2018年6月7日(木)



最近の80日間のコメントを踏まえた上で、昨日のコメントの訂正と追記をしたいと思います。

 


2018年3月19日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201803/20180319.html

から

2018年6月6日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201806/20180606.html

までの一連のコメント

 


現物取引と先渡取引と先物取引の相違点について書いたコメント

2018年3月12日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201803/20180312.html

 


「オークション方式」に関する過去のコメント

2016年3月27日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160327.html

2016年7月13日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160713.html

 

 


今日は、昨日の「会社が株主に配当を支払うことの是非」に関するコメントに、一言だけ訂正と追記をしたいと思います。
最初の訂正は会計や商法とは全く関係がないことなのですが、昨日の記述の中で私自身に関する記述が間違っていました。
「債権者保護の趣旨に反するから昔の商法では会社は配当を支払えなかった。」ということを、
私は銀行に就職した高校の同期生から以前に聞いたのですが、その時私は大学を卒業した後の社会人の1年目か2年目でした。
昨日のコメントでは「私が大学生の頃、」と書いたわけですが、正しくは「私が社会人1〜2年目の頃、」となります。
昨日の文章では、銀行に就職した高校の同期生は高卒で銀行に就職したかのように読めるわけですが、
銀行に就職した高校の同期生は大卒で銀行に就職しており、昨日の会話は「私が社会人1〜2年目の頃、」の話でした。
次の訂正なのですが、私は昨日次のように書きました。

>「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなった」ことと「会社が配当を支払えるようになった」こと、
>法制度上どちらが先だったでしょうか。
>「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなった」ことが先だったのは間違いないわけですが、

この点についても今日改めて頭の中であれこれ考えていたのですが、理詰めで推論して導き出した答えではないのですが、
同じ日に聞いたかどうかは思い出せませんが、昨日言及しました銀行に就職した高校の同期生から聞いた話を思い出しました。
記憶を辿ってみると、旧商法の規定では、正しくは「会社が配当を支払えるようになった」ことが先であったようです。
「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなった」のは「会社が配当を支払えるようになった」後だったようです。
「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者でありさえすれば、会社が配当を支払っても債権者の利益は害されないからね。」、
という話を聞いたことを今日思い出しました。
昨日の私の推論では、会社が配当を支払いますと理論的には投資家は「株式の価額」を算定することができなくなりますので、
「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなった」ことが先だったであろう、と推論したわけですが、実際には、
旧商法の規定では、「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなった」のは法改正の最後の最後であったようです。
法制度として、債権者保護に最重点を置くならば、確かにそのような考え方になるなと思いました。
商法制度としては、確かに投資家保護よりも債権者保護に大きな重点を置くべきですから、改正の順序としては正しいと思います。
ただ、実務のことや現実のことを度外視して、理論上の話をすれば、理論上は会社は倒産しないことが前提であるわけです。
そうしますと、理論上は、債務不履行が起こる(債権者の利益が害される)ことを想定するのではなく、
「株式の価額」を算定できること(投資家の利益を保護すること)に制度設計上は重点を置くべきだ、と私は昨日考えたわけです。
それで、「会社が配当を支払えるようになった」ことは後だった、と昨日は書いたわけです。
しかし、法人の特殊性や危険性を鑑み、性悪説に立って会社の業務執行者を法制度上会社の債務の連帯債務者としているわけですから、
実務上(現実の法制度構築上)は投資家保護よりも債権者保護に大きな重点を置くべきだ、という結論になるのだと思います。
昨日の「次の質問」も含めて考えますと、過去行われた法改正の順序は、
元来の会社=「出資者は会社の株式を譲渡できない。会社は配当を支払えない。会社の業務執行者は会社の債務の連帯債務者。」
→@「出資者は会社の株式を譲渡できるようになった」
→A「会社は配当を支払えるようになった」
→B「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなった」、
となります。

 



ただ、上記の法改正の順序は法制度上債権者保護に最重点を置いた結果であり、
絶対的な論理から導き出された帰結というわけではないと個人的には思います。
なぜならば、「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者である」ことに投資家保護の意味・役割は一切なく、
「出資者は会社の株式を譲渡できる」・「投資家は『株式の価額』を算定できる」ことは
債権者には何ら関係がないことだからです。
確かに、1つの解釈方法としては、法制度上会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者とすることには、
出資者保護(委任者保護)の役割を持たせるという意味もある、という考え方・解釈もあると思います。
同じ日だったかどうかは忘れましたが、私が社会人1〜2年目の頃、昨日言及しました銀行に就職した高校の同期生からも、
「法制度上会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなったので、
債権者の利益も保護されなくなったし株主の利益も保護されなくなってしまったんだよね。」、
という趣旨のことを聞いたことを今日コメントを書きながら思い出しました。
私も当時は不勉強なものでしたので、「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者だと責任ある経営を行うものなのだろう。
会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者でないことは、株主にとっても委任をする上で不利益が生じることなのだろう。」、
と十分に理解しないまま何となく漠然とそう思いました。
ひょっとしたら、その時に聞いたその解釈は商法における通説なのかもしれません。
しかし、改めて考えてみますと、法制度上会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者とすることに、
出資者保護(委任者保護)の意味・役割があるのでしょうか。
私は昨日、次のようにも書きました。

