2017年8月27日(日)
過去の関連コメント
2017年7月25日(火)
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2017年7月27日(木)
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から
2017年8月26日(土)
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までの一連のコメント。
諸外国における不動産登記(不動産取引)について、そして、土地と建物との関係についてのコメント
2017年6月15日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170615.html
>人の命は有限である、という常識は民法にもありますから、その意味において所有権と言っても、一時的・期限付だと思います。
この部分は、頭を十分に整理しないまま書いてしまい、言葉足らずで意味が分からなかったと思います。
所有権自体は物権であり、物を対象とした権利でありますから、所有権には特に期限のような概念というのはないわけです。
期限がないという意味では、所有権は永久だ、という言い方をしてもよいとは思います。
一方で、人の命は有限であるのも確かであるわけです。
死亡してしまうと、人はもはや所有権を有する主体になれませんので、
そういう観点から(神から)見ると、所有権も有限だ・永久ではない、という言い方ができるのではないか、と思ったわけです。
特に、現代でも土地に減価償却手続きはないように、時間がいくら経過しても土地には価値が減少するという観念はないわけです。
土地以外の不動産は、さらに、動産は全般的に、時間が経過すると価値が減少するという観念が常識的にあると思います。
動産には「稼働」という概念がないことも理由ではありますが、動産には減価償却手続きこそないものの、
いくら時間が経過しても動産の価値は一切減少しない、とは誰も考えないわけです。
企業会計上や税法上は動産の帳簿価額を規則的に減少させるという会計処理は用意されていない、というだけなのです。
人が動産を所有するという場合、一般にその所有目的は2つしかありません。
すなわち、@他者に譲渡するため、もしくは、A自分自身で消費するため、のどちらかしかないわけです。
現代では固定資産の所有目的に「稼働」が含まれはしますが、動産の所有目的は上記2つのどちらかしかないわけです。
そして、ここが昨日私が言いたかったことなのですが、
「@他者に譲渡するため」という目的が成就した(動産を譲渡した)際には、人はその動産の所有権を失いますし、また、
「A自分自身で消費するため」という目的が成就した(動産を消費した)際にも、人はその動産の所有権を失うわけです。
人が動産の所有権を失った理由は、
「@他者に譲渡するため」という目的の場合は、所有権の他者への移転であり、
「A自分自身で消費するため」という目的の場合は、対象物の消滅です。
人が動産の所有権を取得しても、どちらにせよ、最後は人はその所有権を失うのです。
もちろん、家の中の調度品や書物類や普段の身の回りの物等については人は最後まで所有権を失うことはないわけですが、
一般的には、極端なことを言えば、「人は最後は失うために物の所有権を取得する。」と言っていいわけです。
そんな中で、土地というのは、基本的には人が死ぬまで所有権を失わない対象物、と言えるわけです。
元来的な土地の所有権に関して言えば、人が土地の所有権を失う時というのは、基本的には死ぬ時だ、と言っていいわけです。
土地は永久である一方、人の命は有限であるわけです。
その意味において、土地の所有権に関しては、権利が一時的・期限付である、という観念が浮き彫りになるように感じたわけです。
他の言い方をすると、元来的な土地というのは、人に譲渡をするということがありません(国に返還するしかない)し、
自分自身で消費をするということもない(土地は利用するだけ。土地は利用しても一切消滅しない)わけです。
したがって、人が土地の所有権を失うとするならば、その命が尽きる時くらいだ、と思いましたので、上記の様に書いたわけです。
このように書きますと、「所有者が死亡しなくても、その人が土地を国に返還すれば土地の所有権を失うというだけではないか。」
と思われるかもしれません。
それはそれで確かにその通りだと思います。
しかし、特に戦前の家の制度を鑑みますと、人が所有している土地を国に返還するということがあり得るのだろうか、
という考えが昨日は頭の片隅にありましたので、上記の様に書いたわけです(言葉足らずだったと思います)。
人が所有している土地を国に返還するということは、その人は返還したその土地以外にも土地を所有している、ということです。
なぜならば、その人にも住む家が必要だからです。
つまり、人が今現在住んでいる家が建っている土地を国に返還することは実生活上できないことであるからです。
また、人は自分と自分の家族が住む家を建てる(家を所有する)ために土地を所有するわけです。
そして、戦前の家の制度では、家族は皆同じ1つの家(1つの土地)に住んでいるわけです。
戸主が今現在自分達が住んでいる家が建っている土地以外に土地を所有するとして、その土地を一体何に使うというのでしょうか。
