2018年11月28日(水)



2018年9月19日(水)日本経済新聞
テノHDの承認取り消し 東証
(記事)



2018年11月28日(水)日本経済新聞
テノHD上場再承認 マザーズなど 審査基準満たす
(記事)

 

「そもそも非上場株式を取引する投資家を保護する趣旨は証券取引法にはない。」、
という点について考察を行った3日前のコメント↓。

2018年11月25日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201811/20181125.html

 

「発行者が情報開示を行う場所、それが『市場』である。」という点と、
「証券取引法の目的は、社会正義の実現ではなく、有価証券報告書を根拠に投資判断を行う投資家を保護することである。」、
という点について書いた一昨日のコメント↓。

2018年11月26日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201811/20181126.html

 

「注文通信方法も株式売買手数料も、どちらも全証券会社(取引参加者)で共通でなければならないプロトコルである。」、
という点について書いた昨日のコメント↓。

2018年11月27日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201811/20181127.html

 

 


「ゼミナール 金融商品取引法」 大崎貞和 宍戸善一 著 (日本経済新聞出版社)

第13章 証券市場のインフラストラクチャー
1. 金融商品取引所
(1) 金融商品取引所とは
(2) 金融商品取引所の組織
取引所の免許制
取引所の組織形態
【証券取引所のM&A】
取引所株式会社の株式保有規制
「332〜333ページ」 

「334〜335ページ」 

「336〜337ページ」 

 

 



【コメント】
株式会社テノ.ホールディングスは、一旦は東京証券取引所と福岡証券取引所から上場の承認を得ていたのですが、
2018年9月18日になって東京証券取引所と福岡証券取引所から上場の承認の取消しを受けていました。
その後、株式会社テノ.ホールディングスは、2018年11月27日になって、
東京証券取引所と福岡証券取引所から上場の再承認を得ることができた、とのことです。
@上場の承認とA上場の承認の取消しとB上場の再承認の3つが足並みが揃っていると言いますか、
東京証券取引所と福岡証券取引所とで上場に関する判断がぴったり一致しているなと思いました。
東京証券取引所と福岡証券取引所とで上場に関する判断がぴったり一致しているからこそ問題が見えづらくなっていますが、
仮に両証券取引所で上場に関する判断が分かれてしまったとしたら、投資家保護の観点から問題があるなと思いました。
なぜなら、同一の有価証券について、一方の証券取引所は投資家保護の点で問題はないと判断したにも関わらず、
他方の証券取引所は投資家保護の点で問題があると判断した、ということを判断の相違は意味するからです。
考えてみますと、「取引所の組織形態」の相違も問題が内在していることなのかもしれないなと思いました。
1893年当時は、取引所は公営であった(組織としては財務局の一部局、立会場が財務局の庁舎の一階にあった)わけです。
戦前の取引所は全て公営であったわけですが、戦後に取引所が再発足してからは、取引所は全て証券会員制法人となりました。
その後、2000年に株式会社組織の証券取引所が認められるようになったわけです。
@公営とA証券会員制法人とB株式会社とでは、営利性や中立性に大きな相違があるのは否めないと思います。
証券取引所が公営から証券会員制法人となった時点で、実は全ての証券取引所は店頭市場となった、と言わねばならないのです。
公営という立場から見るならば、1998年に店頭市場の開設が認められたのではなく、証券取引所は戦後から店頭市場だったのです。
株式市場は、戦前は公営であり取引所市場であったのに対し、戦後は証券会社運営であり店頭市場である、
と言わねばならないと思います。
真の取引所市場は取引所が公営の場合のみだと思います。
私は2018年11月26日(月)のコメントで、「発行者が情報開示を行う場所、それが『市場』である。」と書きました。
「ディスクロージャーによって投資家の利益を保護する。」という証券制度における基礎概念から言えば、
「有価証券報告書の提出場所」と「有価証券の取引の場所」との一体性(簡単に言えば、同じ場所であること)が
特段に求められると思います。
すなわち、「有価証券報告書の提出場所」が公営ならば「有価証券の取引の場所」も当然に公営でなければならない、
という結論になると思います。
現代のように「有価証券報告書の提出場所」と「有価証券の取引の場所」とが分かれているということ自体が、
「ディスクロージャーによって投資家の利益を保護する。」という証券制度における基礎概念に反している、
と言わねばならないのだと思います。
「取引所市場」とは「財務局市場」のことだ、というくらい、
「有価証券の取引」と「ディスクロージャー」との一体性が求められると思います。
「店頭」("over-the-counter")とは、証券会社の店先で株式の取引を行うという意味です。
「取引所市場」とは、財務局で株式の取引を行うという意味なのだと思います。
なぜ財務局で株式の取引を行うのかと言えば、財務局で有価証券報告書の提出がなされるからです。
実務や現実を度外視した概念や枠組みだけの議論になりますが、株式の取引に証券会社が入ること自体が理論的にはおかしいのでしょう。
「株式の取引は財務局において投資家と投資家との間で行われるものだ。」、という考え方に元来的にはなるのだと思います。



「1893年には取引所が11箇所あったが、そこには地理的な場所の相違しかなく、適用される法律はどの取引所も同じであった。」

 

 



In 1893, one single law was applied to every exchange, whereas, in modern times, each exchange has its own regulations.

1893年には全ての取引所に共通の法律が適用されていましたが、現代では取引所毎に規程が異なっているのです。

 

Tokyo Stock Exchange is a stock company,
whereas Fukuoka Stock Exchange is a financial instruments membership corporation.

東京証券取引所は株式会社なのですが福岡証券取引所は金融商品会員制法人なのです。

 

What if Tokyo Stock Exchange approves the listing of the company in question and Fukuoka rejects?

東京証券取引所は問題の会社の上場を承認したが福岡証券取引所は上場を却下したとしたらどうでしょうか。

 

In 1893, the difference between one exchange and another exchange used to lie only in a geographical place.

1893年には、取引所と取引所の違いというのは、地理学上の場所ということしかなったのです。

 

People say, "Different places have different customs."
But, the situation "Different exchanges have different regulations." can't protect interests of investors.

「所変われば品変わる。」と言います。
しかし、「取引所変われば規程変わる。」というのでは投資家の利益は保護できないのです。

 

In modern times, for example, Fukuoka Stock Exchange can reject the listing of a company of which Tokyo Stock Exchange approves the listing,
whereas, in 1893, any exchange always used to approve the listing of a company of which one exchange approved.

現代では、例えば、東京証券取引所が上場を承認した会社の上場を福岡証券取引所が却下するということがあり得ますが、
1893年には、ある取引所が上場を承認した会社の上場はどの取引所においても必ず承認されていました。