2016年2月18日(木)


ここ5日間のコメントに一言だけ追記します。


2016年2月13日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201602/20160213.html

2016年2月14日(日)
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2016年2月15日(月)
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2016年2月16日(火)
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2016年2月17日(水)
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論じたい論点は、資産の貸借対照表価額は何を表しているのか、そして、減損処理とは何か、についてです。
まず最初に資産の貸借対照表価額についての結論を書きますと、これは元祖財務諸表論になりますが、
「資産の貸借対照表価額は将来の損金算入可能金額を表している。」となります。
取得した資産を次期以降に譲渡する場合、その資産の取得原価が当期末の貸借対照表に計上されるわけです。
この取得原価は、譲渡に伴い、文字通り収益を実現させるための原価(費用)となり、法人税法上取得価額は損金となるわけです。
元来的な貸借対照表の作成方法のことを取得原価主義と表現することがありますが、
その理由は、取得原価が資産譲渡に伴い法人税法上損金になるからだと思います。
他の言い方をすれば、貸借対照表の資産の価額は、取得原価でなければならず、将来の損金となるものでなければならないわけです。
このことは、元来的な貸借対照表の作成方法は、結局のところ、法人税法の定めに従っていなければならない、
ということと同じであるように思います。
例えば、有形固定資産の減価償却手続きであれば、有形固定資産は法人税法の定めに従って減価償却手続きを行わなければならず、
貸借対照表の有形固定資産の価額は、法人税法の定めに従って減価償却を行った場合の未償却残高でなければならない、
と考えなければならないのだと思います。
貸借対照表の有形固定資産の価額に大きな影響を与えるのは、減価償却期間(耐用年数)であろうと思います。
減価償却期間(耐用年数)も、当然のことながら、法人税法の定めに従わなければなりません。
法人税法の定めよりも、長い減価償却期間(耐用年数)も認められませんし、短い減価償却期間(耐用年数)も認められません。
法人税法の定めに従った減価償却期間(耐用年数)が、債権者に帰属する利益にも株主に帰属する利益にも中立な年数だ、
と考えなければならないわけです(会社が任意に減価償却期間(耐用年数)を設定するのは元来的には認められないわけです)。

 



このように書きますと、では資産の減損処理はどうなるのだ、という疑問が浮かびます。
私は今までに何回も、資産の減損処理は適正に行っていくべきだ、と書いてきました。
資産の減損処理とは、資産の貸借対照表価額を取得原価とは異なる価額にすることであり、
また、法人税法上の将来の損金の金額とは異なる価額にすることです。
私が今までに何回も、資産の減損処理は適正に行っていくべきだ、と書いてきましたのは、
たとえ貸借対照表の価額が取得原価とは異なる価額になろうとも、債権者保護の観点から、
利益剰余金の金額を減少させるべき(社外流出可能な財産の金額を減少させるべき)だ、という考えがあったからであるわけです。
端的に言えば、減損処理を行う理由は債権者保護の観点が理由なのです。
資産の回収が不可能であるは、簡単に言えば、損失を計上する(損金算入が不可能である)、という意味です。
ですので、保守主義の原則の観点から、損失はできる限り早期に計上することが望ましいので、
資産の減損処理は適正に行っていくべきだ、という結論になるわけです。
私のこの考え方は正しいのは正しいと思います。
特に、債権者保護の観点から言えば、やはり正しいわけです。
ただ、債権者の利益を保護すれば保護するほど、株主の利益は減少することになります。
法人税法に従った資産計上方法が債権者の利益にも株主の利益にも中立な資産計上方法であると考えるならば、
資産の減損処理は明らかに株主の利益を害しているわけです。
減損処理では回収可能な価額まで資産の価額を減少させるとは言うものの、そもそも回収可能な価額など分からないわけです。
さらにそもそもの話をするならば、私が思うに、元来的な考え方としては、
「そもそも資産は『将来に全額回収可能である』ということを前提に貸借対照表に計上される。」
ということだと思います。
資産の取得原価が将来に法人税法上損金算入されないことは絶対にない、ということを前提にして、
貸借対照表は作成されるのだと思います。
少なくとも、それが元祖貸借対照表理論だと思います。
言い方を変えれば、資産の取得原価は将来に法人税法上必ず損金算入される、ということを前提にして構築されたのが、
元祖貸借対照表理論だと思います。
この理論的前提があるからこそ、資産の貸借対照表価額は取得原価であるということが正当化されるわけです。
元祖貸借対照表理論上、資産の取得原価が将来に法人税法上損金算入されないことは、全く想定していないわけです。
この元祖貸借対照表理論から考えますと、資産の減損処理を行うことは、言わば自己矛盾であるわけです。
なぜなら、資産の減損処理は、資産の取得原価が将来に法人税法上損金算入されないことを前提に行うからです。
元来的な考え方から行きますと、資産の減損処理という考え方はない、ということになります。
以前のコメントで、私は”資産の減損処理の定めは明治三十二年(1899年)商法からあった”などと書いてしまいましたが、
これは大間違いです。
正確なところは図書館に行ってみないと分かりませんが、推論をするならば、
おそらく1981年(昭和56年)改正商法から減損の定めが盛り込まれたのではないかと思います。
それ以前は、商法に減損の定めはなかったと思います。
訂正しお詫びいたします。

