2013年12月19日(木)



今日は「株式分割」の理論上の問題点について書きたいと思います。

 

まず、言葉の定義から始めます。
株式の分割とは、1株を分けて複数の株式にすることです。
株式の分割は、発行済株式数が増加するにすぎないので、会社の資本金も資産も増えません。
簡単に言えば、株式の数を増やすことを株式分割というわけです。
株主の財産が増減するわけでもなく議決権割合が増減するわけでもなく株主平等の原則に反するわけでもなく会社財産が流出するわけでもなく、
一見すると株式分割には理論上何の問題もなさそうです。

ところが、株式分割には次のような理論上の問題点があるのです。

株式分割を行う際は具体的にどのようなことをするのかと言えば、
それは結局のところ、全株主に対する「株式無償割当て」を行うわけです。
ここで、「株式無償割当て」とはどのようなことをするのかと言えば、
「新たな資金の払込みなしで株主に株式を割り当てる」ということをするわけです。


「新たな資金の払込みなしで株主に株式を割り当てる」という部分を読んで「あれ?」と思うわけです。
これは会社から見ると、払い込み資本が一切ないのに新株式を発行することと同じなのです。
新株式の発行の対価がない(会社財産は一切増えていない)にも関わらず、会社は新株式を発行している、
そのこと自体が株式分割の理論上の間違いなのです。

このことは簡単に言えば、会社は株式数を増やすことはできない、ということです。

 



会社は株式数を増やすことはできない、という結論が出ました。
では逆に、会社は株式数を減らすことはできない、という考え方はどうでしょうか。
会社には、株主が保有する株式を無償取得するということは行えないのです。
これは単純に、株式というのは会社に対する権利を表象するもの、と考えればある意味明らかかと思います。
株主からすると、払い込みの対価はちゃんと支払っているのになぜ会社が株式を無償取得するのか、という話になるわけです。
また、株式の最小単位は1株です。
1株でも保有していればそれは株主です。
株式の数を減らす分、1株当たりの権利を大きくする、という考え方は根本的にできないのです。
つまり、株式併合も理論上は問題がある、ということになります。
会社は、複数の株式をまとめて1株にすることなど、理論上できないのです。

 

会社は株式数を減らすことはできない、という結論に辿り着きますと、さらにある疑問が頭に浮かぶわけです。
「それなら、会社は資本金を減らすこともできないのでは?」と。
結論だけ先に言えば、理論上、会社は資本金を減らすことはできません。
これは、債権者保護の観点が理由になります。
資本金を減少させることは債権者の利益を害することになります。
資本金を減少させることなど、そもそも債権者が認めるわけがないのです。
株式会社は、理念上・概念上、資本金を減少させることなど全く前提としていないわけです。


会社は株式数を減らすことはできない、そして、会社は資本金を減らすこともできない、
ということが理解できますと、
では旧商法下で行っていた減資(90%減資だの99%減資だの)とは一体何だったのか、という疑問が頭に浮かぶわけです。

 



私は今まで、
「旧商法下では90%減資などはできたが現会社法下では90%減資はできない(現会社法下では100%減資のみできる)」、
と何回も書き続けてしまいました。
これらは理論上は間違っていたということになります。
何例か挙げてみましょう。

 

 

2012年11月26日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201211/20121126.html


>100%に至る以前の、例えば50%減資であったり90%減資であったりといったことが現会社法ではできないのです。

 


2013年5月26日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201305/20130526.html


>「資本金及び資本準備金の額の減少」と「株式併合」と「保有株式数の減少」の違いについて、株主自身が分かっていないようです。
>ここが、旧商法と現会社法で一番大きく取り扱いが変化した部分と言っていいでしょう。
>私は今までに「現会社法では旧商法における減資はできなくなった」と何回も言っていますが、

 



2013年8月10日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201308/20130810.html


>「旧商法と現会社法とでは、『株式と資本の関係』が根底から変わってしまった」という点が理解できると、

 


