2014年11月25日(火)


2014年11月25日(火)日本経済新聞 公告
合併公告
株式会社ABC Cooking Studio
株式会社ABC HOLDINGS
(記事)



沿革
ttps://www.abc-cooking.co.jp/company/history/

 

2013年10月25日
株式会社NTTドコモ
株式会社ABC HOLDINGS
ドコモとABC HOLDINGSが資本提携に合意
ttp://www.abc-cooking.co.jp/press/20131025.pdf

 



【コメント】
ABC Cooking Studioグループは、持株会社制を採っているようです。
ABC Cooking Studioグループが持株会社制に移行した経緯についてですが、
会社の沿革には書かれていませんが、インターネットで検索してみますと、
株式会社ABC Cooking Studioが2004年9月1日に株式会社ABC HOLDINGSを完全親会社とする単独株式交換を実施した、
ということのようです。
公告によると、このたび、株式会社ABC Cooking Studioが株式会社ABC HOLDINGSを吸収合併するということで、
マルハニチロ・グループや三協立山・グループと同じ様に、完全子会社が完全親会社を吸収合併する、という事例になります。
しかし、完全子会社が完全親会社を吸収合併(親会社が消滅会社、子会社が存続会社)するということのおかしさについては、
今までに十分書き尽くしているかと思います。
最近では、2014年11月20日(木) と2014年11月21日(金) に、マルハニチロ・グループと三協立山・グループを題材にコメントしました。


2014年11月20日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201411/20141120.html


2014年11月21日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201411/20141121.html


2014年11月21日(金) に、持株会社と事業子会社が合併するに際し、
合併前と合併後で状況がどう変化するのかについて、「解説図」を描いたかと思います。
この時の「解説図」では、事業子会社(完全子会社、存続会社)が持株会社(完全親会社、消滅会社)を吸収合併する様子を描いたわけですが、
今日は、ABC Cooking Studioグループを題材にして、
事業子会社(完全子会社、存続会社)が持株会社(完全親会社、消滅会社)を吸収合併するパターンと、
持株会社(完全親会社、存続会社)が事業子会社(完全子会社、消滅会社)を吸収合併するパターンとに分けて、
合併前後の様子を図に描いてみました。
ここでの論点で重要なのは、2014年11月20日(木) にも書いたことですが、合併による”連結の範囲”の変化具合であるわけです。
合併をすると”連結の範囲”はどう変わるのか、を理解しなければなりません。
そこで、理解の助けとするために、株式会社ABC HOLDINGSと株式会社ABC Cooking Studioの両社に連結子会社がそれぞれ1社ずつある、
と想定して図を描きました(株式会社ABC HOLDINGSの連結子会社が株式会社甲、株式会社ABC Cooking Studioの連結子会社が株式会社乙です)。
グループ経営上・グループ総体としての”連結の範囲”と、会計上の「連結の範囲」の違いに特に注意しながら見ていただければと思います。

 


It is a shareholder that incorporates a stock company.
A sock company is not able to make the formation of a shareholder, and a stock company is not able to absorb a shasreholder either.
(株主が株式会社を設立するのです。
株式会社が株主を作ることはできませんし、株式会社が株主を吸収することもできません。)

「合併前後の状況の違い:完全親会社が消滅会社である場合(パターン@)と完全子会社が消滅会社である場合(パターンA)」



上記の解説図右側のパターン@とパターンAを見比べると、結局同じではないか、と思われるかもしれません。
会社は持株会社制でこそなくなったものの、ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)からすると、
合併前後で特段持株比率が変わったわけでもなく、どちらのパターンの場合でも、
ある1つの会社でABC Cooking Studio事業を営んでいるという状態であり、どちらのパターンの場合でも、
合併前にそれぞれの会社が傘下に抱えていた連結子会社2社が、合併後はその1つの会社が直接所有する連結子会社になった、
というだけのことであるわけです。
上記の解説図右側のパターン@とパターンAを見比べると、図をコピペでもしたのかと思われるかもしれません。
ただ単にABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が出資している会社の商号が違うだけではないか、
と思われるかもしれません。
しかし、パターン@とパターンAとでは、話が根本的に異なります。
それは、株式会社ABC HOLDINGSと株式会社ABC Cooking Studioとは別の会社である(両会社は異なる法人である)、という点です。
会社が異なるということは、資本が異なるということです。
資本が異なるということは、株式が異なるということです。
パターン@とパターンAとでは、ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が所有している株式が異なるのです。
そして、パターン@とパターンAとでは、ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が出資している
会社そのものが異なるのです。
パターン@とパターンAとで、会社も資本も株式も異なるということは、
ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が出資している会社の個別財務諸表も異なるということです。
ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が出資している会社の連結財務諸表について考えた際、
パターン@とパターンAとで、会社の個別財務諸表が異なるということは、会社の連結財務諸表の親会社が異なるということですから、
パターン@とパターンAとで、
ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が出資している会社の連結財務諸表も異なる、
ということになります。

