその期の業績を正確に予想することができるのです。
>他の言い方をすると、企業は貸借対照表の「貸方」(資本の部)の金額を固定しなければならない、ということです。
昨日も書きましたように、「貸方」は、広い意味での資金の調達源泉(事業に投じることができる金額)を表しているわけですが、
「『貸方』を固定する」(「貸方」の金額が予め明確にする)ということが、事の本質部分であるわけです。
それで、昨日は、「貸方」については、「資本の部」のみを念頭に置いてコメントを書いたわけなのですが、
昨日は「負債の部」については一切言及しなかったわけです。
ではここで問題です。
企業は負債を計上してよいでしょうか?
結論を先に言いますと、「企業は負債を計上してはならない。」という結論になると思います。
その理由は、昨日書きました理由(「企業が配当を支払ってはならない理由」)と全く同じです。
企業は負債を計上しますと、貸借対照表の「貸方」が変動してしまうからです。
貸借対照表の「貸方」は、広い意味での資金の調達源泉(事業に投じることができる金額)を表しているわけですが、
企業が負債を計上しますと、「事業に投じることができる金額」そのものが変動してしまいますので、
投資家は企業の将来の利益額を予想することができなくなってしまうわけです。
確かに、企業は借入金によっても事業を営むことができる(企業は借り入れにより調達した資金を事業に投じ収益を獲得できる)
わけなのですが、投資家には企業がいくら借り入れを行うのか(結果、投資可能総額)については予想ができませんので、
証券制度の観点から見ると、企業は借り入れを行うことはできないのです。
また、借入金の問題点については、「貸方」の金額が増減(借り入れとその後の返済)してしまう、という上記の問題点に加え、
借入金の支払利息についても、業績予想の観点から言えば、問題になると言えると思います。
仮に、企業は借り入れにより調達した資金を事業に投じ、支払利息を超える利益(=借り入れによる獲得収益−借入金元本)を
獲得できるとしても、企業が借り入れる借入金の支払利息の金額を投資家が予想することはできませんので、
結局のところ、やはり投資家は企業の将来の利益額を予想することができなくなってしまうわけです。
最近話題の「社会的責任」や近江商人の「三方よし」とは全く異なりますが、純粋に証券制度の論理から導かれる結論として、
借り入れにより企業が儲かればそれでよい、というわけでは全くないわけです。
ある企業の行為・活動に関しては、「その結果、投資家が業績を予想することは可能か否か?」が本質的に問題となるわけです。
さらに、買掛金に関しても結論は同じであり、「企業は買掛金を計上してはならない。」という結論になります。
企業が買掛金を計上するということは、「企業は代金を支払わないで目的物を仕入れた。」ということを意味しますので、
企業はお金を使わないで事業を営んでいることになると言いますか、資本(元手)の意味自体がなくなってしまうと言いますか、
いずれにせよ、投資家にとっては、企業が事業に投じることができる金額が分からなくなってしまうわけです。
企業が買掛金を計上する時点で、投資家にとっては、
「企業が事業運営に用いる金額(投資可能総額)」に意味がなくなってしまうわけです。
企業が買掛金を計上する場合は、企業が借り入れを行う場合同様、
企業は少ない資本で多くの収益を獲得することができるようになります。
目的物を仕入れるのに代金は仕入先に支払わなくてよい、というのはそういう意味でしょう。
企業が買掛金を計上する場合は、目的物の仕入れ代金を仕入先に支払わなくても、
企業は目的物を販売先に販売し売上代金を受け取ることができるわけです。
これでは資本(元手)の意味は全くないわけです。
一言で言えば、企業がいくら事業に資金を投じるのかが投資家には分からない、ということになるわけです。
確かに、この場合、商取引としては、企業は非常に有利な取引条件で取引を行っていることになるわけですが、
企業が計上する買掛金の金額を投資家が予想することはできませんので、
結局のところ、やはり投資家は企業の将来の利益額を予想することができなくなってしまうわけです。
最近話題の「社会的責任」や近江商人の「三方よし」とは全く異なりますが、純粋に証券制度の論理から導かれる結論として、
買掛金の計上により企業が儲かればそれでよい、というわけでは全くないわけです。
ある企業の行為・活動に関しては、「その結果、投資家が業績を予想することは可能か否か?」が本質的に問題となるわけです。
現代会計では、企業が借り入れを行うことを"leverage"(レバレッジ)と言うわけですが、
本来の意味とは異なりますが、企業が買掛金を計上することも一種の"leverage"(レバレッジ)と言っていいと思います。
なぜならば、企業はまさに自社の資本を利用することなく事業を営んでいるからです。
"leverage"(レバレッジ)という単語は、辞書的には、
「借入資本利用」や「借り入れ資本を利用して〈〜に〉投機を行なう」という意味ですが、
買掛金の計上は、「仕入先の現金を利用して事業を営む」という"leverage"(レバレッジ)だ、と言っていいと思います。
私の造語ですが、買掛金の計上は、"supplier's
leverage"(仕入先レバレッジ)と表現できると思います。
企業が買掛金を計上する場合は、企業には現金はない(仕入れ代金を支払っていない)にも関わらず、
目的物を仕入れて販売をすることができる(そして、企業は売上代金を受け取ることができる)からです。
決済期日に買掛金を決済すれば同じことだ(実際には最後には代金は支払うではないか)、というわけでは全くないのです。
企業が自社の現金を用いずに事業を営んでいること自体が問題なのです。
なぜなら、企業が自社の現金を用いずに事業を営む場合は、
「企業が事業運営に用いる金額(投資可能総額)」が分からなくなるため、
投資家は企業の将来の業績を予想する(すなわち、「株式の本源的価値」について投資判断をする)ことができないからです。
以上が、「企業はいかなる種類の負債も計上してはならない。」ということの証券制度から見た理由です。
The fact that a company records trade accounts payable means that it profits
at its suppliers' expense.
企業が買掛金(仕入債務)を計上するということは、企業は仕入先のお金を使って利益を上げている、という意味なのです。