2017年8月16日(水)
2017年1月23日(月)日本経済新聞
少数株主 不満根強く MBO買い取り価格巡り議論再燃 手続きの公正さ
重要に
審査厳しい再上場実現は6社 統治体制をチェック
(記事)
What
you call a snapshot.
(公開買付価格と株式買取価格との関係で重要なのは)いわゆる「スナップショット」なのです。
過去の関連コメント
2017年6月8日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170608.html
2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html
2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html
から
2017年8月15日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170815.html
までの一連のコメント。
>同じ業績の発表でも、report(報告)と disclose(ディスクロージャー)は全く異なるのです。
となります。
ただ、私の昨日のコメントを踏まえますと、会社法が株式の譲渡を認めるのならば、
理論的には会社法も一定の「ディスクロージャー」を要請しなければならない、という結論になるわけです。
商法上の営業報告書(現在の会社法上の事業報告)は、
(言葉遊びではなく本当に本質的な意味で)実は「ディスクロージャー」ではないのです。
より実務的に言えば、会社が株式の譲渡が認められる会社制度を採用したいのならば、上場・非上場を問わず(非上場でも)、
会社は当局に(無限定適正意見の付いた)有価証券報告書を提出しなければならない、という結論に理論的にはなるわけです。
さらに言えば、法定の「ディスクロージャー」というのは、取締役と市場の投資家との間の情報格差をなくすこと
を目的としたものでは全くない(投資判断に資するためだけの情報に過ぎない)、という理解もここでは重要です。
取締役が有している情報量に比べれば市場の投資家が有しているそれは質・量ともにはるかに少ないとしても、
「市場の全投資家が全く同一の情報(「ディスクロージャー」)に基づいて投資判断を行うのであれば、それでフェアである。」
という理論的前提が証券市場にはあるわけです(取締役と市場の投資家との間に情報格差があっても理論的には何の問題もない)。
この理論的前提から、上場企業では取締役に対する株式報酬は間違いである、という結論が導き出せるわけです。
さて、昨日紹介した2017年6月7日(水)付けの日本経済新聞の記事(大機小機)「上場が非上場か」でもMBOが論点になっていますが、
考えてみますと、MBOなどまさに「取締役が株式を所有する」ということの最たる例であるわけです。
もちろん、MBOの場合は、業務執行の報酬として取締役が株式を所有するに至るのではなく、
取締役自身が資金を拠出した上で市場内外から株式の取得を行う結果取締役が株式を所有するに至るわけなのですが、
「取締役が株式を所有する」という状況(「誰が株式を所有しているのか」という株主の属性の問題)に変わりはないわけです。
MBOでは、現実には、会社の株主は法人(特別目的会社)である事例が全てと言っていいのかもしれませんが、
ではその法人(特別目的会社)への出資者(そのまた株主)は誰かと言いますと、MBOではまさに取締役であるわけです。
取締役と特別目的会社は、公開買付制度で言えば「特別関係者」、大量報告報告制度で言えば「共同保有者」の関係にあります。
さらに、そもそもの話をすれば、取締役は市場の投資家よりも圧倒的に会社に関する情報を有しているわけです。
市場の投資家が全く知らない会社に関する情報を有している者が、会社の株式を買い集めてよいのでしょうか。
仮に、取締役が会社の株式の買い集めて良い場合があるとすれば、
それは、「株式を売却しない」場合のみである、という結論にならないでしょうか。
MBOを実施した後、株式の売却(すなわち再上場)を検討するなど、矛盾も甚だしいのではないでしょうか。
さらに言えば、一見すると、本当に「株式を買い集めるだけ」(株式の売却や再上場を一切考えない)であれば、
取締役が株式を買い集めても問題はないようにも思えます。
株式を買い集めただけでは取締役は株式売却益を得られませんし、また、
市場の投資家には株式売却の機会が確保されることになるからです。
