2016年7月13日(水)
2016年7月13日(水)日本経済新聞
LINE株 応募倍率25倍 海外勢の関心高く
(記事)
過去の主な関連コメント
2016年3月27日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160327.html
【コメント】
今年の3月の下旬に、何回かに分けて、新規上場時の「公開価格」についてコメントを書きました。
その中で、一般競争入札方式とブックビルディング方式とを比較して考察を行いました。
特に、2016年3月27日(日)
のコメントでは、
「一般競争入札方式とブックビルディング方式の違い」
(The difference between a public
auction method and a book-building
method.)
という比較対照表を作成しました。
そして、一連のコメントの中で、本来の意味の一般競争入札方式(オークション方式)は、
これまで実務上も一度も行われたことはなく、教科書などにも載っていないようだ、と書きました。
それで、このたびのLINE株式会社の新規上場が、日米同時上場ということで、話題になっていますので、
最近改めて新規上場時の「公開価格」や一般競争入札方式(オークション方式)について考えているところであるわけです。
今日のLINE株式についての記事を読み、改めて2016年3月27日(日)
のコメントと作成した比較対照表を見てみたのですが、
「ブックビルディング方式」の説明がやや実務よりになっていることに気付きました。
そこで、この時の「ブックビルディング方式」の説明をさらに理論面から考えてみました。
より具体的に言えば、「ブックビルディング方式」から、証券会社による買取引受をなくして考えてみました。
そちらの方が、一般競争入札方式とブックビルディング方式の違いがより明確になると思いました。
「ブックビルディング方式」から、証券会社による買取引受をなくした公募方法を、
一般競争入札方式と対比させて、私は「一般抽選落札方式」と名付けました。
証券会社による買取引受は、現実的な理由により実務上行われているだけのことであり、
理論的にはやはりおかしな株式の取り扱い方法だと思います。
ですので、理論面に徹するべく、「ブックビルディング方式」から証券会社による買取引受をなくして考えてみました。
次の表が、修正版比較対照表とでも言うべき、一般競争入札方式と一般抽選落札方式の比較対照表になります。
「一般競争入札方式と一般抽選落札方式の違い」
(The difference between the public auction
method and the public lottery method.)
(PDFファイル)
(キャプチャー画像)
「一般競争入札方式と一般抽選落札方式のメカニズム」
(The mechanism of the public auction method
and the public lottery method.)
(キャプチャー画像)
(キャプチャー画像)
言葉足らずな部分もあろうかと思いますが、「一般競争入札方式と一般抽選落札方式の違い」について書いてみました。
実務上の手続きの理由から、この理論の通りに株式の公募が現実に行えるわけではない(特に一般競争入札方式は)とは思いますが、
本来的な一般競争入札方式を理解する上では、有用な資料になると思います。
純粋なオークション方式では、投資家は、新規上場株式を、公募株式への応札価格の順に買うことができるのです。
In the pure auction method, the ratio of the number of shares which
investors apply to to the number of shares which
are publicly offered (which
is "a little less than 25" in this case) is relatively meaningless.
From a
viewpoint of a newly-listed company, whether the total amount of bids which
respective prior investors make
on the public-offering shares exceeds the
amount of cash which the company expects to raise is important.
純粋なオークション方式では、公募株式数に対する投資家の応募株式数の倍率(この事例では「25倍弱」)は、
相対的には意味を持ちません。
新規上場企業の立場から言えば、高い値を付けた各投資家が公募株式に対して付けた応札価格の合計額が、
企業が調達しようと思っている金額を超えるかどうかが重要なのです。
In the pure auction method, the higher bid an investor makes on
public-offering shares,
the higher the possibility that the investor can buy
the share successfully becomes.
On the other hand, in the public lottery
method, the larger the number of shares which an investor applies to
becomes,
the higher the possibility that the investor can buy the shares
successfully becomes.