 


以上の議論を踏まえ、合併前後で”連結の範囲”がどう変わるのかについて表を作成してみました。
”連結の範囲”と一言で言っても、文脈によりやや違った意味合いで使われることがあると思います。
企業経営や経営戦略の文脈で使われる「グループ経営上・グループ総体としての連結の範囲」と、
連結財務諸表の作成・開示の文脈で使われる「会計上の連結の範囲」の2つの意味合いで使われることがあります。
”連結の範囲”という文言自体は会計分野の用語ということになるのかもしれませんが、
例えばこのたびのようにグループ会社間で合併を行っても、
グループ経営上のと言いますか、グループ総体としてのと言いますか、経営的に見ればグループ合計の資産と負債には変動はないわけです。
グループ全体の資産や負債には影響を与えない、と理解してもいいと思います。
もしくは、株主やその株主から委託を受けた経営陣から見れば、グループ会社間で合併を行っても、経営資源に変動はない、と言えるわけです。
親会社から見て孫会社までだろうがひ孫会社までだろうが、グループ所有の株式の議決権を通じて経営上の意思決定力は及ぶわけですから、
経営上は、何階層にグループ会社が積み重なっていようが、末端会社までグループトータルで資産・負債(経営資源)を見る必要があるわけです。
しかし、これが連結会計と呼ばれる財務諸表作成方法の限界と言うことになるのですが、
連結会計上は、親会社は親会社が直接所有している連結子会社までしか、連結財務諸表に合算できないのです。
例えば、孫会社は連結財務諸表に合算できないのです。
その理由は、技術的な話になりますが、端的に言えば子会社所有の孫会社株式と孫会社の資本とを連結精算表上で相殺消去できないからです。
連結財務諸表の理論的背景や作成原理から話をすると、孫会社を連結財務諸表に合算できない理由について厳密に説明できると思いますが、
その点についてはまた改めて書きたいと思います。
いずれにせよ、持株会社制だ中間持株会社だとなりますと、孫会社やひ孫会社が当たり前のようになってくるわけですが、
連結会計上は子会社までしかカバーできないわけです。
そういった背景がありまして、”連結の範囲”という言葉には意味の差異が出やすいわけです。
それで、ここでは、両者を厳密に分けて使うことにし、
企業経営や経営戦略の文脈で使われる「グループ経営上・グループ総体としての連結の範囲」のことを「イメージ上の連結の範囲」、
連結財務諸表の作成・開示の文脈で使われる「会計上の連結の範囲」のことを「会計理論上の連結の範囲」、と定義しました。
「株主を誰と見るのか?」(親会社をどの会社と見るのか?)で、”連結の範囲”が変わってきます。
何階層にもグループ会社が積み重なっている場合は、親会社をどの会社と見るのかで親会社の個別財務諸表が変わってきますし
結果、親会社の連結財務諸表が変わってきます。
ここでは特に、
「この会社を親会社と見る場合はこの会社が連結の範囲となり、別のこの会社を親会社と見る場合は別のこの会社が連結の範囲となる。」
というふうに、連結の範囲について整理ができればと思います。

 



The range of consolidation on the image and the range of consolidation based on the accounting theory.   
(イメージ上の連結の範囲と会計理論上の連結の範囲)

(PDFファイル)

 

(キャプチャー画像)


