2018年9月28日(金)
「共有物の各共有者の取得原価は『共有物の取得原価÷共有者の人数』である。」、と書いた時のコメント。
2018年9月19日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201809/20180919.html
「税務当局の立場から見ると、共有物の所有者の人数は概念的には1人だけである。」、という参謀案を提示した昨日のコメント↓。
2018年9月26日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201809/20180926.html
「現行の民法の規定を踏まえれば、会社が『共有』という法的形態で共有物を所有している場合には、
その共有物に関しては貸借対照表には理論的には『投資有価証券』勘定が計上されることになる。」、
という点について考察を行った昨日のコメント↓。
2018年9月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201809/20180927.html
昨日コメントを書いていて、ある一文を一旦は書いたのですが、説明が長くなるなと思ったので削除しました。
その一文を今日紹介し、一言だけ説明を加えたいと思います。
昨日削除した一文とは次の一文です。
共有物の使用は純粋に共有者間の問題(自治の問題)ですが、共有物の処分は法的要件の問題(第三者との関係の問題)です。
この一文は次のような意味です。
共有者間で「共有物の使用」についてトラブルが生じた場合、そのトラブルは第三者(共有者以外の人物)には
何らの影響も及ぼさない一方、共有者間で「共有物の処分」についてトラブルが生じた場合は
そのトラブルは第三者(特に共有物の買い手)に大きな影響を及ぼす、という意味です。
例えば、共有では共有者は皆、共有物の全部について使用をすることができるわけですが、
共有物の種類によっては現実的な理由により共有物を複数の人物(共有者ら)が同時に使用することが物理的にできない、
という場合があるわけです。
例えば、共有物が自動車である場合、共有者甲が共有物である自動車を使用する時は、
共有者乙は共有物である自動車を使用できないわけです。
共有者乙が共有物である自動車を使用できるのは、共有者甲が共有物である自動車を使用していない時であるわけです。
民法では、共有物を共有者間で具体的にどのように使用するのか(例えば、共有物の各自の使用可能時間帯の決定等)は
共有者らの自治の任せてある(民法は、共有物の具体的使用方法(日数や時間帯等)については関与しない)と言えるわけです。
民法は、共有物の使用については、「各共有者は共有物の全部について使用をすることができる。」、
と定めているだけであるわけです(第二百四十九条)。
民法の規定上は、共有物の具体的使用方法は共有者で協議をして決める、というだけなのです。
共有物の具体的使用方法について共有者間でトラブルが生じても、共有者以外には何らの影響も及ぼすことはないわけです。
ところが、共有物の処分について共有者間でトラブルが生じた場合は、現実には共有物の買い手に影響を及ぼすわけです。
極端な例を挙げますと、共有者甲は購入希望者である丙に共有物を譲渡したいと考えているのだが、
共有者乙は今後も共有物を使用し続けたいので共有物の譲渡に反対しているという場合、
共有者甲が「共有者乙も共有物の譲渡に合意しています。」と購入希望者である丙に嘘をつくことが考えられるわけです。
そのような場合、購入希望者である丙は共有者全員の合意があって共有物の譲渡が行われたものと考えるわけですが、
後になって、共有者乙が「共有物の譲渡に私は合意をしていない。」と丙に対し主張をすることは全くあり得ることであるわけです。
一言で言えば、共有物の具体的使用方法について共有者間でトラブルが生じても、他人を巻き込むことは一切ありませんが、
共有物の処分について共有者間でトラブルが生じた場合は、必ず他人を巻き込むことになるわけです。
自治の問題で済むのか、それとも、共有物の処分に関する法的要件の問題になってしまうのか、という相違点がそこにはあるわけです。
共有物の具体的使用方法の決定に法的要件はないわけです(それは自治の問題に過ぎない)。
特に共有者は現に法律上の所有権者の1人であるわけですから、購入希望者からは共有者間で共有物の処分に関する意思疎通は
十分に行われているもの、というふうに感じられるわけです(全くの第三者が譲渡の合意があると偽るのとはわけが違うわけです)。
購入希望者の立場からすると、現に所有権者の1人が目的物の譲渡を行うと言っていわけです(他者からは共有者らは身内に見える)。
購入希望者からは、共有者は皆、現にめいめいが所有権者である以上、取引の言わば「表見代表者」であるように見えるわけです。
「共有物の処分」に関しては、取引の相手方(共有物の購入者)を保護する法理が特段に求められるのではないかと思いました。
これは「共有物の処分」に関する取引の相手方(共有物の購入者)の責任を現実にどの程度求めるのかの問題であるわけですが、
共有者は現に法律上の所有権者の1人であるという点と第三者からは現実には共有者らは皆身内(仲間)に見えるという点を鑑みますと、
「共有」では通常の取引以上に取引の相手方(共有物の購入者)の利益が保護されるべきだ、という考え方になると思います。