戦前の民法では、法律上は土地を人に貸すということはできなかったのではないだろうかと思ったわけです。
土地は、自分がその上に住まないとなりますと、人に貸すしかありませんが、
戦前は貸借という観念(民法に貸借の規定)がなかったのではないかと思ったわけです。
戦前の家の制度では、家族の一部の構成員が他の土地(戸主所有の土地)に住んでいるということはあり得なかったわけです。
戦前は貸借という観念がなかったのだとすると、必然的に人は土地を1区分しか所有できなかった、ということになるわけです。
そうしますと、人が所有している土地を国に返還するということが実生活上絶対に起こり得ない、という結論になるわけです。
家族制度との関連性を鑑みれば、戸主が一家全員が住んでいる土地を国に返還することは絶対にあり得ないわけです。
家族制度との関連性を鑑みれば、人が土地を国に返還するとは、人は自分が住む家を失う、という意味なのですから。
したがって、人が土地の所有権を失うとするならばその命が尽きる時くらいだ、と思ったわけです。
そして、戸主は亡くなっても、対象物(土地)は消滅しませんので、土地の所有権は長男が相続する、
ということで話の整理は付くわけです。
以上の議論を鑑みますと、戦前は、人は土地を1区分しか所有できなかった(土地を2区分買おうとしても認められなかった)、
という結論になると思います。
現実的なことを言えば、家族の人数が増えてきた場合など、もっと広い土地にもっと大きな家を建てる必要が生じると思いますが、
そのような場合は次の家が完成するまで、戸主は一時的に土地を2区分所有する必要が出てきますが、
法理的には、人は土地を1区分しか所有できなかったのではないかと思います。
一応、妾がいる場合はどうなるだろうか(その場合の戸籍の位置付け等、戸籍=土地の地番のはず)、とは考えました。
戦前の民法上、妾の位置付けについては詳しいことは知らないのですが、例えば生前父(戸主)に妾がいた場合、
妾の家(土地)は戸主所有、ということになるかと思いますが、
妾の死亡もしくは妾の娘の結婚に伴いその家には誰も住まなくなったので、
土地を相続した長男がその土地を国に返還する、ということはあり得るだろうか、と思いました。
ただ、妾の位置付けについて改めて考えてみますと、戸籍上の妾の位置付けや妾の子の位置付けが意味不明になる気がしました。
妾というのは、漫画や映画やテレビドラマだけの存在であり、実は民法上は妾というのはいなかったのではないか、と思いました。
この点については、戦前の民法等、改めて勉強したいと思います。
一応、民法上妾がいるとすると、戸主が土地を2区分も3区分も所有するということがあり得ると思いました。
>妾の位置付けについて改めて考えてみますと、戸籍上の妾の位置付けや妾の子の位置付けが意味不明になる気がしました。
と書いてしまったのですが、これは「妾は正妻とは別の家に住んでいる。」と思ってしまったのでこう書いてしまいました。
妾や妾の子も戸主や戸主の正妻達と一緒に住んでいると考えると、戸籍上の妾の位置付けや妾の子の位置付けは明確になります。
妾も妾の子も戸主一家の列記とした一構成員(妾も妾の子も戸主一家の戸籍に記載されている)というだけだと思います。
遠い記憶がよみがえったところではありますが、いずれにせよ、民法上妾がいるとしても、
人(戸主)は土地を1区分しか所有できなかった、という結論になると思います。
妾の制度について敢えて言うならば、戦前の家は長子相続であったわけですが、
妾の長子の方が正妻の長子よりも年上であった場合は、どちらの子が家督相続をすることになるのだろうか、とふと思いました。
この点についても、その時教室でその誰かと話をしたようなかすかな記憶があるような気がしますが、
その時何と自分が答えたかはっきりとは思い出せませんが(その時も今の私のように「えーっと・・・」、と考えた気がします)、
今私が出せる答えは「正妻の長子」ではないかと思います。
その理由は、妾は家族の一構成員ではあるものの、正妻と全く同じではない(あくまで「2番目の妻」)と思うからです。
たとえ妾の長子の方が正妻の長子よりも年上であっても、正妻の長子に家督相続の優先権があるのではないかと思います。
かすかな記憶をたどりますと、私はその時、「妾の長子」とその人に答えたような気がします。
その時私は、「昔は妾は正妻と同じ法的地位だったからだ。」と答えたような気がします。
その時、その人からは、「妾は正妻と同じ法的地位だったのは確かだし、あなたが言っていることは分かるが、
法律上は『正妻の長子』だったみたい。」と言われた気がします。
長子相続ということは、他の事情を全て度外視して、「先に生まれた」という事実に着目して長子に優先権を与えている、
ということを意味するわけですが、それと同様に、「先に結婚した」という事実に着目して、
「正妻の長子」に優先権を与えている、ということなのだと思います。
妾が自分の子供に夫(戸主)の家督を相続させることは非常に難しかった(正妻の子次第であった)、ということだと思います。
関連する重要な議論を書いているところであり、「のれん」と「減損」については今日も書けませんでしたが、
ここ5日間の論点も含めた上で、今日の続きは明日書きたいと思います。