グループの状況を網羅したいと思いましたので、ここでは孫会社(株式会社乙のことです)のことまで設定しました。
話が分かりづらい場合は、「ABC Cooking Studioグループの最上位の株主(=株式会社NTTドコモと創業者)にとって」の列だけ
縦に見ていただいてもいいと思います。
「イメージ上の連結の範囲」は、合併前、合併後パターン@、合併後パターンAで全く変わりはない(赤色で書いた4社のまま)わけですが、
「会計理論上の連結の範囲」は、合併前、合併後パターン@、合併後パターンAで明確に変わります。
特に、青色で書いていますように、合併後パターン@の場合は、連結財務諸表の親会社が変わるわけです。
合併前の連結財務諸表の親会社(株式会社ABC HOLDINGS)は、会社そのものが消滅しているわけです。
そのことを考えれば、合併前と合併後では、
株式会社ABC HOLDINGSの連結財務諸表と株式会社ABC Cooking Studioの連結財務諸表との間には連続性は全くないわけです。
その本質的理由は、親会社である株式会社ABC HOLDINGSの個別財務諸表と株式会社ABC Cooking Studioの個別財務諸表とが異なるからだ、
となります。
このたびの事例に即して言えば、合併前後で「会計理論上の連結の範囲」も確かに株式会社乙の分異なるわけですが、
そのことよりも本質的・根源的に異なるのは、連結財務諸表の親会社そのものが異なる、という点なのです。
この点については、2014年11月20日(木) と2014年11月21日(金) に、マルハニチロ・グループと三協立山・グループを題材に
コメントしました内容も合わせて読んでいただければと思います。

 



以上書きましたことは、完全子会社が完全親会社を吸収合併することを所与のものとしてます。
しかし、最初の方の「解説図」を紹介する時に書いていますように、
会社と株主との関係というのは、「株主が株式会社を設立する」、という関係であるわけです。
株式会社が出資者を吸収するというのは、概念的にもあり得ないというふうに感じます。
また、今日の議論で書きましたように、完全子会社が完全親会社を吸収合併すると、
株主にとって会社そのものが変わってしまう、という状態になるわけです。
このたびの事例に即して言えば、
ABC Cooking Studioグループの既存の株主(株式会社NTTドコモと創業者)が出資している会社そのものが異なる、ということになるわけです。
会社自体(法人自体)が変わってしまうとなりますと、出資とは何か、という議論にまでさかのぼると思うわけです。
また、「株主が株式会社を設立する」わけであって、株式会社が株主を作るという考えもおかしいわけです。
株式会社が株主を作るという組織再編行為がまさに株式移転であるわけです。
株式移転では、会社の既存株主には新設会社株式を割当交付するからおかしくないと感じるだけであって、
よくよく考えてみれば、株式移転によって、会社の既存株主は全く別の会社の株式を渡されることになるわけです。
株式移転後、会社の既存株主は全く異なる会社の株主になるわけです。
それは株主総会決議を取ったから何の問題もないというような会社法上の法的要件の話ではなく、
会社の既存株主は全く別の会社の株式を渡され全く異なる会社の株主になるということ自体がおかしい、と思うわけです。
株式会社の原理原則に基づけば、現在所有している会社の株式が嫌になったのなら他の投資家に売却するのは自由ですし、
また、他の会社の株式が欲しくなったのならその会社の既存株主から株式を買うのは自由であるわけです。
株式会社の原理原則に基づけば、株主にとって所有している株式が変わるのは、売るか買うかする場合のみのはずです。
それが「出資者は変わっても株式会社は永続する」ということの意味ではないでしょうか。
完全子会社が完全親会社を吸収合併する組織再編では、株式会社は永続するどころか消滅しているわけです。
合併でも株式移転でも、代わりに違う株式を受け取るからよい、という問題ではないわけです。
他の論点に関しては「このことを所与のものとして考えると、」といった具合にある意味割り切って理論上の議論をすることはできるわけですが、
「完全子会社が完全親会社を吸収合併する」ということについては、
株式会社の原理原則(特に「出資とは何か?」という点)に根本的に反していると思います(出資者を吸収するということが意味不明)ので、
理論上の話をすることすら難しいなと思っているところです。

 



That for some reason a stock company goes into liquidation means that its equity itself is extinguished completely.
It means that its capital itself vanishes totally and that its all of the shares themselves become null and void fully.

