2017年7月11日(火)
死亡届(法務省)
ttp://www.moj.go.jp/ONLINE/FAMILYREGISTER/5-4.html
関連するコメント
2017年6月15日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170615.html
2017年6月16日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170616.html
2017年7月8日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170708.html
2017年7月9日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170709.html
【コメント】
近年、土地所有者が分からないことに伴う問題が相次いでいる、とのことです。
土地所有者が分からない原因について、記事には、
>相続手続きがされていない相続未登記の土地が数多くあるのだ。
と書かれています。
この点についてなのですが、固定資産税の徴収に関する記述を見て「ああそうか」とピンと来たのですが、
少なくとも「所有者が死亡者(故人)かどうか」だけははっきり分かるな、と思いました。
なぜなら、所有者が死亡者であれば死亡届が提出されているはずだからです。
すなわち、不動産の所有者が死亡届が提出されている人の場合は、文字通り「死亡者が所有している」という状態ですので、
その不動産は国が没収するということが理論的には全く可能であるわけです。
その不動産は相続がなされなかった不動産(すなわち、所有者がいない不動産)という位置付けになりますから、
国がその不動産を没収することは、公共の利益の観点からも所有権絶対の原則の観点からも問題はない、ということになります。
一応相続人らによる相続手続きの最中かもしれませんので、死亡日の翌日から10ヶ月以上経過していれば、
その不動産は国が没収してよい、と不動産の所有権について整理をするべきでしょう。
逆から言えば、概念的になりますが、死亡者は死亡した後も死後10ヶ月間は所有権を有する(不動産を所有することができる)、
という言い方ができると思います。
簡単に言えば、相続の登記をしていない場合は、死亡日の翌日から10カ月が経過すると所有者は国になると考えるべきなのです。
相続人が相続税を納付しなかったということは、相続人は相続をしなかった、という意味です。
相続人は、不動産を相続したから不動産に関する相続税を納付するのです。
相続税を納付したから不動産を相続するのではないのです。
つまり、不動産に関しては、必ず「相続登記が先」(相続税の納付は後)なのです。
不動産を相続したことを証さないといけませんので、相続登記なしに不動産に関する相続税を納付することはあり得ないのです。
興味深いなと思ったのですが、記事には、
>問題の根っこには「登記簿には記載がなくとも、真の所有者の権利が保護される」という我が国独特の考え方がある。
と書かれていますが、そもそも「真の所有者」を明確にする手段が登記なのですから、この主張はあべこべかと思います。
登記簿なしに一体どうやって不動産の真の所有者を明らかにするのでしょうか。
登記簿には、始めから完全な公信力が与えられています。
所有者が死亡している場合は、善意の人が登記簿上の所有者と取引をすることはあり得ません。
その意味において、所有者が死亡している場合は第三者に対する所有権について争いが生じることはないのです。
性質上、死亡届には死亡者が自分自身で提出できないという特徴がありますが、死亡者は他者と取引を行うことはできないのです。
例えば兄弟3人で死亡した母の遺産分割協議を行う場合、長男であるAさんによる不動産の相続には、残り兄弟2人は合意をしています。
ですので、Aさんが相続登記を怠ったことに関連して、Aさんと残り兄弟2人との間で所有権に関する争いが生じることはないのです。
長男であるAさんが相続した不動産について、全くの第三者がその不動産は俺のものだと主張することは理論的にはあり得ますが、
残り兄弟2人のどちらかが長男であるAさんに対しその不動産は俺のものだと主張することは理論的にはあり得ないのです。
その意味において、相続登記の不備(所有者が母のままであること)は相続人間においては全く本質的ではないのです。
過去の関連コメント
2017年7月10日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170710.html
>新株式発行の適法性のようなこと(主張や立証等等)は、
>会社法上のことのみが争点となり、金融商品取引法上のことは基本的には争点とならないのです。
と書きました。
また、(金融商品取引法ではなく)会社法から見た第三者割当増資と公募増資の違い(両者に公正性に違いはあるか?)について、
>既存株主にとっては、第三者割当増資であろうが公募増資であろうが、実は会社法上の結論は同じなのです。
と書きました。
それで、本日2017年7月11日(火)付けの日本経済新聞の記事を読みながら、何か関連する論点はないだろうかと思いました。
様々な論点がある事例と言えるのかもしれないな、記事を読んでいて気になる点は人それぞれだろう、
書こうと思えば様々な角度から論じることができる事例だな、と思いながら記事を何回も読み直してみたのですが、
STS株式の取引価格について、日立とフィンメカニカとの間の相対取引では譲渡価額は1株9.5ユーロであり、
日立によるSTS株式に対する公開買付の買付価格は同じく1株9.5ユーロであったにも関わらず、
日立がSTS社からの第三者割当増資を引き受けた際の引受価額は1株10.5ユーロであった、
