2017年8月29日(火)



昨日までの一連のコメントに一言だけ追記をします。
今日のコメントも、どちらかと言うと最近の一連のコメント全てに関連のあるコメントになります。
今日は、昨日までの一連のコメントと関連する形で「のれん」と「減損」について書きたいと思います。

 


過去の関連コメント

2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html

2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html

から

2017年8月28日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170828.html

までの一連のコメント。

 

「理論的には、有価証券報告書は公務員が作成しなければならない。」という趣旨の直近のコメント

2017年8月19日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170819.html

 

「私法と公法(私と公)との境界というのは実は曖昧なものだ(理論で明確に線が引けるものではない)。」という趣旨のコメント

2017年8月18日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170818.html

 



今日は、2017年8月22日(火)のコメントの続きと言いますか、本当は2017年8月22日(火)に書きたかった内容になります。
2017年8月22日(火)と2017年8月22日(火)以降のコメントも、2017年8月21日(月)以前のコメントの続きになってしまった
わけでなのですが、2017年8月22日(火)には、「公務員の職務」とは何か、という点について考える上で、
「のれん」と「減損」はよい題材になると思い、関連する記事を計9つ紹介したわけです。
ここ7日間は、「賦課課税制度」や「自動登記制度」や「土地の所有権」を題材に、関連する重要な議論を書いてきたのですが、
ここ7日間のコメントも、煎じ詰めれば、「公務員の職務」とは何か、という議論と関連があることなのです。
ここ7日間のコメントの要点を書きますと、次のようになります。

○法人税の納付は従来は「申告納税制度」ではなく「賦課課税制度」であった。
 従来は会社に法人税額計算のための公務員が常駐していた。
○不動産の登記は従来は「申請による登記」ではなく「登記官の職権による登記」であった。
 従来は土地取引の相手方は国のみであった。

簡単に言えば、現在の取引形態と比較すると、公務員が主体となって取引に関与していた、と言っていいわけですが、
それはあくまで「当事者の利益保護」や「当事者が果たすべき義務」を側面から支援・強化するという明確な目的を持って
職務を遂行していたという意味であり、取引の意思決定に関与していたという意味では全くないわけです。
取引に関する意思決定の部分というのは、全て当事者が決めていたわけです。
以上のように、「この文書だけは絶対に間違っていてはならない。」ということが社会的に要請される場面では、
社会的な利益の保護のため、その文書の作成に公務員が積極的・主体的に関与をしなければならないわけです。
上記の例で言えば、税の納付のための文書は、すなわち、「法人税の納付書」は、公務員が作成しなければならないわけです。
また、不動産の登記簿は、当事者の申請によることなく、職権に基づき、公務員が作成しなければならないわけです。
そして、2017年8月21日(月)以前のコメントで書いたことですが、証券市場における証券取引に問題が生じてしまうと、
社会的影響が非常に大きいことから、「有価証券報告書は公務員が作成なければならない。」、
という結論に理論的には実はなるわけです。
記載内容が間違っていた場合の社会的影響(投資家は投資判断ができず証券市場が機能不全に陥る)の大きさを鑑みれば、
「有価証券報告書は絶対に間違っていてはならない。」ということが社会的に要請されると言えるわけです。
有価証券報告書を公務員が作成するとなりますと、当然のことながら、会社の財務諸表も公務員が作成するということです。
この場合、かつて会社に法人税額計算のための公務員が常駐していたように、
財務諸表作成のための公務員が会社に常駐する、ということになります。
ただ、この場合の財務諸表というのは、「有価証券報告書に記載する財務諸表」という意味です。
すなわち、「専ら投資家保護を目的として証券市場に開示する財務諸表」という意味です。
「受託者が委任者に対して経営の結果を報告するための財務諸表」という意味では全くありません。
「受託者が委任者に対して経営の結果を報告するための財務諸表」は公務員は作成しません。
その財務諸表は社会的な利益とは関係がないことだからです(そのような財務諸表の作成は公務員の職務では決してない)。
社会的なインフラストラクチャーと言える証券市場を保護するという社会的な目的があるからこそ、
「専ら投資家保護を目的として証券市場に開示する財務諸表」を公務員が作成することが社会的に正当化されるわけです。
より実務的に言えば、商法上の営業報告書(現在の会社法上の事業報告)に記載する財務諸表は取締役が作成しますが、
証券取引法(現在の金融商品取引法)上の有価証券報告書に記載する財務諸表は理論的には公務員が作成しなければならない、
というふうに「財務諸表の理論上の作成者」を整理できるわけです。

 


「理論的には、有価証券報告書は公務員が作成しなければならない。」という趣旨のコメントは、
直近では2017年8月19日(土)のコメントで書いています。
2017年8月19日(土)のコメントを併せて読んでいただければと思います。
2017年8月19日(土)のコメントを引用すれば、「受託者が委任者に対して経営の結果を報告するための財務諸表」というのは、
純粋に受託者と委任者のみに関係がある財務諸表ということになりますから、たとえその財務諸表に間違いがあっても、

>その影響を受けるのは会社の既存株主だけであるわけですが(その問題は、純粋に委任者と受託者との間だけの問題に限定される)

ということになるわけです。
一方、「専ら投資家保護を目的として証券市場に開示する財務諸表」というのは、
市場の投資家全員にとってそれぞれの投資判断の根拠となるものでありますから、万が一その財務諸表に間違いがありますと、

>その影響を受けるのは市場の全投資家であるわけです(その問題は、取締役と既存株主との間だけの問題に限定されはしない)。

ということになるわけです。
2017年8月18日(金)のコメントの最後に、
「私法と公法(私と公)との境界というのは実は曖昧なものだ(理論で明確に線が引けるものではない)。」
という趣旨のコメントを書きました。
私は2017年8月18日(金)のコメントの最後に、

>上場企業や証券取引と言いますと、まさに私人間の取引そのものであるとも言えるわけですが、

と断った上で、

>「何が公のことであり何が私のことなのかは、実はその社会的位置付け(その事柄の定義)次第である。」

という結論になると書きました。
私が書いています理論では、「証券市場を『公』のもの(社会のインフラストラクチャー)」と定義しているわけです。
私の理論に基づけば、証券取引法(現在の金融商品取引法)は「公法」(の側面が非常に強い法律)ということになります。
実際に過去施行されてきた証券取引法(現在の金融商品取引法)でも、一定の行為には刑事罰が科されてきているわけなのですが、
そのことだけを見ても、証券取引法(現在の金融商品取引法)は始めから「公法」の部分があったのは確かかと思います。
「上場する(株式を公開する)」は英語で「go public」と言いますが、
上場有価証券というのはまさに「public」(公のもの)と言っていいわけです(証券取引所は私ではなく公なのです)。
「public」には、まさに「公務の, 公事の」という意味もあります。
投資家間で行う証券取引それ自体は私人間の取引そのもの(純粋に私人間の取引)であるわけですが、
そこで取引されている有価証券はまさに「公」のもの(私的な有価証券では決してない)だ、と考えなければならないわけです。
取引を行っている人同士は純然たる私人であっても(公人ではありませんが)、その私人は公のものを取引しているのです。
ですので、上場有価証券の取引には公法による支援や関与が必要であり、また、そのことは社会的に正当化されるものなのです。