2017年8月22日(火)
過去の関連コメント
2017年7月25日(火)
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2017年7月27日(木)
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までの一連のコメント。
2017年4月26日(水)日本経済新聞 大機小機
減損会計の難しさ
(記事)
2017年4月26日(水)日本経済新聞
日本電産「買収で減損ゼロ」 適正価格■経営関与■シナジー 53件目は独社
今期、12%増益見通し
(記事)
2017年4月21日(金)日本経済新聞
日本郵政が巨額減損 数千億円規模か 豪子会社巡り検討
(記事)
2017年4月22日(土)日本経済新聞
日本郵政が前期一括計上 減損、最大4000億円規模 豪子会社巡り
(記事)
2017年4月22日(土)日本経済新聞
郵政 買収戦略に甘さ 子会社、改善見通せず 国際物流路線つまずき
買収コスト
企業に重荷 競争激化、08年度から7割拡大
(記事)
2017年4月26日(水)日本経済新聞
郵政、初の赤字転落 前期最終400億円 負の遺産一括処理
2次売却に懸念も
(記事)
2017年4月27日(木)日本経済新聞
日本郵政の減損 「企業価値向上」 民営化委委員長
(記事)
日本郵政の損失処理「企業価値高まる」 民営化委員長
政府の郵政民営化委員会の岩田一政委員長は26日の記者会見で、
日本郵政がオーストラリアの物流子会社トール・ホールディングスで4千億円の減損処理をしたことを巡り、
「最終的に日本郵政の企業価値が高まる」との考えを示した。
岩田氏は昨年10月の委員会でトール社の構造改革が必要と訴えていたが、
今回の処理について「そうしたことに応えるものだ」と評価した。
トールでは全従業員の4%にあたる1700人の人員削減を実施する。
ただこの日の委員会では一部の委員から「今後の事業モデルの青写真を描かずに人員削減すると組織が萎縮するだけ。
事業の全体像を整理してほしい」との注文も出たという。
(日本経済新聞 2017/4/26
19:37)
ttp://www.nikkei.com/article/DGXLASFS26H3Y_W7A420C1EE8000/
>理論的には、あたかも「不動産の取引を行うと自動的に登記が行われる」かのように
>(まさに、「賦課課税制度」では取引を行うと自動的に所得税の納付書が送付されてくるように)、
>不動産の取引というものを捉えなければならないと私は思うわけです。
>理論的には、不動産というのは当事者がわざわざ申請しなくても当局により自動的に登記されるのです。
この点について、不動産登記法の教科書の記述を見ますと、不動産登記には、
@申請主義の原則とA共同申請の原則という2つの基本原則があるようです。
@申請主義の原則とは、当事者の申請がない限り、登記官が勝手に登記すること(=職権による登記)はない、という原則です。
A共同申請の原則とは、不動産の買主と売主が共同で申請をしなければならない、という原則です。
当たり前のことですが、買主のみが1人で申請をしても、受け付けてもらえないわけです。
昨日のコメントでは、登記は表面上は義務ではないが本質的には登記が譲渡だ、という趣旨のことを書きましたが、教科書には、
>登記は自分の権利を守るために行うものなので、登記をするかどうかは本人の意思に任せてあるのです。
と書かれていまして、現行の不動産登記法上も登記を行うことは義務ではない、という解釈になっているようです。
しかし、昨日のコメントの趣旨(”理論的には、不動産の登記は所得税でいう「賦課課税制度」と同じ仕組みであるべきだ。”)
を踏まえた上で不動産の登記について考えてみますと、理論的には現行の解釈は実は正反対である、という結論になるわけです。
すなわち、昨日のコメントの趣旨を踏まえますと、理論的には、
不動産の登記には実は「職権による登記」しかない、という結論になるわけです。
当事者が申請を行うのではなく登記官が当然に職権として登記することが不動産登記なのです。
@申請主義の原則というのが、実は理論的には間違っているわけです。
@申請主義の原則が間違っていますと、論理的に、A共同申請の原則も間違っている、という結論になります。
「不動産の登記には、理論的には(当事者の申請ではなく)登記官の職権による登記しかない。」、という結論に辿り着いた時、
私は37年程前の出来事を思い出しました。
1980年か1981年のことだったと思うのですが、私は近所に住む年配の人から次の2つのことを聞いた記憶があります。
○以前は役場は24時間開いていた。
○以前は不動産登記は申請しなくてよかった。
昨日と今日の議論では2つ目のことが重要だと思うのですが、申請しなくても役場が勝手に登記していた、と聞いた記憶があります。
私はその時、購入した人が言わないと国の人には分からないのではないか、と尋ねたのですが、
その人は、国の人は何でも知っているから、と答えていたように思います。
今思い変えてしてみると、まさに「賦課課税制度」の不動産登記バージョンがかつて実際に行われていた(概ね1979年より前は)、
ということになるわけですが、理論上ではなく実務上「賦課課税制度」と同じ仕組みの不動産登記が行われていた、
という話を聞いたことを思い出して、「人間がやる以上、一定の仕組みが必要なはずだ。」と思いました。
すなわち、「不動産の取引が行われたことを役場の人が必ず知っている。」ということを担保するための仕組みが