2013年8月29日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201308/20130829.html


>ただ、企業の貸借対照表は無償増資と株式分割とで大きく異なります。
>そのことは債権者にとっては無償増資と株式分割とは大きく異なるということを意味します。
>すなわち、全ての債権者は、会社は株式分割ではなく無償増資を行って欲しいと思うでしょう。
>なぜなら、債権者保護の観点からすると、他の条件が全く同じなら、資本金の額は大きければ大きいほど望ましく、
>利益剰余金の額は(資本金に振り替えるのなら)少なければ少ないほど望ましいからです。

 


2012年11月28日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201211/20121128.html


>旧商法ではこのような減資が行えましたが、
>現会社法ではこのような減資は行えません。

 


2013年3月7日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201303/20130307.html


>今は亡き、いわゆる「99%減資」です。
>アイレックスの既存株主は、これにより、
>所有している株式数が99%減少しました。
>アイレックス株式を100株持っていた株主は、
>1株に減ってしまったわけです。
>(今はこの「99%減資」はありません。
>100%減資のみあります。
>今は減資はするかしないかしかありません。
>減資の”資”は、資本金・資本準備金の資ではなく、まさに「株式」という意味だと思います。)

 


結論だけ言えば、旧商法下だろうが現会社法下だろうが、実は「100%減資しかできなかった(100%減資しかできない)」、となります。
株式会社の理念や概念に基づけば、「減資」や「資本金の額の減少」という日本語すら間違っているということになります。
究極的なことを言えば、累積損があるとしても、資本金を減らすことには何の意味もない、ということになるのだと思います。
資本金を減らすことは、さらに債権者の利益を害することになってしまうだけなのです。
累積損があるなら、当期純利益を計上することによって解消するしかない、ということになると思います。
企業会計原則に「資本取引・損益取引区分の原則」がありますが、
累積損は損益取引の結果であり、資本金は資本取引の結果である、ということを考えれば、
累積損を資本金を取り崩すことによって解消することは、「資本取引・損益取引区分の原則」に反することになると思います。
株式会社の理念上・概念上も、累積損を資本金を取り崩すことによって解消することは全く前提としていないわけです。
根本的な話をすれば、資本金を減少させることに債権者が同意をするはずがない、ということになると思います。
他の言い方をすれば、資本金を減少させることは、株式会社内において、
(債権者が犠牲になる形で)株主を一方的に利することになる行為である、と言えるわけです。
株式会社において債権者と株主は平等です。
一方が他方を犠牲にする形で利益を得るのは株式会社の理念や制度設計に反することであるわけです。


では例えば、資本金を99%減少させ株式数も99%減少させた上で、減少させた分と全く同じ分、増資をし新株式を発行するとしたらどうでしょうか。
減資・増資(株式の消却と発行)をセットで同時に実施するわけです。
この場合、債権者から見れば資本金の額は結局変わっていませんし、増資により会社財産(現金)が増加した分、有利になった、
とは言えると思います。
既存株主の議決権割合は結果として減少しますが、それは株主としてはもちろん承知の上で、ということになろうかと思いますが。
この場合は増資が行われる分確かに相対的に債権者にとって有利であるということは言えるとは思いますが、
理論上は累積損がある方が債権者にとって有利(会社財産の流出の可能性が減るから)であることを考えれば、
減資を行った上で増資をするのではなく、減資など全く行わずに増資だけ行われる方がさらに債権者にとって有利と言えるでしょう。
そちらの方がさらに資本金が多い状態になるわけですから。
当然、減資・増資(株式の消却と発行)がセットで同時に実施されるとしても、
そもそも先ほどの資本取引・損益取引区分の原則」に反しますし、資本金や株式数を減らすという概念もそもそも株式会社にはないわけです。
減資・増資(株式の消却と発行)をセットで同時に実施するにしても、一定の理論上の問題はあると思います。

 



