2017年9月1日(金)
昨日までの一連のコメントに一言だけ追記をします。
今日のコメントも、どちらかと言うと最近の一連のコメント全てに関連のあるコメントになります。
今日は、昨日までの一連のコメントと関連する形で「のれん」と「減損」について書きたいと思います。
過去の関連コメント
2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html
2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html
から
2017年8月31日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170831.html
までの一連のコメント。
「のれん」と「減損」についての記事を紹介しているコメント
2017年8月22日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170822.html
昨日は、2017年8月30日(水)のコメントの補足を書くだけで終わってしまったのですが、
今日は、2017年8月22日(火)に紹介している「のれん」と「減損」についての記事についてコメントを書きたいと思います。
ただ、昨日のコメントを書き終わった後に思い付いたことがありますので、
まず最初にその点について一言だけ書きたいと思います。
合併の会計処理と合併の対価としての株式と株式の交換について、私は昨日次のように書きました。
やや長くなりますが、この部分が合併という行為の本質であろうと思いますので、引用します。
>@貸借対照表の変動(合併受入)とA株式の取引(合併対価の割当交付)とは理論的には関係がない
>合併に伴い存続会社の資本金額が増加したのは、新株式を対価に取得を行ったからでも何でもなく、
>消滅会社と法人格が同一化したからというだけなのです。
>合併の結果、消滅会社の資本金額の分、存続会社の資本金額も増加した、というだけなのです。
>株式の交換は存続会社の貸借対照表に影響を与えない
>極論すれば、両会社の株主が納得しさえすれば合併比率は何株対何株であってもよいわけです。
>この株式の交換は、(手続き上割当交付をするのは存続会社ではあるものの)会社とは独立して行われることであるわけです。
>一言で言えば、法人格を同一化するだけなのですから、合併受入仕訳は消滅会社の貸借対照表のみで決まるのです。
>合併に際し、存続会社は新株式を発行しますが、それは純粋に「消滅会社株式の代わり」になるものとして発行するに過ぎず、
>そこに「発行価額」という概念はない(したがって、新株式発行に伴う資本金額の増加などはない)のです。
>一言で言えば、合併においては、新株式を発行したから資本金額が増加したというわけではない、という理解が大切だと思います。
>存続会社の資本金額は、(新株式の発行によってでは全くなく)「法人格の同一化」によって増加したのです。
>一言で言えば、「合併の場合は、存続会社が新株式を発行しても、その新株式に『発行価額』に相当する概念はない。」のです。
>「消滅会社の資本の部の金額÷合併に際し存続会社が発行した新株式数」という計算式(割り算)には、何の意味もないのです。
>A share has no value in it. (株式に価額はないのです。)
それで、昨日のコメントを書き終わった後に思い付いたことというのは、無対価の合併の場合と言いましょうか、
存続会社が消滅会社株主に1株も割当交付をしないという合併について、ふと頭に思い浮かんだのです。
これは、消滅会社が存続会社の完全子会社の場合というわけでは全くなく、
資本関係が全くない場合(要するに一般の場合)についても理論上はあり得る合併と言えるのではないかと思います。
合併の本質が「法人格の同一化」にあるのならば、
「消滅会社株主が存続会社株主になること」は副次的な事象に過ぎないことだ(あくまで結果に過ぎない)、と言えると思います。
したがって、消滅会社株主と存続会社株主が「0株対xxx株」という合併比率に同意をするのならば、
存続会社が消滅会社株主に1株も割当交付をしないという合併も理論的にはあり得る、ということになるわけです。
この場合、存続会社は合併に際して文字通り1株も新株式を発行しないわけなのですが、
1株も新株式を発行しないにも関わらず、合併に伴い存続会社の資本金額は増加するわけです。
新株式を発行しても資本金額が一切増加しない、という新株式発行(すなわち、株式の無償発行)は聞いたことがあると思いますが、
一般の資本関係にある会社間の無対価の合併では、
新株式は一切発行していないのに資本金額が増加する、という極めて稀な事象が生じるのです。
おそらくこのような事象が生じるのは、無対価の合併の場合のみだと思います。
以上「無対価の合併」を題材にして考えましたように、一般に、合併では新株式の発行と資本金額の増加に全く関連がありません。
一般に、合併における新株式の発行には、「発行価額」という概念はないのです。