純粋なオークション方式では、投資家が公募株式に対して応札する価格が高ければ高いほど、株式を落札する可能性は高くなります。
一方、一般抽選落札方式では、投資家が応募する株式数が多くなれば多くなるほど、株式を落札する可能性は高くなります。
天皇陛下が、天皇の地位を生前に皇太子さまに譲る意向を宮内庁関係者に示されていることが13日、分かった。
同庁が近く陛下の意向を公表することを検討しているという。
82歳の陛下は、憲法上の国事行為のほか、被災地訪問など公務を精力的にこなしている。
関係者によると、現在、健康上大きな問題はないが、高齢となる中で、今後数年以内に譲位をしたいとの意向を周囲に示したという。
現在の皇室典範は皇位継承について「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が、直ちに即位する」などと規定。
天皇の生前退位を定めた規定はなく、今後国会などで典範改正を含めた議論が必要となる。
陛下は1989年の即位後、皇后さまと公務で国内外を訪問。天皇としての外国訪問は91年の東南アジア3カ国が最初で、
92年には歴代で初めて中国を訪れた。
戦後60年の2005年にはサイパン、戦後70年の15年にはパラオ、今年はフィリピンを訪れ、戦没者を慰霊した。
91年の雲仙・普賢岳噴火をはじめ、95年の阪神大震災、11年の東日本大震災など、被災地を慰問。
今年も3月に復興状況視察のため福島、宮城両県を、5月に熊本地震の被災地を訪れた。
心臓バイパス手術を受けた12年、79歳の誕生日会見で、公務について「今のところしばらくはこのままでいきたい」と話し、
15年の82歳の誕生日会見では、「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」
と老いについて率直に話していた。
宮内庁は今年5月、皇居で人と会う公務を減らす見直しを発表。両陛下は11日から14日まで、
神奈川県葉山町の葉山御用邸で静養している。
(時事通信 2016/07/13-23:35)
ttp://www.jiji.com/jc/article?k=2016071300851
【コメント】
天皇陛下が、天皇の地位を生前に皇太子さまに譲る意向をお持ちである、とのことです。
記事には、皇室典範について、
>天皇の生前退位を定めた規定はなく、
と書かれています。
インターネット上には、皇室典範の解説記事がありました↓。
皇室典範とは
(一般財団法人日本文化興隆財団)
ttp://www.nihonbunka.or.jp/knowledge/tennpann
こちらの皇室典範の解説記事にも、
>一方、退位についての規定はありません。
と書かれています。
しかし、退位についての規定はないかもしれませんが、即位についての規定はあるわけです。
皇位の即位については、
>第4条には「天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位する。」と規定されており
と書かれています。
この第4条は、「天皇が崩じていない時は、皇嗣は即位しない。」という意味になります。
天皇の地位に「空位」という概念はない(天皇がいないという状態は常識的にも憲法上も想定されない)ので、
天皇は存命時に退位することはできない、という解釈になります。
結論だけを言えば、天皇陛下は、天皇の地位を生前に皇太子さまに譲ることはできないのです。
皇室典範の改正をすれば生前退位もできる、と言ってしまうと、確かに法律論としてはできるのかもしれませんが、
天皇の地位というのは、誰かに選ばれてなるものではないわけです。
親が、「もうやめる」と言って親をやめることができるでしょうか。
子が、「もうやめる」と言って子をやめることができるでしょうか。
生まれた時からそうであることに、やめるもやめないもないわけです。
選挙か何かで天皇に選ばれたのであれば、やめるのもいいでしょう。
しかし、皇室の考え方というのは、選ばれてなるものではなく、自然となるものなのだろうと思います。
自然となるものに、自分の意思でやめる、という考え方はないはずです。
また、戦前の民法では、夫婦は死別しない限り離婚はできなかったと聞いています。
夫が、「俺もう夫やめる」と言ってよいのであれば、夫婦ははじめからもたないわけです。
妻が、「私もう妻やめる」と言ってよいのであれば、夫婦ははじめからもたないわけです。
夫も妻も親も子も、同じではないでしょうか。
人間としての地位に、やめるという概念はないはずなのです。
夫が夫をやめる時というのは死ぬ時であり、妻が妻をやめる時というのは死ぬ時であるわけです。
その覚悟がないのなら、夫にも妻にも親にもなるべきはないのです。
そして、同じく戦前の民法では、長男が「俺もう長男やめる」とは言えなかったわけです。
長男が次男に「お前が長男になってくれないか」と言っていいのであれば、家ははじめからもたないわけです。
次男にとっても、「長男に生まれたかったなあ」と言っても、何も始まらないわけです。
戸主も戸主で、存命中に、「俺もう戸主やめる。これからは長男のお前が戸主をやってくれ」という考え方はなかったわけです。
「生まれた時から決まっていることだ」という考え方は、覚悟を決めて生きる上で、
実は人にとって非常に重要なことであるように思えます。
「生まれた時から決まっていること」を受け入れた上で、よりよい人生を歩んでいけるよう、人は努力をして生きるべきなのです。
「もしこうであったなら」という考えほど、人を不幸にするものはないのです。
天皇の地位も同じではないでしょうか。
天皇の地位にやめるという考え方はないのです。
インターネット上の記事を読んでいますと、皇室典範の改正をはじめとする法律論の話ばかりが取り上げられていますが、
事の本質は、天皇の地位に「途中でやめる」という概念はない、ということではないかと思います。
戦前の家では、戸主が家の象徴であったように、現在の日本では、天皇が日本の象徴なのです。
天皇は戸主です。
戸主が生前に「俺もう戸主やめる」では、家はもたないのではないでしょうか。
The present Emperor is not ready to kick back yet.
今上天皇は、まだお休みになる御準備はなされていません。