2017年10月9日(月)



記事を1つ紹介し、ここ6日間の論点に関して一言だけ追記をします。


2017年10月7日(土)日本経済新聞
配偶者控除 来年から見直し 妻収入150万円超から減り、201万円超でゼロ
(記事)



ここ5日間のコメント

2017年10月3日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171003.html

2017年10月4日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171004.html

2017年10月5日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171005.html

2017年10月6日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171006.html

2017年10月7日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171007.html

2017年10月8日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171008.html

 


「国が関与すべきことと関与すべきではないこととの境界線は実はあいまいである。」
という点について言及したコメント(3回目の引用になりますが、要点自体はここにまとまっているように思います)↓。

2017年8月18日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170818.html

 


昨日のコメントに一言だけ追記をします。
昨日は、「極端に言えば、戦前は私有財産はなかった。」という言い方をしてもよい、と書きました。
戸主の財産は「家」の財産であり、「家」は公の一部と考えられていましたので、戸主の財産は公の財産の構成要素、
という考え方になるわけです。
戸主の財産は公の財産、とだけ聞きますと現代では違和感を覚えるかもしれませんが、
それは法理・法律的に戸主の所有権を公が否定できるという意味合いでは決してなく、
人々が社会生活を営んでいく上では「家」が社会の生活単位となっている、という意味です。
社会は「家」により構成されている(社会は「家」で作られている)わけです。
そして、実生活の上では、人々は「家」の中で社会生活を営む、ということになるわけです。
そういった意味において、概念的になりますが、戸主の財産は公の財産という捉え方になるわけです。
この点について考察を深めますと、これもまた極端な言い方になりますが、
戦前は私人という概念はなかった、という言い方をしてもよいのではないかと思います。
現代では、「公と私人」(公と人)という社会の捉え方をしますが、
「『家』は公の一部である。」という考え方を徹底すると、結果、必然的に、
公という概念すらも消え、私人という概念も埋没するかのように私は感じるわけです。
公も私人もなく、あるのは社会だけであるように感じるわけです。
人というのは皆、社会の一員である、という考え方しか残らないように思うわけです。
一昨日のコメントで、私は次のように書きました。

>昔の「家の制度」では、「家」は「くくり」として存在しただけなのだと思います。

人というのは皆社会の一員であるわけなのですが、考えてみますと、人は皆集団生活(寮生活など)を送ることも可能ですが、
制度設計者は社会に生活単位として「家」を導入した、というわけなのだと思います。
「人は皆、『家』で生活をしなさい。」、と。
そして、その「家」の代表者として「戸主」がいるだけなのだと思います。
その意味において、やはり、戸主の財産は「家」の財産なのだと思います。
「家」は「くくり」として社会を構成しているのですが、所有財産の区切り(区分け)として「家」があるだけなのだと思います。
所有財産は、人単位ではなく、社会生活単位である「家」単位で捉えられる、という考え方になるわけです。
「戸主」が財産を所有していることに深い意味合いはないわけです(「家」の代表者というだけ)。
一応法律関係としては、生活単位(「家」)の安定・秩序のため、戸主には家族を扶養する義務があり、
また、家族の構成員には戸主の指示に従う義務がある、という制度(全構成員が従うルール)にしているだけなのだと思います。
「戸主」の財産は「家」の構成員(家族)全員の財産という考え方に変わりはないわけです。
同じ「民法」という民法典でも、財産法の部分と家族法の部分は概念的には相容れない部分が多いのではないかと思います。
財産法では私有財産を前提としていますが、家族法では逆に私有財産は言わばないことが前提であるとも言えるわけです。
「戸主」というのは、結局のところ、実生活の上では、人の生活単位(「家」)の財産管理者として機能しているわけなのですが、
生計を一にするという意味において、所得を稼得するのは「家」の全構成の中で「戸主」だけである、という考え方になるわけです。
「戸主」以外の構成員が所得を稼得すると、その所得はその構成員の私有財産の側面が出てきてしまうのではないかと思います。
生活単位を鑑みれば、財産を計算する単位は「家」である以上、財産は「戸主」のみが所有する、という考え方になるわけです。
人は皆、「家」という単位で生活をしているわけなのですから、「戸主」以外の構成員が所得を課得するのはおかしいわけです。
戦前の人から見ると、配偶者(妻)が所得を稼得するというのは、絶対にあり得なかったことなのです。