2017年11月28日(火)



2017年11月28日(火)日本経済新聞
税・予算2018
交際費の損金算入 延長 ゴルフ場利用税存続 与党税調、要望聞き取り
追加歳出、2兆円台後半 今年度補正予算案 建設国債を発行
(記事)





税は会費のようなもの
(国税庁 税の学習コーナー)
ttps://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/gakushu/nyumon/page01.htm

 

 

元来的には国の財源に「受益者負担の原則」という考え方はないのではないか、という点について書いた過去のコメント

2017年11月10日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171110.html

 

税についての最近のコメント

2017年11月26日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171126.html

2017年11月27日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171127.html

 


【コメント】
元来的には国の財源に「受益者負担の原則」という考え方はないのではないか、という点について何回かコメントを書きました。
税の徴収や税の使用に関して「受益者負担の原則」という考え方を行うのは間違いである、と私は思っているわけです。
「受益者負担の原則」に基づき国が徴収するのは、税(tax)ではなく、負担金(charge)であると私は思うわけです。
負担金(charge)の具体例として最も典型的なのは、国の設備等の通行料・使用税(toll)であるわけです。
負担金(charge)の最も分かりやすい例が、「高速料金(高速道路通行料)」ですが。
「高速料金(高速道路通行料)」は、まさに「高速道路の利用者」のみが支払うものです。
高速道路を利用しない人は、「高速料金(高速道路通行料)」を1円も負担する必要はないわけです。
利用する人のみが負担をする、それが厳密に「受益者負担の原則」に基づいた金銭の徴収であるわけです。
例えば、国が徴収した所得税を高速道路の建設に使用したとしましょう。
この時、高速道路を利用しない納税者は、所得税を負担することにより、一体どのような便益を享受できるというのでしょうか。
何の便益も享受できないわけです。
その納税者にとっては、受益はないのに負担だけはある、という状態になるわけです。
このような所得税の徴収は、「受益者負担の原則」に基づいた金銭の徴収とはとても言えないわけです。
しかし、「高速料金(高速道路通行料)」を高速道路の建設に使用する場合というのは、
まさに、高速道路の利用者が高速道路の建設費用を負担していることになるわけです。
高速道路の利用者は、信号機も歩行者もないより速いスピードで通行をできる道路を利用するという便益を享受している
わけなのですから、その建設のための金銭を負担するのは「受益者負担の原則」という考え方に完全に合致しているわけです。
簡単に言えば、受益者と費用を負担するべき者とのが明確に対応している場合に受益のために国が徴収する金銭のことを、
負担金(charge)と呼ぶのではないかと私は思うわけです。

 



税についての理解を深めるために、国税庁の税の学習コーナーのページを紹介しています。
このページには、税とは「社会を支える会費のようなもの」と書かれています。
公共サービスというのは、社会の皆が享受するものですから、社会の皆で公共サービスの費用を負担しよう、
という考え方になっている、と解説されているわけです。
この考え方は一見すると、「受益者負担の原則」のことを指しているのではないか、と思われるかもしれません。
しかし、考えてみますと、ある納税者がある年に所得税をどれだけ納付したとしても、その1年間の間に、
救急車は1回も呼ばず、病院にも1回も通わず、ごみも家で燃やし(ごみは1回も出していない)、110番も1回もしていない、
ということは実際によくある話であるわけです。
簡単に言えば、その納税者は、受益は一切していないのに負担だけをした、ということになるわけです。
これは全く「受益者負担の原則」ではないわけです。
公的サービスは一切受けていないにも関わらず、公的サービスのための費用の負担だけをしている、という状態であるわけです。
紹介している国税庁のページには、

>このように、税金がなかったら、公共サービスを受けるのにすべての費用を自分で負担しなければならず、困りますね。

と書かれています。
しかし、この言葉は裏を返せば、
「公共サービスを受けるのは自分なのに、自分以外の人が費用の一部を負担している。」という意味であるわけです。
医療費は3割負担だなどと言いますが、では社会の全員が病院に通ったとしたら、
3割負担では医療費の収支は成り立たないわけです。
なぜなら、医療費の残りの7割は、「病院に通っていない者」が支払っているからです。
一言で言えば、「受益をしていない者が費用を負担する」ことで、公共サービスは成り立っているわけです。
繰り返しますが、公共サービスというのは、「受益をしていない者が費用を負担する」ことで成り立っているのです。
このような受益と費用負担の不均衡は、まさに「受益者負担の原則」の正反対である、と言わねばならないわけです。
受益をしている者の費用負担は極僅かであり、受益をしていない者の負担割合の方がはるかに多い、という状態であるわけです。
また、厳密に「受益者負担の原則」に基づくならば、生活保護受給者は一切の公共サービスを享受してはならない、
ということになってしまうでしょう。
なぜなら、生活保護受給者は、公共サービスのための費用を一切負担していないからです。
このことは、生活保護の社会的位置付けとも矛盾するでしょう。
ですので、税(tax)というのは、「受益者負担の原則」の考え方に基づくと考えるべきではないのです。
税(tax)と公共サービスとの関係について言えば、簡単に言えば、
税というのは社会における「助け合い」や「支え合い」のために支払うものなのだ、と考えるべきなのだと思います。

 

Public services are sustained by non-beneficiaries, actually.

公共サービスというのは、実は受益者ではない人によって支えられているのです。