 


また、貸借対照表(そしてもちろん損益計算書もですが)は法人税法の定めに従って作成しなければならない、
それが債権者の利益にも株主の利益にも中立な作成方法だ、となりますと、
引当金の計上もまた1つの議論になろうかと思います。
私は今までに何回も、引当金は適正に計上するべきだ、と書いてきました。
端的に言えば、引当金を計上するべき理由は、減損処理を行う理由と同じく、債権者保護の観点が理由です。
また、現金支出期以前の各期の負担金額を合理的に見積もることができる場合は、
結局のところ、費用・収益対応の原則を守ることが引当金計上の理由になります。
現金支出自体は将来のある1時点であっても、その現金支出を行うに至った原因・理由は、
それ以前の各期各期にある(各期各期に収益を獲得している)、と考えるならば、
各期各期に帰属している負担額を引当金として費用計上することは、費用・収益対応の原則に適うわけです。
したがって、引当金計上は適正に行っていくべきだ、という結論になるわけです。
私のこの考え方は正しいのは正しいと思います。
特に、債権者保護の観点から言えば、そして、適正な期間損益計算という観点から言えば、やはり正しいわけです。
ただ、元来的には、法人税法では引当金計上による費用は損金として認められません。
現金支出を行ってもいないのに、費用を損金として認めるというのは、法人税法の趣旨に反するでしょう。
また、引当金を計上すると、利益剰余金が減少するわけですから、株主に帰属する利益が減少してしまいます。
法人税法に従った財務諸表作成方法が債権者の利益にも株主の利益にも中立な資産計上方法であると考えるならば、
引当金の計上は明らかに株主の利益を害しているわけです。
以上のようなことを踏まえますと、元来的には、貸借対照表に引当金を計上するという考え方はない、ということになります。
元来的には、商法にも引当金の定めはなかったと思います。
これも推論になりますが、減損の定め同様、おそらく1981年(昭和56年)改正商法から引当金の定めが盛り込まれたのではないか、
というふうに思います(正確なところは図書館に行って確認して下さい)。

 