「賦課課税制度」の不動産登記バージョン(以下、「自動登記制度」と呼ぶことにしましょう)を実践するためには必要だ、
と思いました。
では、どうすれば「不動産の取引が行われたことを役場の人が必ず知っている。」という状態になるでしょうか。
答えは1つかないように思いました。
すなわち、「不動産の取引は役場でのみ行う。」が結論(必要となる仕組み)だと思いました。
現在、市中の不動産業者が行っていることを役場の担当のある課が行うようにすれば、
不動産登記をもれなく行うことができるわけです。
そして、不動産登記をもれなく行うためには、不動産を相対取引で譲渡することを認めない、という考え方も別途必要になります。
たとえ売主と買主との間で不動産の譲渡を行っても(例えば、両者が譲渡に合意し買主は売主に不動産の代金を支払っても)、
所有権移転の登記は受け付けない(当事者が登記の申請をするという考え方自体がない、と言えると思います。)と考えるわけです。
例えば、売主の甲さんと買主の乙さんが甲所有の不動産の譲渡に合意をしたならば、
甲さんは一旦役場に所有不動産を売却し、そしてその直後乙さんが役場からその不動産を購入する、
という手続きになる(役場は売却と購入の都度、自動的に不動産登記を行う。)わけです。
甲さんから乙さんに直接不動産を譲渡することはできない(直接の譲渡では不動産登記の変更ができない)のです。
この場合、「登記簿上の所有権者が人から人に変更になることはない。」ということになります。
「登記簿上の所有権者は、人から役場へ変更になるか、役場から人へ変更になるか。」しかない、ということになります。
例えば、登記簿上の所有権者が空欄の場合は当然に国所有の不動産、という考え方になるわけですが、
登記簿上の所有権者が直接に人から人へ書き換わることはない(必ず一旦国(”空欄”)を挟むことになる)わけです。
極めて簡単に言えば、不動産というのは「役場でしか買えないし役場にしか売れない。」という特徴がある目的物であるわけです。
不動産登記を即時に・確実なものとするためには、常に国が不動産取引の相手方になるしかない、という結論になるわけです。
常に国が不動産取引の相手方になっていれば、登記から申請という概念が消えるわけです。
不動産登記における「自動登記制度」を実現するためには、常に国が不動産取引の相手方になることが必要なのです。
また、この場合、当然に、「不動産の価格はある価格に固定される。」(国が不動産の価格を決める。)ということになります。
極めて簡単に言えば、不動産というのは、「国が決めた価格でしか役場で買えないし国が決めた価格でしか役場で売れない。」
ということになるわけです。
ここである設例を設けてみましょう。
売主甲さん所有の不動産の価格(国が決めた取引価格、所有不動産の言わば”時価”)を100円、所得税率を40%としましょう。
そして、買主乙さんと売主甲さんとの間で、所有不動産の贈与(無償譲渡)について合意をしたとしましょう。
不動産登記において「自動登記制度」が行われていた時代では、甲さんは国にしか所有不動産を売れません。
また、乙さんも国からしかその不動産を買えません。
したがって、実質的な所有不動産の贈与(無償譲渡)を実現するため(乙さんに一切の金銭負担なしに不動産を移転させるため)、
甲さんは乙さんに不動産の購入代金を寄附することにしました。
所得税を考慮し、甲さんは乙さんに「166.66円」寄附しました。
乙さんは甲さんから「166.66円」の寄附を受けました。
そして乙さんは税務当局に寄附に関する所得税「66.66円」を納付しました。
乙さんの手元には「100円」残っています。
甲さんは国に所有不動産を100円で売り、そしてその直後乙さんは国からその不動産を100円で買いました。
これで甲さんから乙さんへ、実質的な所有不動産の贈与(無償譲渡)が実現したわけです。
この時の乙さんの課税関係について再度見てみましょう。
乙さんを法人と見なしますと、一連の取引の仕訳は次のようになります。
(現金) 166.66円
/ (受取寄附金) 166.66円
(支払所得税) 66.66円 (現金) 66.66円
(不動産) 100円
(現金) 100円
翻って、現行の所得税法(法人税法)では、この所有不動産の贈与(無償譲渡)はどのような取り扱いとなるでしょうか。
現行の所得税法(法人税法)では、受贈益が認識されますので、その分の所得税分も別途寄附することにします。
乙さんを法人と見なしますと、直接に不動産を贈与(無償譲渡)したとしますと、一連の取引の仕訳は次のようになります。
(現金) 66.66円 / (受取寄附金) 66.66円
(支払所得税) 26.66円
(現金) 26.66円
(不動産) 100円 (受贈益) 100円
(支払所得税) 40円
(現金) 40円
両設例の仕訳はそっくり(乙の立場から言えば実質的に同じ)であることが分かると思います
すなわち、現行の所得税法(法人税法)の規定のように、「不動産は時価で贈与を受けたもの」と考えると、
本当は当事者間で直接に不動産の無償譲渡を行っただけなのに、その経済的効果(課税関係その他)は、
「売主は一旦国に時価で譲渡し、そしてその直後買主が国から時価で購入した。」ということと同じになるわけです
仮に、国に対する土地の譲渡益には所得税はかからないとすると、さらに甲の立場から言っても、経済的効果は同じになります。
「不動産は時価で贈与を受けたもの」と考えて会計処理を行うと、不動産が一旦国を経由したことと同じになるわけです。
「のれん」と「減損」については今日は書けませんでしたが、今日の論点も含めて、今日の続きは明日書きたいと思います。