2018年6月4日(月)



最近の77日間のコメントを踏まえた上で、昨日書きましたコメントに追記する形で、
「会社の決算の開示の有無」について一言だけ補足をしたいと思います。

 


2018年3月19日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201803/20180319.html

から

2018年6月3日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201806/20180603.html

までの一連のコメント

 


現物取引と先渡取引と先物取引の相違点について書いたコメント

2018年3月12日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201803/20180312.html

 


「オークション方式」に関する過去のコメント

2016年3月27日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201603/20160327.html

2016年7月13日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160713.html

 

 


昨日のコメントの最後では、以前書きました「配当を行わない会社(制度)の場合は決算を行う必要がない。」という点について、
改めて考察を行い、この論点について補足や追記を行いました。
昨日書きましたコメントを図にしてと言いますか表(マトリックス図)にして整理を行ってみました。
このマトリックス図を見ますと、なぜ私が以前、
「配当を行わない会社(制度)の場合は決算を行う必要がない。」と書いたかがより分かると思います。
マトリックス図の、右下が現代の上場企業、右上が元来の上場企業、左下が古今の非上場企業、に該当します。
左上は、最古の非上場企業(上場はしない最古の会社)と言えるかと思います。
法制度全体で見た場合(両方の法律の改正を大きな視点から見た場合)、「会社は配当を支払えるようになった」のが先なのか、
「出資者は会社の株式を譲渡できるようになった」のが先なのか、どちらが先であったのか正確なところは分かりませんが、
理詰めで推論すれば、「出資者は会社の株式を譲渡できるようになった」のが先であったであろうと思います。
つまり、会社は会社制度上配当を支払えないままであったのだが「出資者は会社の株式を譲渡できるようになった」、
という改正の経緯があったであろうと思います(根拠法としてはどちらも商法になりますが)。
なぜならば、理論上の話をすれば、会社が配当を支払えるようになりますと、
出資者が「株式の価額」を算定し予想をするのが非常に難しくなってしまうからです。
会社制度上「会社が配当を支払えるようになった」のは、実は相対的には近年になってからのことだ、と推論できるかと思います。
ただ、「出資者は株式の譲渡は行えない」ならば会社が株主に配当を支払うことにも一定の合理性が出てくる、
というようなことは言えるとは思いますが。
いずれにせよ、現代の会社制度・証券制度では、
「会社は配当を支払うことができ、なおかつ、出資者は会社の株式を譲渡することができる。」という制度になっているわけです。
改正の歴史(会社制度の変遷)を理詰めで推論しますと、描きましたマトリックス図で言えば、
大まかに言えば「左上→右上(→左下)→右下」という順番になります。
少なくとも「左上→左下(→右上)→右下」という順番ではないのは確かだと思います。
先ほども書きましたが、「会社が配当を支払えるようになった」のは相対的には近年になってからのことだと推論できるからです。
「配当可能な金額の算定」と「株式の価額の算定」とは、一見すると両者には大きな共通点や類似性があるように思えるわけですが、
少なくともそれぞれの「目的」は根本的に異なっているのです。
会社法上の「事業報告」と金融証券取引法上の「有価証券報告書」とは、
実務上はその記載内容のほとんどが重複しており、したがって、両報告書を統合しようという主張も近年では出てきています。
実務上のことを考えれば、それも1つの考え方であろうとは思います。
しかし、少なくともそれぞれの「目的」は根本的に異なっているのです。
敢えて言うならば、会社法上の「事業報告」の方は簡素化しても理論上は問題はないと言えると思います。
理論的には、会社法上の「事業報告」の目的は「結果報告」(委任の結果の報告)であり(制度上「委任者保護」の趣旨がある)、
「株式の価額」の算定や「将来予想」では全くないからです(その分「事業報告」を簡素化しても会社制度上の問題はない)。
会社法上の「事業報告」では、将来の話をする必要は全くないのです。
会社法上の「事業報告」では、純粋に過去の話だけをすれば、それで必要十分なのです。
将来の話をする必要があるのは、金融証券取引法上の「有価証券報告書」の方なのです。
会社制度上は、出資者(委任者)は将来のことも含めて受託者に委任をしているわけなのですから、
会社法上の「事業報告」で将来の話をする必要は全くないのです。
会社制度上は、委任者が会社の将来のことを案じたり予想をしたりする意味や効果・効力や必然性は全くないのです。
「配当可能な金額の算定」と「株式の価額の算定」とは、一見すると両者には大きな共通点や類似性があるように思えるわけですが、
前者はあくまで「会社制度」の問題であり、後者はあくまで「証券制度」の問題(株式の譲渡に関する問題)なのです。

 


「どの会社がどのような目的で決算を行わなければならないのか?」

(PDFファイル)

(キャプチャー画像)




In theory, the purpose of a company system and that of a securities system
are fundamentally different from each other.
In practice, the purpose of "Business Reports" in the Companies Act and
that of a "Securities Report" in the Financial Instruments and Exchange Act are fundamentally different from each other
In that sense, items and contents stated in the former reports and those in the latter report
should be different from each other in theory.
In theory, the former reports are much simpler than the latter report.
For investors don't have to calculate nor expect the value of a share of a company in the context of a company system.

理論的には、会社制度の目的と証券制度の目的は根本的に異なるのです。
実務的には、会社法上の「事業報告」の目的と金融商品取引法上の「有価証券報告書」の目的とは、根本的に異なっているのです。
その意味において、会社法上の「事業報告」に記載される項目や内容と
金融商品取引法上の「有価証券報告書」に記載される項目や内容とは、理論的には異なっているべきなのです。
理論的には、会社法上の「事業報告」は金融商品取引法上の「有価証券報告書」よりもはるかに簡素なものなのです。
というのは、会社制度という文脈では、出資者は会社の株式の価額を算定し予想をする必要がないからです。

 

It is true that people say "The greater also serves for the lesser."
In practice, it can be admitted that a "Securities Report" in the Financial Instruments and Exchange Act
also serves for "Business Reports" in the Companies Act.
For the latter report is much more detailed and has much larger volumes than the former reports.
But, in theory, to put it abstractly, "Business Reports" in the Companies Act are seeing only the past,
whereas a "Securities Report" in the Financial Instruments and Exchange Act is seeing the future.

確かに、「大は小を兼ねる。」と言います。
実務上は、金融商品取引法上の「有価証券報告書」が会社法上の「事業報告」を兼ねることも認めることができるでしょう。
というのは、金融商品取引法上の「有価証券報告書」は会社法上の「事業報告」よりもはるかに詳細ではるかに分量が多いからです。
しかし、理論上は、抽象的に言えば、会社法上の「事業報告」は過去のみを見ているのに対し、
金融商品取引法上の「有価証券報告書」は将来を見ているのです。