結局のところ、元祖財務諸表理論から見ると、資産の減損処理にせよ引当金の計上にせよ、
私が適正に行うべきだと書いてきたことは、株主の利益を害することである、
という見方になってしまうわけです。
元祖財務諸表理論から見ると、資産の減損処理も引当金の計上も、間違いであるわけです。
ただ、元祖財務諸表理論が前提としていることとして、「将来の益金額は事前に分かる。」ということが挙げられるかと思います。
「将来の益金額は事前に分かる。」からこそ、「資産の取得原価は将来損金算入される。」という前提が置けるのではないでしょうか。
将来の益金額が事前に分からないのであれば、資産の取得原価は将来必ず損金算入されるとは言えないことになりますから、
貸借対照表に資産を取得原価で計上する根拠が失われてしまうわけです。
そうしますと、将来の収益額と将来の現金支出額とを対応させるべく、現金支出期以前に引当金を計上する、
という考え方も出てくるのではないか、という気がするわけです。
法人税法では、現金収入や現金支出が確定していることが何より重要という立場に立っています。
元来的な確定決算主義という考え方は、現金収入と現金支出が既に確定している、という意味合いがあるのではないか、と思います。
したがって、法人税法としては、引当金計上による費用は損金として認められない、という立場になるわけです。
しかし、企業会計としては、「将来の益金額は事前に分かる。」のであれば、引当金計上後の当期純利益がそして利益剰余金が、
債権者の利益にも株主の利益にも中立だ、という見方になってくるわけです。
資産の減損処理にしても、資産の取得時は将来取得原価は損金算入されるという前提で取得したのだが、
経営環境の変化を受けて、今現在では資産の取得原価のうち将来損金算入される金額はこれだけになってしまった、
だから、「将来の益金額は事前に分かる。」のだから、今現在分かっている「将来損金算入される金額」まで資産を減損処理する、
企業会計としては、「将来の益金額は事前に分かる。」のであれば、減損処理後の当期純利益がそして利益剰余金が、
債権者の利益にも株主の利益にも中立だ、という見方になってくるわけです。
「将来の益金額は事前に分かる。」という部分について、減損処理では言わば事後的に訂正・修正をしていますので、
その点だけはやはり理論的には自己矛盾の側面もあるわけですが、減損処理の理論的背景は以上のようなことになると思います。
以上のような理論的背景を踏まえますと、資産の減損処理も引当金の計上も、会計理論上は是である、ということになると思います。

 


以上を踏まえ、あとは、財務諸表が法人税法の定めとは乖離することを法制度としてどれだけ容認するか、だけの話になるわけです。
「将来の益金額は事前に分かる。」ということを前提に置きますと、
基本的考え方に加え、さらに非常に多くの派生的な考え方や定めが考えられるわけです。
組織再編行為で発生するいわゆる「のれん」に関しても、「将来の益金額は事前に分かる。」のであれば、
発生時に費用処理するのではなく、規則的に償却するという会計処理方法も考えられるということになると思います。
ただ、このようなことも考えられる、いや、あのように考えてみることもできるのではないか、
といった具合に、言い出すときりがありませんので、元祖財務諸表理論では、
確かに「将来の益金額は事前に分かる。」ものの、各期の厳密な益金額までは分からず、
「資産の取得原価は将来損金算入される。」ということだけは分かる、という理論的前提を置いているのだと思います。
また、理論的自己矛盾を避けるため、「資産の取得原価は将来損金算入される。」という取得時の前提はその後修正することはない、
という理論的前提を置いているのだと思います。
そして、恣意性や不確実性がありますと、何とでも言えてしまう部分があります(正しいかどうかの判断基準にはならない)ので、
「金額が確定している」ということも、利益の金額が債権者の利益にも株主の利益にも中立であると考えるためには必要だ、
という理論的前提を置いているのだと思います。
法人税法の損金には、資産の取得原価のほかに、給与などの営業費用もあります。
それら営業費用と資産の取得原価の全てを損金算入できるだけの十分な益金を会社は将来獲得できる、
ということを元祖財務諸表理論では理論上の前提としているのだと思います。
結論を簡単に言えば、
「一定度の範囲で『将来の益金額は事前に分かる。』」
ということを元祖財務諸表理論では前提としているわけです。
元祖財務諸表理論では、
減損処理も引当金の計上も行わない取得原価主義に従った財務諸表が
「債権者の利益にも株主の利益にも中立であると考えられる財務諸表」である、
という考え方になるのです。