しかし、実はここに1つ大きな落とし穴があると言えるでしょう。
それは、まさに「会社清算の伴う残余財産の分配」です。
取締役は、会社清算に伴う残余財産の分配金額がいくらなのかを、市場の投資家に比べてはるかに知っているわけです。
会社清算に伴う残余財産の分配金額の予想金額(将来予想)を取締役と市場の投資家との間で同じにすることは
本質的に「ディスクロージャー」の目的・役割ではありません。
当然のことながら、どんなに詳細な「ディスクロージャー」を義務付けようとも、会社清算に伴う残余財産の分配金額について、
取締役による見込み額の方が市場の投資家による予想金額よりもその精度ははるかに高いと言わざるを得ないわけです。
取締役による見込み額は200円、市場の投資家による予想金額(市場における株価)は100円である時、
取締役が「プレミアムを付けて株式を150円で買い取ります。」と言ったところで、その申し出は本当の意味で公正でしょうか。
この場合(MBO実施後)、取締役は確かに株式売却益は1円も得られませんが、
会社を清算させることにより差し引き50円の利益を得られるわけです。
市場の投資家はプレミアムに惑わされ出し抜かれた格好になるわけです。
私は以前、株式を購入するだけであれば利益を得られない、と書いたことがありますが、それは会社清算を前提としない場合です。
上場企業の場合は、確かに会社は清算させないという前提を置く方が理論に沿っている面があるわけですが、
特にMBOは正反対に非上場化がその論点になりますので、会社清算を前提として議論をした方がより本質的であるわけです。
MBOの場合、取締役による会社清算が理論的には十分視野に入りますので、取締役は会社の株式を買い集めてはならないのです。
MBOでは、公開買付価格とその後の株式の強制取得の買取価格は同じでなければならない(同じであるということが公正だ、と)、
という判例・判断がありますが、理詰めで考えれば、そもそも公開買付価格が公正であるという根拠はどこにもないのです。
>Ultimately speaking, the most fundamentally critical criterion
is
>not "The listed or the unlisted" but "Transferable or
nontransferable?"
>
>究極的なことを言えば、最も本質的に重要な判断基準は、
>「上場か非上場か?」ではなく、「譲渡可能か譲渡は不可能か?」なのです。
まさに、株式は「譲渡可能か譲渡は不可能か?」が本質的に重要な問題であるわけです。
株式が譲渡可能であることは、非上場企業でも問題になるわけです。
ベンチャー企業や非上場企業が1つの目標とする新規株式公開(IPO)に関して一言言いますと、
創業時(会社設立時)というのは、創業者=出資者、取締役(社長)=株主、となることが現実にはほとんど全てだと思います。
しかし、今日の議論を踏まえますと、「取締役=株主」の場合は、仮に会社が上場しても株主は株式を売却できない、
という結論になってしまうわけです。
なぜなら、株主は取締役であるがゆえに、会社の情報を市場の投資家よりもはるかに知っているからです。
会社が上場を目的としている場合は、株主が上場後に株式を売却することを考えている場合は、
創業時(会社設立時)から取締役と株主は異なっていなければならない、という結論になります。
昨日のコメントでは、理論上世にあるのは「株式譲渡可能企業」と「株式譲渡不可能企業」だけである、と書きましたが、
前者の企業では創業時(会社設立時)から取締役と株主は異なっていなければならず、
後者の企業では取締役と株主の関係は問題にならない(取締役と株主は同一人物でもよいし異なっていてもよい)、
という結論になります。
株主が株式の譲渡(株式の上場も当然含む)を会社設立(創業)の目的としている場合は、日本の会社精度では論点になりませんが、
始めから「株式譲渡可能企業」を選択しなければならない(他の会社制度では株式の上場を行えないため)、という結論になります。
現実的なことを考えると非常に難しいところなのですが、株主が株式の譲渡を会社設立(創業)の目的としている場合は、
始めから業務執行(取締役)については会社の利益を最大化させる人物に(他者に)委任をする形を取っておかなければならない、
という結論になるのです。
そしてその意味では、日本の株式会社(会社制度)は、理論的にはどこか折衷案の産物のようなところがあるのだと思います。