という点が議論の題材になるように思いました。
日立がSTS社からの第三者割当増資を引き受ける時には、市場における株価が上昇し、
日立は1株9.5ユーロで引き受けることはできなかった、ということだろうかと思いました。
日立は、「STS株式には、1株当たり9.5ユーロの価値がある。」とみてギンメカニカからはSTS株式を相対取引で取得しましたし、
市場の一般投資家からも公開買付により1株当たり9.5ユーロでSTS株式を買い付けることにしたわけです。
それなのに、日立がSTS社からの第三者割当増資を引き受けた際の引受価額は1株10.5ユーロであったということは、
日立は、「STS株式には、1株当たり10.5ユーロの価値がある。」とみていた、ということ意味するわけです。
この評価の上昇の背景には何があるのだろうか、と思ったわけです。
もちろん、日立は51%という取得割合が経営上の絶対条件だったので、追加取得に際して1株当たり1ユーロ上積みした、
という見方はできる(上積み理由は、STS株式の価値の増加かもしれませんしそれ以外の諸般の事情かもしれません)とは思います。
しかし、日立が51%という取得割合にこだわった理由、やはり議決権であるわけです。
STS株式に議決権がないならば、日立が51%という割合にこだわる理由は全くないわけです。
日立は、1株当たり9.5ユーロの対価を支払うことで、自分が納得をするまでSTS株式を買うだけであるわけです。
その際に、合計何株式買うかということに客観的な指標はないはず(自分の投資判断で決める話)なのです。
日立が、株式の保有とは無関係にSTS社と協働しているのなら、何の問題もない(協働の詳細を開示すればよい)のですが、
株式の保有を条件に協働しているというような状況下ですと、市場の投資家にとっては株式の取引が不安定になってしまうでしょう。
日立がSTS社との協働を止めた途端に、STS株式の価値は下落してしまうからです。
これは「STS社が日立との協働を継続するか止めるかは日立が決められる」という状況下ですから、問題が大きいわけです。
STS社が(自社の利益を最大化させるため)自分の意思に基づいて他社との業務提携を止めるのとは意味が異なるわけです。
日立が、STS株式を1株当たり10.5ユーロで引き受けることができたのは、
意思決定機関の支配によりSTS株式の価値を1株当たり1ユーロ高めることができると判断できたからであるわけですが、
そう判断できる時点で、日立は市場の投資家よりも多くの情報を得ている、という言い方もできると思います。
簡単に言いますと、「私が株式を買ったから株式の本源的価値が増加する。」というような状況は生じてはならないわけです。
なぜなら、その人の株式の取引が、他の投資家の取引に影響を及ぼすことになってしまうからです。
投資家甲さんの株式投資と投資家乙さんの株式投資は関係がないはずです。
投資家甲さんが株式を購入するとその株式の本源的価値が増加する、という状況下では、
投資家乙さんは安心して株式投資を行うことができないのです。
発行者のディスクロージャーだけではなく、他の投資家の投資行動をも気にしなければならない、ということになるわけです。
株式の本源的価値(清算時の残余財産の分配金額)は、受託者による業務執行のみによって決まるべきなのです。
そして、市場の投資家は、受託者による業務執行のみ(ディスクロージャー)に基づき、株式の取引を行うべきなのです。
株式に議決権がありますと、「誰かが議決権の過半数を取得するかもしれない」という不安が投資家間に生じるわけです。
株式に議決権がない場合は、誰が議決権の過半数を取得しても何の問題もない(投資家には何の影響も与えない)のです。
この記事の日立の事例では、STS社の株主である日立がSTS社と協働をしていることが話を複雑にしているのだと思います。
市場の投資家とは異なり、日立だけが知っているSTS社の内情があったのではないか、
などと言い出すと、株式の取引についてどんな疑惑でも生じることでしょう。
市場の投資家同様、日立もSTS社が行うディスクロージャーのみに基づき、STS株式を取引しなければならないわけです。
そもそもの話をしますと、株式の本源的価値とは、残余財産の分配金額のことを指すのだと思います。
そして、発行者のディスクロージャーに基づき、株式の本源的価値(残余財産の分配金額)について投資家おのおのが予想をし、
株式の本源的価値(残余財産の分配金額)は100円以上だと予想した投資家と
株式の本源的価値(残余財産の分配金額)は100円以下だと予想した投資家とが市場で出会うことで、
株式に100円の値(株価)が付くわけです。
株価とは、おのおのの株式の本源的価値(残余財産の分配金額)の予想に基づき株式の取引が行われた取引成立価格のことです。
その意味において、「株式の本源的価値=株価」では決してないのです。
たとえ株価が100円でも、残余財産の分配金額が100円であるとは限りません。
残余財産の分配金額は100円以上かもしれませんし100円以下かもしれません。
それは「どちらの投資家の予想が正しかったか」で決まる話なのです。
株式の本源的価値(残余財産の分配金額)に関する予想が市場の全投資家で同じである場合は、
市場で株式の取引が成立することはありません。
日立の事例を参考にして一般論を言いますと、投資家は発行者の業績に影響を与えてはならない、という言い方ができると思います。
投資家が発行者の業績に影響を与えることができる場合は、その投資家は株式の購入時も売却時も他の投資家よりも有利だからです。
今日紹介した記事には非常に示唆に富む内容を含んでいる(論じるべき論点が非常にたくさんある)なと思っているのですが、
言葉足らずで分かりづらい部分もあろうかと思いますが、十分に頭の整理ができないまま思いつくままに考えを書いてみました。