旧商法下であろうが現会社法下であろうが、

株主責任を問おうとすればまさに「All or nothing」しかない。

ということになります。
旧商法下であろうが現会社法下であろうが、

株主責任を問うというのは、「会社の清算」のみを意味するのです。

会社清算に至る前に、既存株主にはいくらかの責任を取ってもらった上で、新たな株主を探し出資してもらう、
そして会社・事業を継続・再生する、
ということは、旧商法下においても本当はできなかったのです。
旧商法下においても、会社を再生させようとする場合は実は全株主の入れ替えしかなかったのです。
貸借対照表で言えば、既存株主が作ってしまった累積損は確かに既存株主の責任なのですが、
その累積損を既存株主の「出資分で埋め合わせをする」(資本金を当期未処理損失に振り替える)、
などということは実は旧商法下においてもできなかったのです。
株式会社の概念に、「資本金を取り崩して累積赤字を解消する」というような考え方は根本的なかったのです。
旧商法から現会社法に変わり、現会社法では「企業再生の柔軟性が失われた」と私は今までずっと思ってきましたが、
実はそれは大間違いであり、旧商法下でも企業再生の手法は煎じ詰めれば会社清算しかなかったのです。
旧商法でも現会社法でも、減資という場合は「100%減資」しかなかったのです。
99%減資などというものは、本当は旧商法下でもなかったのです。
資本金及び資本準備金を99%減少させなおかつ株式数も99%減少させれば、何かぎりぎりまで株主責任を取ったかのように感じてしまいます。
ところがそれは根底から間違っていたのです。
旧商法下でも現会社法下でも、株式会社の概念に基づけば、本来は、資本金及び資本準備金を減少させるという考え方自体がなく、
そして株式数を減少させるという考え方自体がないのです。

 


2013年8月29日(木) には無償増資について書きました。
無償増資自体がおかしいという点については、親会社が子会社の第三者割当増資を引き受ける際の連結上の会計処理に関連した形で、
以前にも指摘したかと思います。
端的に言えば、

(利益剰余金) xxx / (資本金) xxx

という仕訳自体がおかしい(このような仕訳は理論上あり得ない)、ということになります。
これもまた、「資本取引・損益取引区分の原則」に反しているわけです。
ただ、2013年8月29日(木) にも少し書きましたように、会社がこの仕訳を切ってくれると、
貸借対照表は債権者の利益を保護する方に向かうのだけは確かであるわけです。
無償増資自体が理論上おかしいのはおかしいのですが、資本金を取り崩すのに比べれば、債権者の利益保護には資するのは資するのです。


また、これも以前に指摘したことですが、無償増資を行うと、証券取引所での市場株価は切り下げられませんでした。
無償増資は結局のところ株式分割と同じなのですから、無償増資に合わせ証券取引所では市場株価を切り下げるべきだったと思います。
そしてこのことに関連して書きますと、旧商法下で例えば90%減資を行っても、証券取引所での市場株価は切り上がらなかったわけです。
一見、株価が切り上がらないからこそ90%減資を行うことが株主責任を問うことにつながるかのように思うかもしれませんが、
理屈では、株式数が減っているのですから、90%減資を実施すれば株価は10倍にならないといけないわけです。
もちろん、株価は10倍になってしまうと、それこそ株主責任を問うたことにならないわけですが、
無償増資では株価が切り下がらないと理論上はおかしかったのと全く同じ理由により、
90%減資でも証券取引所での市場株価が切り上がらないと理論上はある意味おかしかったと言えると思います。

以上の議論を一言でまとめますと、旧商法下だろうが現会社法下だろうが、株式会社の理念上・概念上の必然的結論として、
「会社は株式数を増やせない、会社は株式数を減らせない、会社は資本金を減らせない、会社は資本金を増やせない」、
ということになります。
株式会社には「一定割合株主責任を問う」という考え方などない、これが理論上の結論になろうかと思います。

「旧商法下においても90%減資などなかった。」

もっと謙虚に会計の勉強をしていかないといけないなと改めて思いました。