2017年7月9日(日)


2017年7月8日(土)日本経済新聞
会社員副業、知るべき税金 事業・雑所得は「自分で納付」も
(記事)

 

過去の関連コメント

2017年6月20日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170620.html

2017年6月28日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170628.html

2017年7月8日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170708.html

 


【コメント】
昨日2017年7月8日(土)のコメントに一言だけ追記をします。
2017年6月28日(水)のコメントでは、2017年6月20日(火)のコメントを踏まえ次のように書きました。

>2017年6月20日(火) のコメントで、所得税に関連し、法理的には、納税者による申告(自己申告)などはない、と書きました。
>その理由は、納税者が作成する確定申告書は私文書に過ぎないからだ、と書きました。
>法理的には、納税者は、公文書(税務署から送付される納付書)に基づき、所得税を納付しなければならないわけです。
>法理的には、相続税も同じ考え方になるわけです。
>法理的には、相続人は公文書に基づき相続税を納付しなければならないわけです。

法理的には、「税務当局は納税者の全ての取引を知っている」という理論的前提を置くわけです。
法理的には、その理論的前提に基づき、所得税や相続税に関する納付書を税務署が納税者に送付し、
納税者はその納付書に従い所得税や相続税を税務署に納付する、と考えるわけです。
その意味において、理論的には、昨日の事例に即して言えば、母が死亡したことを原因として相続が開始された時点で、
税務当局は死亡時点における「母の全財産」(相続人から見れば「母の全遺産」)を当然に把握している、と考えるわけです。
理論的には、税務当局に把握できない母の財産はないわけです。
税務当局は、各相続人の相続内容も当然に把握していますから、相続内容に基づき、
各相続人に相続税の納付書を送付する(相続人による相続税の自己申告は不要)、という流れに理論的にはなるわけです。
以上の理論的な考え方を参考にしますと、昨日のコメント(昨日の事例)とは異なり、
「母の遺産が後になって発見される」ということ自体が理論的にはない、ということになるわけです。
そうしますと、母の死亡から数年たった後、被相続人の取引の相手方から借地権者に対し支払われる補償料は、
その申し出があった時点の借地権者(すなわちAさんのみ)の固有の財産だ、という捉え方になるわけです。
申告納税制度ですと、被相続人の死亡から何年か経って後に被相続人の財産(遺産)が発見されることが現実にはあり得るわけですが、
理論上の納税制度ですと、被相続人の財産(遺産)は死亡時点で確定するわけです。
ここに、被相続人の財産(遺産)に関する概念の対立があるわけです。
昨日の事例に即して言いますと、申告納税制度ですと、母の遺産が増加したもの、という捉え方になる(をするべきだ)わけです。
一方、理論上の納税制度ですと、地主とAさんとの取引に過ぎない(被相続人・母は全く関係ない)、という捉え方になるわけです。
昨日の事例とコメントに関して言うと、補償料は、煎じ詰めれば「母が死亡したことが原因」で支払われることになった、
という言い方をしてよいかと思います(つまり、Aさんの才覚や人脈等が原因で支払われることになったわけではない)。
「母が死亡したことが原因」で金銭が支払われることになったのであるならば、
その金銭は法定相続人皆のものである(すなわち、その金銭は法定相続人間で平等に分割するべき)という考え方になるわけです。
他の言い方をすると、母が生前住んでいた家を兄弟3人のうち誰が相続をしていても、件の補償料は支払われることになっていた、
とこの場合は言っていいわけです。
ですので私は、その補償料は法定相続人間で平等に分割するべき(Aさんの固有財産ではない)と言っているわけです。
「Aさんが相続したことが原因」でAさんが相続後所得を得たのならば、その所得はAさん固有の所得だ、と私は思うわけです。
補償料が支払われることことになった原因は、母が死亡したことが原因であって、Aさんが相続したことが原因ではないわけです。

 



母が死亡してから何年も経ってから地主から申し出があったということで、
被相続人の遺産の確定時期に現実にズレが生じてしまった(本来は死亡時点で確定するはずが何年も経過して確定することになった)、
ということに昨日の事例ではなっているわけです。
理論上の納税制度ですと、「被相続人の遺産は死亡時点で確定する」わけです。
なぜなら、理論上は、税務当局は被相続人のことも相続人のことも全て知っているからです。
ただ、この点に関してさらに考察を深めてみますと、昨日の事例に即して言いますと、
税務当局は理論上も地主が補償料を支払うことは死亡時点では分からない、と言わねばならないと思います。
なぜなら、理論上、税務当局に分かるのは、現時点と過去の取引や財産のことであって、
将来の取引や財産については理論上も分からない(将来の取引や財産についても把握できるという理論的前提ではない)からです。
そうしますと、母が死亡してから何年も経ってから地主から申し出があったということに関しては、
相続とは関係がない(母の死亡とは関係がない)こと(取引)だ、という捉え方をせざるを得ない、
という考え方に理論上の納税制度ではなるわけです。
理論上の納税制度では、地主から借地権者(Aさん)に支払われる補償料はやはりAさん固有の財産、という結論になるわけです。
理論的には、母が死亡してから何年も経ってから地主が申し出る、ということまでは税務当局は把握できないわけです。
母の死亡時点では地主は補償料の申し出をすることを考えていなかった(母が死亡したと聞いて補償料の支払いを考え始めた)、
という状況であるわけですから、税務当局からすると、その事実(潜在的増加遺産)を把握することは時間的にあり得ないわけです。
母の死後地主から借地権者に対して支払われる補償料(母の死亡を原因とする借地権の解除に関する補償)は、
実態や実情を鑑みれば、母の遺産の一種なのですから法定相続人間で分けるべきものであるわけですが、
理論的には(法律上の線引きとしては)、借地権者のみが受け取るべきもの、という考え方になるわけです。
地主は、借地権者がAさんではなくたとえ弟さんのBさんであっても、補償料を借地権者に支払っているわけです。
なぜなら、地主は、借地権者が誰かに関わらず(誰が建物を相続したかとは無関係に)、
母の死亡後建物が空き家になっていることに関して(空き家であることを原因として)
補償料を支払うことにした(そして借地権を解除することにした)からです。
その点において、補償料は母の遺産の一種だ、という捉え方を現実にはするべきなのです。
ただ、原理原則に立ち返り、「税務当局は納税者の全ての取引を知っている」という理論的前提を置いて考えてみますと、
たとえ「税務当局は納税者の全ての取引を知っている」としても、現実にはそれだけで平等な相続が実現できるとは限らない、
ということに、昨日の事例について考えていて気付きました。
様々なことを原因として、被相続人の死後遺産が増加する、ということがあり得るからです。
「被相続人の死後増加する遺産」については、いくら理想的な理論的前提を置いても、税務当局は把握できないのです。

 

All that the tax authorities can know is the present and the past transactions and property of taxpayers.
Even the very ideal tax authorities on the theory don't know the future transactions and property of taxpayers.
The scope of taxation is the past.

税務当局が知ることができるのは、納税者の現在と過去の取引と財産だけなのです。
理論上の最も理想的な税務当局でさえ、納税者の将来の取引と財産については知らないのです。
課税の範囲は過去なのです。