>「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者である」ことには純粋に債権者保護の趣旨・目的しかない

「会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者である」ことには出資者保護・委任者保護の趣旨・目的もある、
という解釈が商法における通説なのかもしれませんが、理詰めで考えるとこの解釈は間違っているように思います。
なぜならば、出資者・委任者は、会社の利益を最大化させてくれると信じて業務執行者に自分のお金を託すからです。
極めて端的に言えば、「委任」にあるのは信頼関係だけなのです。
「委任」にあるのは信頼関係だけであるとは、「委任」に関しては「性善説」に立つ、という意味だと私は思うわけです。
逆から言えば、「性悪説に立って人に委任をする」ということは実はそもそも観念できないことだ、と私は思うわけです。
「性悪説に立って人に委任をする」というのは、自動車で例えれば、まさにブレーキを踏みながらアクセルを踏むことと同じです。
極めて端的に言えば、会社制度上性悪説に立って出資者保護・委任者保護を図る規定を設けることは、
「観念的に矛盾している」と私は思うわけです。
業務執行者は任された責務を果たさない恐れがある、ではそもそも「委任」にならないわけです。
「会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者とすることには出資者保護(委任者保護)の意味・役割がある。」、
という解釈は、法制度上の矛盾だと私は思うわけです。

 



また、そもそもの話、法制度上会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者とすることで、
出資者・委任者の利益は保護されるのでしょうか。
そもそもどのような状況のことを「出資者・委任者の利益は害された」と呼ぶのでしょうか。
放漫経営の結果、会社が倒産することでしょうか。
しかしそれは、委任者の責任でもあるのではないでしょうか。
「お前の放漫経営のせいで会社がつぶれたのだから出資した金を返せ。」、とは出資者はどちらにせよ受託者に言えないはずです。
たとえ法制度上会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者であっても、債務不履行時にその業務執行者が負っているのは、
あくまで「会社の債務」を連帯して履行する義務であって、「会社の資本金」を出資者に返済する義務ではないわけです。
会社は倒産はしなかったものの、業務執行者は委任者の期待未満の利益しか上げられなかったという場合、
委任者の期待利益額との差額は業務執行者が個人的に委任者に補填をしなければならない、などという考え方はないわけです。
会社における「委任」には、「会社の利益の最大化」という漠然とした利益目標しかないわけです。
端的に言えば、会社の業務執行者は利益の金額に関する債務は負っていないわけです。
会社の業務執行者は利益の金額に関しては債務者ではないわけです。
出資者・委任者との関係に関しては、業務執行者に「会社の債務の連帯債務者」という概念はないのです。
したがって、法制度上会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者としなければ、
出資者・委任者が債務不履行を起こされてしまう(すなわち、出資者・委任者の利益は害されてしまう)、
ということにはならないわけです。
その意味において、昨日書きましたように、

>債権者の利益と投資家の利益は別なのです。

したがって、法改正の結果、法制度上会社の業務執行者が会社の債務の連帯債務者ではなくなっても、
出資者・委任者の利益に影響は一切なかったのです。
なぜならば、そもそも出資者・委任者は債権債務関係の債権者ではないからです。



私は昨日、次のように書きました。

>結局のところ、「会社は日々の事業と関連のある収益獲得のための支出を行った(あくまで経営上の必要経費を支払っただけだ)。」、
>という言い訳を一切認めないために、元来の会社では会社の業務執行者は会社の債務の連帯債務者であったわけです。

この文脈における「会社の債務の連帯債務者」とは、あくまで債権者に対する連帯債務者、という意味です。
出資者・委任者に対する連帯債務者(出資金や未達利益との差額を補填する義務を負う等)という意味では決してないわけです。
債権者にとって、会社でどのような業務執行が行われようが関係がないように(粛々と債権の履行を請求するのみ)、
出資者・委任者にとっても、会社でどのような業務執行が行われようが関係がない(粛々と倒産や利益を受け取るのみ)、
というふうに、債権者の利益と投資家の利益とを概念整理しなければならないのです。
「委任」に関しては、商法では、「業務執行者は年に1回委任の結果を出資者に報告して下さいね。」、
という「委任」や「会社運営」の枠組み・概要のみ定めるべきであって、
「もしも業務執行者が委任者の信頼を裏切ったとしたら?」について定めるのは間違いなのです。
なぜならば、そう考えてしまったら、それはそもそも「委任」ではないからです。
例えば善管注意義務は、商法の規定以前の「委任」の概念の話であるわけです。
逆から言えば、善管注意義務を果たす人を出資者は業務執行者として委任をするわけです。
この点、債権者は、業務執行者を委任したりはしていません(弁済期日に債権の履行をするという約束しかしていない)ので、
法制度上会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者とすることで、債権者の利益を保護する必要があるのです。
結論を言えば、法制度上会社の業務執行者を会社の債務の連帯債務者としても、実は出資者・委任者の利益は保護されないのです。

 


It is no use making a person who executes operations of a company a Joint and Several Obligor,
in the case of investors, actually.

会社の業務執行者を連帯債務者にしてもダメなんだよ、出資者の場合はね。