何らかの理由により株式会社が清算をするということは、その資本そのものが完全に消滅するということです。
つまり、会社の資本金そのものが全て消え、同時に、会社の株式そのものも全て消えるということです。

 


In those days, to hear about a merger, which had been planned to be provided for in the Commercial Code,
some people got confused and said at the bottom of their hearts,
"How dare you define an investment in an absorbed company as to be continued into an surviving company
and state that the stocks of an absorbed company turn into the stocks of a surviving company?"

当時、これは商法に定めることは以前からずっと計画されてきていたわけですが、合併のことを耳にして、まごついた人も中にはいまして、
「どこをどう考えたら消滅会社への出資は存続会社に引き継がれるなどなるんだ?
どうやったら消滅会社株式が存続会社株式に変わるんだ?」
と心の中で言った人もいます。

 

And they commented,
"It is not nonsense that a surviving company succeeds to any and all rights and obligations of an absorbed company,
It is nonsense that the surviving company pays a consideration of the succession to the shareholders of the absorbed company."

そして、
「存続会社が消滅会社の権利義務の全部を承継することがおかしいのではありません。
存続会社が承継の対価を消滅会社の株主に支払っていることがおかしいのです。」
とコメントしました。

 

 



最後に、2014年11月19日(水) のコメントを読み返していまして、意味が分かりづらい点があるように思いますので、一言追記します。

2014年11月19日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201411/20141119.html

2014年11月19日(水) に以下のように書きました。

>That the amount of capital is a certain sum for creditors means
>that the amount of a stock is also the certain sum for shareholders.
>That the amount of capital is enough for creditors means that the amount of capital is also enough for shareholders.
>
>債権者にとって資本金の価額がある金額だということは、株主にとっても株式の価額はその金額だということでしょう。
>債権者にとって資本金の価額が全てなら、株主にとっても資本金の価額が全てだということでしょう。

1文目は問題ないと思いますが、2文目が意味が通じにくかったかもしれません。
2文目は何を言いたいのかと言えば、株主にとっても「株式の価額」の判断材料は資本金だけで十分だ、という意味なのです。
特に戦前の株式会社制度では、利益の内部留保がありませんので、株式の価額とは資本金の価額だ、と言いたかったわけです。
それで、2文目は何が enough なのかと言いますと、enoughとは「ある特定の必要や目的を満たすのに十分な」ことを表わすわけですが、
戦前の株式会社制度では、株式の価額を判断する場合は、結局のところ、資本金以外のことは考慮してはならない、
ということになると思います。
全資産のうち現金割合が多い少ないといったことや、今後ともあまり売れる見込みのない棚卸資産が多い少ない、
といったことは、当時の税法の定めとも相まって、「株式の価額」の判断する際、全て度外視せねばならないわけです。
そうしますと、株主が株式の価額を判断する時には、資本金の金額以外は何もない、ということになると思いました。
株主は、「株式の価額」の判断するに当たり、資本金の金額さえ示してくれれば、
「はい分かりました、もうそれで十分です。株式の価額は全て分かりました。」
という状態になるわけです(貸借対照表の資産の部は株式の価額に関係がない)。
株式の価額を知るという目的はそれだけで果たせますし、同時に、株式の価額に他のことは考慮してはならないわけです。
債権者にとっても、自分の債権の弁済の引き当てとしては、資本金以上のものは会社に望めないわけです。
もし債権者が、その資本金額では不足していると判断するのなら、はじめから会社とは取引をしなければよいわけです。
債権者が会社と取引をしたということは、その資本金額で十分だと判断したということではないかと思いました。
債権者が会社を判断するのには資本金の金額だけで十分であるし、また、それが全てでしょう。
そして、株主が株式の価額を判断するのには資本金の金額だけで十分であるし、また、それが全てでしょう。
債権者と株主双方にとって資本金の金額が会社に関する価値判断の全てとなる、それだけで判断材料として十分だ、という意味なのです。
ここでの訳語の「なら」というのは、「〜なのですが、それはつまり、」といった意味のつもりで書きました(1文目と同じ意味合いです)。