敢えて合併における新株式の「発行価格」を算出しようとすれば、
「消滅会社の資本の部の金額÷合併に際し存続会社が発行した新株式数」
といった計算(割り算)をすることになりますが、分母と分子の間に理論的整合性が全くない(分母と分子が関係ない)のです。
また、例えば「無対価の合併」の場合は、分母(割る数)が0であるわけです。
割り算自体は小学校の低学年で初めて習うと思うのですが、数を0で割ることはできない(分母に0はこない)、
ということも小学校で習うのではないかと思います。
最初に昨日書きましたコメントを引用しましたが、再度書きますと、
「合併に伴い存続会社の資本金額が増加したのは、消滅会社と法人格が同一化したからというだけである。」
「新株式発行に伴う資本金額の増加などはない。」
「新株式を発行したから資本金額が増加したというわけではない。」
と昨日書きましたが、これらはそういう意味なのです。
完全親子会社間でもないのに「無対価の合併」があり得るのかと思われるかもしれませんが、
例えば、高齢の会社創業者が引退を考えており、事業や株式を誰かに引き継いでもらいたいと思っているのだが、
身寄りもなく高齢のため特に譲渡の代金はいらないと考えており、また、その会社は営業上数多くの許認可を得ているため、
無対価で会社を類似の会社にそのまま吸収してもらうことにした、という状況が現実には考えられると思います。
やや悪い言い方をすれば、合併という行為の会計処理では、会社側の会計処理と株主の側の会計処理とが必然的にずれるわけです。
この場合の「ずれる」とは、「対称性がない」という意味です。
私がいつも言っていることですが、取引を捉える際は常に取引の相手方(「取引の対称性」)を考えなければなりません。
そして、その「ずれる」理由は、存続会社は資産・負債・資本は消滅会社から承継するにも関わらず、
その対価は消滅会社の株主に支払うからです(取引が全く非対称になっている)。
@貸借対照表の変動(合併受入)とA株式の取引(合併対価の割当交付)とがずれるのは必然的なことなのです。
今日書きました論点(合併の特徴)については、「無対価の合併」が本質を理解する極めて分かりやすい事例になると思います。
理解の助けにしていただければと思います。
では、2017年8月22日(火)に紹介している「のれん」と「減損」についての記事について、いくつかコメントを書きたいと思います。
ただ、2017年8月22日(火)に紹介している「のれん」と「減損」についての記事は、連結上の事例ばかりだと思います。
連結上のれんに関して言えば、被取得会社の純資産と取得会社が判断する被取得会社の株式の価値(株式取得価額)との間には、
必然的に差異が生じます(簿価=株式の価値ではない)ので、連結上のれんが生じるのもまた必然である、ということになります。
連結上のれんに関しては特に言うことはありません(現行の会計処理方法(資本連結)で正しいと思います。)
連結上のれんをどのように償却もしくは減損処理を行っていくかについてですが、
恣意性がないように連結上ののれんは規則的に償却する、というのも1つでしょうし、
連結上ののれんは発生時に(資本連結時に)一括償却する、というのも1つだと思います。
後者の場合は、投資差額はもはや「のれん」というより、その差額分は費用処理するというだけ、という見方になるでしょうが。
さらに、連結上のれんは適宜減損テストを行う(のれんは減損処理にて減額する)、というのもまた1つだと思います。
ただ、改めて連結上ののれんについて考えてみますと、以前書いたこととはある意味正反対になりますが、
連結上ののれんは一切償却も減損処理もしない、という考え方にも一定の理があるようにも思えます。
例えば、ある資産をある価格で購入したとします。
しかし、その資産をその価格で買ったという事実について、高く買ったも安く買ったもないのではないでしょうか。
果たしてその資産は高く買ったのかそれとも安く買ったのか、という点について答えを出すのが会計ではないはずです。
例えばその資産に関して譲渡損が計上された場合は、周りから見ると、それは高く買ってしまったということではないか、
という言い方ができるだけであり、買った本人は適正な価格(将来譲渡益を稼得できる価格)で買っただけであるわけです。
要するに、譲渡損を計上したのは結果論に過ぎない、という言い方もできると思うわけです。
会計というのは、譲渡益や譲渡損を認識する手段であって、損益にについては取引が行われた後になって分かることであるわけです。
取引(購入した資産の譲渡)を行う前は、高く買ったのか安く買ったのかは会計では分からないわけです。
そういったことを考えますと、取得会社が「のれんが計上される価格」で被取得会社の株式を取得したとしても、
「株式を高く買ってしまった」ということには全くならないわけです。
例えば、文字通り株価で(プレミアム率0パーセント)である会社の株式を取得したとします。
それでも、連結上のれんは計上されるのです。
