2017年10月3日(火)



2017年10月3日(火)日本経済新聞
所有者不明の土地 調査 法務省、来年度から 相続登記促す
(記事)





>公示
>公示(こうじ)は、一定の事柄を周知させるため、公衆が知ることのできる状態に置くこと。
>公の機関が行う場合と、私人が行う場合がある。
>公の機関が行う公示
>不動産登記法、商業登記法などに基づく登記
(ウィキペディア)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%A4%BA

 

>公示
>こうじ
>一定の法律関係の存在や、権利の変動などの外形的表象である占有、登記、登録、届出、通知などをいう。
>これらの公示方法を欠く場合に、法律上完全な効力を生じないとする原則を公示の原則という。
>私法上では、婚姻の届出、会社設立の登記、手形の裏書、鉱業権移転の登録、特許権移転の登録などは、
>効力発生要件としての公示方法とされるが、不動産物権変動の登記のごとく、
>これを欠く場合に第三者に対抗できないというものが多く、これを対抗要件としての公示方法という。
>公法上では、法令は官報(地方公共団体の条例等は公報)に掲載するという公示方法によって効力発生要件とされるが、
>告示については、その性質、目的によってそれぞれ異なった公示方法がとられる。
(コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)
ttps://kotobank.jp/word/%E5%85%AC%E7%A4%BA-159358

 


【コメント】
「所有者不明の土地」に対する国の対応策についての記事は今までに何回か紹介しコメントも書きましたが、
本日2017年10月3日(火)付けの日本経済新聞の記事にも載っていましたので、土地の登記について再度考えているところです。
記事の冒頭を引用します。

>法務省は2018年度から、相続の手続きがされずに所有者がわからなくなった土地の本格的な調査に乗り出す。
>全国の司法書士らに委託し、登記簿などから所有者が生きているかを調べる。
>すでに死亡している場合は法定相続人をたどり相続の登記をするよう促す。
>法定相続人の一覧もつくる。

地方の地域では土地の資産価値が低いため、相続人が当面は利用する予定がない土地は相続登記がなされないまま
放置されることが多いようで、近年所有者が分からない土地が増加している、とのことです。
通常の取引(売り手と買い手との間の売買等)であれば、必ずと言っていいほど所有権の移転の登記を行うわけなのですが、
所有者が死亡した場合というのは、特に地方の地域では、土地を取得したという意識自体が相続人にはあまりないため、
特段相続登記を行わないことが多い、ということで、近年全国的に問題になっているようです。
まず、この問題に対する解決策を言えば、所有者の死亡により土地を相続することが決まったならば、
相続人は速やかに相続登記を行わなければならない(相続登記こそが相続だと考える)、と法令に定めることだと思います。
仮に、相続登記を行わないまま放置をした場合は、所有者の死亡日から10ヶ月が経過したした時点で、
登記簿から所有者の氏名が登記官の職権に基づき抹消される(すなわち、土地は国の所有となる)、と法令で定めるべきなのです。
10ヶ月というのは、相続税の納付期限をそのまま参照しました。
登記と相続税法との整合性を鑑みたわけです。

 



それで、紹介している「相続人が誰かを明確にする」という内容のこの記事を読んでいて、ふと思いましたのは、
「そもそも『土地の所有者』というのは誰もが知っておかなければならないことなのか?」、という点なのです。
土地の所有者というのは全て土地の登記簿に記載されています(登記簿に記載されていない所有者というのはいない)ので、
法務局に行き、「土地の登記簿を見せて下さい。」と言えば、誰でも土地の所有者を知ることができるわけです。
このことは当たり前であるかのようにも感じますが、それは登記簿や法務局を無意識に前提としているからかもしれないわけです。
私はここで、「公示」という言葉が頭に浮かびました。
一言で言えば、もはや常識と言っていいくらい、「土地の所有者は公示する。」、という考え方に日本ではなっているわけです。
辞書的な意味としては、「公示」とは、「公の機関が広く一般に知らせること」であり、より具体的には、登記簿の他には、
官報や各省庁の公報に掲載することや、各省庁の掲示板(入り口近くの通路等に掲げてある)に掲示することを指すわけです。
インターネットで「公示」について検索しますと、「公示の原則」という言葉もあるようです。
「公示の原則」とは、
一定の一定の法律関係の存在について、適切に公示を行わなかった場合は、法律上完全な効力を生じないとする原則を言います。
簡単に言えば、一定の事柄に関しては、法的な効力発生要件として公示をすることが求められているわけです。
では、「土地の所有」に関してはどうであろうかと思ったわけです。
現在の日本の考え方では、土地は登記をしなければ所有権の効力が発生しないわけであり、そして、
その登記の内容というのは、登記簿という形で法務局で広く一般に知らせること(つまり、公示すること)になっているわけです。
現在の日本では、土地の所有者に関しては公示が当たり前(常識)になっているわけです。
しかし、考えてみますと、土地の所有というのは純粋に私人の行為であり、土地というのは純粋な私有財産であるわけです。
なぜ私人の行為や私有財産を公示する必要があるのか、という考え方はあると思ったわけです。

 



例えば、人と人との婚姻関係が公示されるでしょうか。
「誰と誰とが結婚をしているのか」という情報は、ある意味「土地の所有者は誰か」という情報より重要ではないでしょうか。
日本は一夫一妻制と家の制度が社会の中心(構成単位)となっています。
「誰と誰が親子であり誰と誰が兄弟か」(つまり、「一家の構成員は誰か」)という情報は、
家の制度を中心としたこの社会では、何よりも公示する必要がある情報なのではないでしょうか。
それらの情報に関しては、もちろん、学校や職場や地域社会では知っておかなければならないことではあるけれども、
少なくとも「公示」ということには馴染まない(公に関する事柄とは異なる)、ということであるならば、
土地の所有者に関しても公示は馴染まないのではないでしょうか(土地の所有は公に関する事柄ではないはず(純粋な私権))。
法人の設立登記に関しては、法人が存在することを証明しなければなりません(登記がなければ法人が存在しない)ので、
商業登記に関しては公示が馴染む・必須である(権利の主体そのものを新たに人為的に作り出すわけだから)わけなのですが、
土地の所有者が不明でも法理的には何らの問題もないため(自分が所有している土地以外には無断で入ってはならないというだけ)、
不動産登記に関しては公示の必要は全くない、と思ったわけです。
もちろん、法務局で土地の全登記情報を一元管理することは必要です(所有者を一意に明確にするため)が、
法理的にはそれを(登記簿を)公示する必要はどこにもないわけです(売り手と買い手のみに関連部分だけを見せればよい)。
ウィキペディアによりますと、既に廃止された公示制度として、「高額納税者公示制度(長者番付)」が挙げられています。
私人にどれだけの所得があったのかを開示する必要性は、法理的には全くないのだと思います。
同様に、私人がどの土地を所有しているのかを開示する必要性は、法理的には全くないのだと思います。
法理的には、一言で言えば、「私法上の法律行為」に関しては公示が全く馴染まない、という言い方ができるのだと思います。
紹介した記事の趣旨・内容とはある意味正反対の考え方について書いたかのようになりましたが、
法理的には以上のような考え方になるのではないかと思いました。

 

The only solution to this issue is that land is to belong to a government
unless it newly gets registered properly by an inheritor soon after an owner of the land dies.

この問題に対する唯一の解決策は、土地の所有者が死亡した後速やかに相続人が土地の登記を適切にし直さない場合は、
その土地は政府に帰属することになる、というものです。