2017年8月26日(土)



昨日までの一連のコメントに一言だけ追記をします。
今日のコメントも、どちらかと言うと最近の一連のコメント全てに関連のあるコメントになりますが、
昨日のコメントの続きとして読んでいただければと思います。
今日は、昨日までの一連のコメントと関連する形で「のれん」と「減損」について書きたいと思います。

 


過去の関連コメント

2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html

2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html

から

2017年8月25日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170825.html

までの一連のコメント。

 

諸外国における不動産登記(不動産取引)について、そして、土地と建物との関係についてのコメント

2017年6月15日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170615.html

 


昨日のコメントの要点を一言で言うならば、
「建物に関して言えば、土地の購入者は購入した土地の上に自分の利用目的・用途に最も合致した家を建てるものだ。」
という結論になります。
2017年8月24日(木)のコメントでは、「土地と比較した場合の建物の特徴」として、次のように書きました。

>土地にはその上に建物を建てるという用途しかありませんが、建物には人それぞれの用途がある

ある建物を見て、ある人は100円の価値があると判断し、別のある人は120円の価値があると判断するわけなのです。
理論的には、建物の用途は様々(どのような建物を望んでいるかは人それぞれ)だからこそ、
建物の価値・価格は国には決められないわけであり、したがって、国が土地所有者から土地を返してもらう時には、
土地を更地にしてもらった上で返してもらわなければならない、という考え方に元来的にはなるわけです。
つまり、元来的には、土地の上に立派な建物が建っていることを理由に建物の部分の価値・価額を上乗せして
土地の代金を土地所有者に支払うことは国にはできない(国には建物の価値・価格は分からないから)、ということになります。
建物部分は最も純粋な意味で私有財産である(すなわち、建物部分に公に帰属していると言える部分は一切ない)わけですが、
元来的なことを言えば、土地は所有権や専属的・排他的利用権という意味では確かに私有財産ですが、
その根本部分は常に国に帰属している国有財産の側面がある(土地は純粋な意味での私有財産とは言えないところがある)のです。
元来的には、土地の所有権とは、「国に返還することを条件とした一時的所有権」(一種の期限付所有権)に過ぎないのです。
土地の所有権は一時的所有権や期限付所有権に過ぎないとは言っても、特段期限の定めがあるというわけではありません。
期限の定めがないという意味では、通常の永久の所有権と同じではあるわけですが、物に対する支配権という意味合いにおいては、
処分の自由は煎じ詰めればない(処分は国への返還しかない)ことから、国への返還が条件となるという絶対的前提はあるのです。
人の命は有限である、という常識は民法にもありますから、その意味において所有権と言っても、一時的・期限付だと思います。
元来的にも、土地の所有権も相続できるとは思います(そうでないと戸主の死亡と同時に一家が土地・家を失うことになる)が、
動産の所有権とは異なり、土地の所有権はやはり利用権に過ぎない、と私は思うわけです。
元来的なことを言えば、所有権の概念として、動産の所有権は"full"(全面的、完全に排他的)、
土地の所有権は"qualified"(限定的な、条件付の、資格が与えられた)、という違いが根本にあると思います。
土地の所有権は、無期限に土地を利用できる権利に過ぎない一方、
動産の所有権は、無期限という概念すらない(他の人を必要としない、人から資格が与えられる類のものではない)わけです。
他の言い方をすれば、元来的にはですが(現在は違う様に整理されますが)、概念的な表現方法をしますと、
土地の所有権は国を取引の相手方とした債権債務関係(つまり、土地の所有権は実はあくまで「債権」)の側面がある一方、
動産の所有権は純粋に「物権」(権利の発生・維持・継続に他の人(取引の相手方)は必要ない)であるわけです。
やや乱暴に言えば、元来の土地の所有権は「物権」ではなく「債権」の側面があったと言えるわけです。

 


民法の教科書を見ますと、元来の土地の所有権は現行の民法で言う「地上権」に近い類のものと言えるのかもしれません。
「地上権」は、「用益物権」に分類されます。
「用益物権」とは、他人の物を利用することを内容とする物権をいいます。
所有権が物権中の物権なのですが、「用益物権」とは、簡単に言えば、所有権以外の物権、というふうに整理できます。
「地上権」とは、「工作物または竹林を所有するため、他人の土地を利用する物権」と定義され、
具体例としては、まさに「建物を所有するため他人の土地を利用させてもらう権利」として活用されます。
教科書には、他人の土地を利用する権利としては、地上権のほかには賃借権があるが、
地上権は物権であるのに対し、賃借権は債権である、と説明されています。
しかし、私個人の意見としましては、結局のところは、地上権も債権である、と思います。
土地の賃借権では、土地の上には何かを建てるのか・土地の利用目的は何か、といったことが取引の際に問題になるわけですが、
地上権の場合は、「当然に土地の上に建物を建てる」ということがその前提になっていると言えると思います。
地上権を設定しておきながら、「まさか貸した土地の上に建物を建てるとは思わなかった。」
と土地の所有者が言うことはないわけです(むしろ、地上権では、貸した土地の上に建物が建つのが前提で地上権を設定する)。
土地の賃借権では、借りた土地の上でスポーツやイベント等を行うこともあるわけですが、
賃借した土地の上に建物を建てるとなると土地所有者の同意が必要な場合もあるわけです(賃貸借契約の内容次第となります)。
他の言い方をすれば、「地上権は賃借権の用途制限版」(地上権は結局のところ賃借権に含まれる類型の権利)に過ぎないのです。
賃借権は多種多様な用途を当事者間で自由に設定できるのに対し、地上権はあくまで建物を所有する用途にしか使えないわけです。
端的に言えば、賃借権があれば地上権は不要であるわけです。
その意味において、地上権はやはり「債権」なのです。
以上の議論を踏まえますと、元来の土地の所有権というのは、現代風に言えば、
「土地の所有者はあくまで国であるのだが、土地の利用者が利用許諾を得た土地の上に自分の建物を建てるための権利」、
と表現できるわけです。
ただ、取引形態として、元来の土地の所有権では、所有権者は土地の代金を国に支払うことで擬似的に土地を所有しており、
利用料金を国に支払うということはしない(土地は所有しているので土地の利用の対価を誰かに支払うことはしない)一方、
現代の地上権や賃借権では、土地の利用者は当然に土地の利用料金(利用の対価)を土地の所有者に支払うことになります。
その意味では、元来の土地の所有権は現代の地上権や賃借権とは異なる点もあるわけなのですが、
元来の土地の所有権は「利用権」に過ぎない(土地の絶対的な所有者は国のまま)、という点において、
元来の土地の所有権は現代の地上権や賃借権に類似しており、したがって、
元来の土地の所有権は現代で言う「債権」に過ぎなかった、と言っても過言ではないと私は思います。
関連する重要な議論を書いているところであり、「のれん」と「減損」については今日も書けませんでしたが、
ここ4日間の論点も含めた上で、今日の続きは明日書きたいと思います。