2017年10月8日(日)
2017年10月7日(土)日本経済新聞
親の財産管理 任意代理で 預金引き出しや証券移管
(記事)
ここ5日間のコメント
2017年10月3日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171003.html
2017年10月4日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171004.html
2017年10月5日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171005.html
2017年10月6日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171006.html
2017年10月7日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171007.html
「私的な取引(私人間の事柄、私事)に国が関与するのは間違いだ、という考え方は実は必ずしも自明ではない。」
という点について言及したコメント(再々掲)↓。
2017年8月18日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170818.html
昨日のコメントに一言だけ追記をします。
私は昨日、戦前の公務員の社会的位置付けについて、次のように書きました。
>「昔は公務員の家や住所や家族構成はみんなが知っていた。」、という話を聞きました。
>そして、「昔は公務員の全財産もみんなが知っていた。」、という話を聞きました。
前者については、昔は戸籍が公示されていた、ということに由来する話であるわけですが、
後者については、戸籍の公示とは別に、公務員の所有財産を公示する社会的仕組みがあった、ということかと思います。
「人の所有財産を公示する」と聞きますと、現代から見ると聞いた瞬間に何か違和感を覚えるわけですが、
よくよく考えてみますと、現代でも国会議員の所有財産を公開するということは行われているわけです。
参考までに、ウィキペディアの記事を紹介します↓。
資産公開制度(ウィキペディア)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E7%94%A3%E5%85%AC%E9%96%8B%E5%88%B6%E5%BA%A6
ウィキペディアの記事を読みますと、1980年代に入り政治家の所有財産を公開する制度が構築・運用され始めたかのように思える
わけなのですが、むしろ、戦前は(かつては)、公務員に関しては当然に資産公開制度があった、ということになります。
公務員の所有財産を公示することが当然に社会的に求められるのは、公務員は公に関する執務に携わっているからだ、
というふうに説明付けをすることが可能だと思います。
一般に、「資産公開制度」とは、公務に携わる関係上、公人・公職の資産を公開することを目的としている、と考えられていますが、
では公務に携わっていない私人は所有財産を公開する必要はないのかと言えば、その問いの答えも実は全く自明ではありません。
「家の制度」に関して、「『家』は公の一部である」と定義するならば、公務に携わっていようがいまいが(公人であれ私人であれ)、
人の所有財産は全て当然に公示をするべきである、という結論になるわけです。
その理由は、戦前で言えば、戸主の所有財産は戸主個人の所有財産ではない、という考え方をするからです。
戸主の所有財産は、家族全員の所有財産という考え方になるわけです。
財産に関する直接的な所有権こそ戸主にありますが、その財産は家族皆が生計を立てていくための財産に過ぎないわけです。
戸主の財産は家族の財産ということは、戸主の財産=「家」の財産=公の一部(公の構成要素)の財産、ということになり、
公の各構成要素がどれだけの財産を所有しているかは公示をするべき(社会の一因である皆が知っておかなければならない)、
ということになるわけです(極端に言えば、戦前は私有財産はなかった、という言い方をしても言いと思います)。
そうでなければ、社会の一員1人1人は、円満・円滑な社会生活を営めなかった、という考え方になると思います。
1981年頃に私が聞いた話では、かつて所有財産が公開されていたのは公務員だけだった、ということだったと記憶していますが、
法理(社会における「家」の理論)的には、社会の全ての一員の所有財産が公開される社会制度も、全く問題なく考えられます。
「職務上は公人か私人か?」は関係がない(むしろ、実生活上は全ての社会の一員が公の一員、という捉え方になる)のです。
戸籍がある人は全員が所有財産を公開しなければならない(戸籍がない人は「ならず者」)、という考え方になるわけです。
最後に、今日紹介している2017年10月7日(土)付けの日本経済新聞の記事について一言だけ書きます。
紹介している記事は、家族の立場から見た年老いた親の財産管理についての内容になるのですが、現代の家の制度のように、
結婚と同時に子が家から出て行く(新しい戸籍が作られ別の居住地で暮らし始める)、というのは、一言で言えば矛盾なのです。
現代の家の制度では、子の結婚と同時に親子関係はなくなる(親から家族(子)がいなくなる)に等しいわけです。
この点だけを鑑みても、現代の「家」は、大所高所から見た「人の選別」にしか役立たない(子がどんな人間かが分かるだけ)、
というふうに私個人には思えます(すなわち、子がいる全世帯の状況・条件・外形を同じにする意味しかない、と私には思えます)。