この価値判断(被取得会社の株式の評価)に、高く買ったも安く買ったもないのではないでしょうか。
確かに、会計上連結上ののれんは発生するわけですが、それは純粋に簿価と取得価額(適正な価格)との差額に過ぎないわけです。
そののれんを償却したり減損処理したりする必要があるのか、という考え方はあると思います。
連結上ののれんは、簿価と取得価額(適正な価格)との差額に過ぎないのですから、
その価値が減少する、という観念もないはずなのです。
取得会社は、取得した株式には価値があると思っているわけですが、
簿価と取得価額(適正な価格)との差額そのものには特に価値があるとは思っていないわけです(価値があるもないもないはず)。
差額は差額であって、その差額は始めから何らかの価値を表しているものではないわけです。
連結上ののれんを償却も減損処理もしないと連結利益剰余金が過大に計上されていることになるのではないか、
と思われるかもしれませんが、乱暴に言えば、連結利益剰余金の金額は特段何を意味しているわけでもないと思います。
これは連結財務諸表と呼ばれる財務諸表(会計技術)の限界と言ってもいいと思います。
連結上ののれんが連結貸借対照表に計上されることは間違いではない、という考え方はあると思います。
確かに、のれんそのものは資産ではない、という見方はできると思います。
その観点から言えば、資産ではないものを資産の部に計上するというのは間違っている、という結論になります。
しかし、それを言うなら、例えば連結利益剰余金の金額は、
これまで稼ぎ出してきた利益額の累計額を表しているわけでは全くないわけです。
例えば、支配獲得時以前に連結子会社が稼ぎ出し社内に蓄積してきた利益剰余金は、資本連結により全て消去されます。
連結子会社の設立と同時に支配獲得をした(つまり、親会社が子会社を設立した)のならこの問題は生じないのですが、
一般的には、長年事業を営んできた既存の会社の株式を取得することを支配獲得と呼ぶわけです。
連結会計というのは、法律上の観点を度外視して構築された理論体系であるわけです。
個別貸借対照表に資産ではないものを計上するのは間違っているかもしれませんが、
連結貸借対照表に資産ではないもの(特に、連結会計の基盤の1つも言える株式の取得と直接的に関連がある勘定科目)を
計上することは間違いとは言い切れないように思うわけです。
むしろ、株式を取得する際にどれだけの投資差額が生じたのか、を連結貸借対照表に明記するというのも、
連結財務諸表ということを考えれば、決して間違ってはいないように思うわけです。
連結貸借対照表を見て、分配可能な剰余金の金額を計算する株主はいませんし、
債権の回収可能性を判断する債権者もいないわけです。
連結財務諸表というのは、個別財務諸表とは全く違う位置付けのもの、という捉え方をしてもよいと思います。
端的に言えば、個別貸借対照表とは資本金が何に使われたかを示すものです。
しかし、連結貸借対照表は、連結貸借対照表に計上されていない資本金が、すなわち、連結子会社の資本金が、
何に使われたのかまで表示しているわけです。
連結貸借対照表では、貸方(資金の調達源泉)と借方(資金の運用の結果)との間に全く整合性がないわけです。
確かに、連結子会社の資本金は親会社が出している、ということで、
やはり貸方と借方には一定の理論的整合性があるという論理立てで、連結貸借対照表は作成されているのだとは思います。
それは分かるのですが、連結会計では法律の枠組みは全て取り払って理論を構築している、という点を鑑みますと、
資産ではないものを貸借対照表に計上するという連結会計特有の考え方を導入するのも理論的には間違いではないように思います。
連結子会社の支配を獲得するに際し、親会社はこれだけの差額を支出した、という、
言わば「連結会計版取得原価主義」という考え方を導入しても理論的には間違いではないと思います。
連結ベースで見ると、言わばのれんというのは取得原価なのです。
取得原価に高いも安いもあるでしょうか。
のれんを償却するというのは、投資差額をなくすことを、すなわち、簿価と取得価額を一致させることを意味します。
しかし、それに何の意味があるのでしょうか。
簿価と取得価額(株式の公正な価格)は始めから一致しないのではないでしょうか。
連結上ののれんは、何らかの償却を行う必要もなければ減損処理を行う必要もない、
というのも1つの理論上の答えである気がします。
のれんに関しては、譲渡可能か否か、といった観点から論じられることがありますが、
連結ベースで資産を譲渡するなどという考え方は始めからないわけです。
そもそも譲渡とは、法律上の観念ではないでしょうか。
連結上ののれんを論じる時に、譲渡可能か否か、という観点を持ち込むのは、連結会計理論の前提からして、全く的外れなのです。
「連結上の取得原価を認識・表示する。」、という新たな目的を導入すると、連結上ののれんはそのまま連結貸借対照表に計上する、
という1つの結論を導き出すことができるのではないかと思いました。