2017年10月4日(水)



昨日の2017年10月3日(火)のコメントに一言だけ追記をします。

2017年10月3日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171003.html

昨日、相続登記がなされないまま放置されている土地が増加しており、地方の地域を中心に所有者不明の土地が近年増えている、
という内容の記事を紹介し、法理的には不動産登記簿の公示は必要ないのではないか、という点についてコメントを書きました。
現在の日本では、不動産登記簿は法務局に行けば誰でも自由に見ることができる(公示されている)のですが、
法理的にはそもそも土地の所有者が不明であっても何らの問題もないのではないか、と思ったわけです。
また、昨日のコメントでは、”商業登記に関しては公示が馴染む・必須である”と書いたわけなのですが、
今日改めてこの点について考えてみたのですが、法理的には商業登記簿に関しても公示の必要はない、
という結論に辿り着きました。
商業登記を行っていること・法人(権利義務の主体)が実際に存在することについては、
法人自身が「登記事項証明書」を取引の相手方に個別に提示するようにすればそれで十分であるという結論に行き着きました。
つまり、取引の相手方が法務局に行って、商業登記を行っていること・法人(権利義務の主体)が実際に存在すること
を確認するのではなく、法人自身が法務局に行って「登記事項証明書」を交付してもらい、取引の相手方に提示する、
という流れであるべきだと思い至りました(「登記事項証明書」の交付の請求は法人自身のみ、と考えるべきだと思いました)。
現在の日本のように、商業登記簿が法務局で公示されている状況であれば、取引の相手方が法務局に行って法人の状況について
自分で確認をするべきだ(それが商業登記簿や公示の意味だ)、という考え方になっているわけなのですが、
実はそれは話の流れとしては逆なのかもしれないと思いました。
相手方ではなく法人の方に、自分が法人であること(商取引の主体は法人であること)を証する義務があると思いました。
法理的には、不動産登記簿同様、商業登記簿も公示には馴染まないものだ、という結論に至りました。
”商業登記に関しては公示が馴染む・必須である”と昨日書いた理由についてですが、
法理上ではなく実務上の理由になりますが、昨日はまず第一に「商行為」ということが頭にあったからです。
「商行為」では、利潤を上げることを目的としているわけですが、その行為・取引では迅速性が重要と思います。
すなわち、取引の相手方が、法人について確認をしようと思えば、自由に・即座に商業登記簿の閲覧ができる、
という状態を担保することが「商行為」を行う上では重要なことだ、と考えからです。
土地は所有しているだけ(所有というだけでは特に人に害は及ぼさない)ですが、「商行為」では人と取引を行うわけです。
その際、商取引の主体がどのような状況にあるのかを誰もが自由に知ることができなければ、相手方は安心できないわけです。
さらに言えば、現実には不可能に近いと思いますが、実務上は法人による「登記事項証明書」の偽造・改竄も考えられはします。
取引の相手方が自分で法人に関する登記情報を法務局から直接入手した方が安全性・確実性が高い、と言えると思います。
以上のような実務上の理由から、昨日は”商業登記に関しては公示が馴染む・必須である”と書きました。

 


この点について、他の観点からも考えてみました。
社会に対する影響という意味では、土地の所有者は静、商行為の主体(法人)は動、と言えると思います。
商行為の主体(法人)は反復継続して大量に他者と取引をする一方、
土地の所有者はまさに「所有しているだけ」という存在であるわけです。
他の言い方をすれば、商行為の主体(法人)は「債権」を有する主体となることが主である一方、
土地の所有者は「所有権」をただ表象できればよい存在に過ぎない(簡単に言えば、所有権(者)さえ分かればよい)わけです。
商行為の主体(法人)は所有権を有することもできるのですが、制度上は、実は「債権者」になることが主眼にあると思います。
さらに他の言い方をすれば、非常に概念的な言い方になりますが、
不動産登記簿は物が相手(所有権=物権=物に対する権利)である一方、
商業登記簿は実は人が相手(債権=人に対する権利)である、という言い方ができると思います。
要するに、「商行為」では、商行為の主体(法人)にも取引の相手方にも債権債務関係が生じることが前提なので、
商行為の主体(法人)がどういう状況にあるのかを取引先が確認できるということが実務上は非常に重要であるわけです。
商業登記を行ったということは、実務上は、イコールそこに債権債務関係が生じる、ということです。
土地を所有しているだけでは、そこに一切債権債務関係は生じないわけです。
抽象的な表現をすれば、不動産登記は「人対物」(所有者と土地)で完結している一方、
商業登記は「人対人」(法人と相手方)を前提としている(その後反復継続して大量に債権債務関係が生じることが前提である)、
と言えるわけです。
商業登記の主眼は、所有権にあるのではなく、債権にあるのです。
「商行為」ということを鑑みれば、実務上は、法人は所有権の主体になることを目的に登記がなされるのではなく、
債権の主体になることを目的に登記がなされるのです。
債権には相手方がいます(逆に、物権には相手方がいない。所有権の対象というのは物のみ)。
その相手方を実務上は保護する必要がある、という考え方になるわけです。
したがって、法人の相手方が法人の状況について確認できることが重要だ、という考え方になってくるわけです。
その際、「商行為」では相手方を制限する話ではない(誰が法人の相手方になっても全くおかしくはない)ので、
一般に知ることができる「公示」という手段により、
自由に法人の状況について確認できるようにする(商業登記簿は誰でも自由に閲覧できるようにする)、
という法制度になっているのではないかと思います。
今日のまとめとしましては、以下のようになります。

○法理上の結論→商業登記に関しては公示が馴染まない。
○実務上の結論→商業登記に関しては公示が馴染む・必須である。

 

To put it abstractly, the very center of commercial registration is obligations, actually.
In other words, the purpose of commercial registration is to make a juridical person become an obligee and an obligor.

抽象的に言えば、実は、商業登記のまさに中心にあるのは債権なのです。
他の言い方をすれば、商業登記の目的は、法人を債権者や債務者にすることなのです。