2017年11月26日(日)


2017年11月23日(木)日本経済新聞
森林環境税 1人1000円 20年度以降、年620億円に 政府・与党方針
(記事)


2017年11月23日(木)日本経済新聞
バラマキ懸念拭えず 森林環境税、効果が不透明
(記事)


 

元来的には国の財源に「受益者負担の原則」という考え方はないのではないか、という点について書いた過去のコメント

2017年11月10日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171110.html

 


【コメント】
「森林環境税」という新しい税目が新設される方針となっているようです。
「森林環境税」は、英語では「forest environment tax」とでも訳すのでしょうか。
「森林環境税」自体は国税の一税目とする方針であるようですが、
その使途についてですが、国が徴収した税を地方自治体に配分し、
地方自治体は間伐や林道の整備、林業従事者の育成に活用する、とその使途は限定されることになるようです。
ただ、記事を読んで思ったのは、以前も書きましたが、一般に、「税」というのは使途を制限されないものをいうのではないか、
というふうに今日も思いました(つまり、「税」の使途は"general"(全般向け)ということではないかと思いました)。
「税」に関しては、「財源」(financial resources)という言葉がよく用いられますが、
税の名称というのは、まさにその「財源」(financial resources)を表現したものなのではないかと思うわけです。
例えば、所得税というのは「所得」が源ですし、法人税も「法人の所得」が源であるわけです。
消費税は「消費」が源ですし、固定資産税は「固定資産」が源であるわけです。
揮発油税は「揮発油」が源ですし、自動車取得税は「自動車の取得」が源であるわけです。
財源や源では意味が分かりづらければ、「原因」と表現してもよいと思います。
税の名称は、「原因」(すなわち、「課税原因」)を表しているわけです。
逆から言えば、税の名称というのは、「使途」を表現するものではない、と私は思うわけです。
「使途」を決めるのは、国会ではないでしょうか。
そして、使途決定のための素案が大蔵省原案と呼ばれたりするわけです。
税収というのは、一旦全て国に集められ、その上で、国会で決定された使途に従い、
それぞれの使途に税収が国から配分されていくわけです。
そこに、「この使途の財源はこの税目からの収入だ。」という考え方はないわけです。
他の言い方をすると、国が徴収した税を実際に使用する場面では、税収に区別はない(同じ国の収入というだけ)わけです。
さらに他の言い方をすると、税目と使途とは関係がない(財源と使途とは一対一に対応してはいない)わけです。
企業会計の貸借対照表においても、企業がある資産を取得するという場合、財務上は、資産取得のための源泉は、
資本金なのか内部留保なのか借入金なのかに答えはない(財務上は単に「手許にある現金で買った」というだけ)わけです。
経営上は、例えば「銀行から資金を借り入れその資金でこの資産を取得した。」という言い方ができるだけなのです。
法律上も財務上も、実は企業内にある現金を源泉毎に区分することはできないのです。
例えば、「今手許にある現金総額のうち、この現金は借り入れによる現金だ。」と他と区別することは財務上はできないのです。

 



税収も同じであり、徴収された現金が税収という形で一旦国庫に入ってしまうと、その現金は各税目とは切り離されるわけです。
徴収された現金が税収という形で国庫に入った後は、総税収額の「使途の決定」ということしかないわけです。
率直に言えば、理論的にはと言いますか予算編成上は、税の名称では使途を限定できない、ということになるわけです。
例えば、創設される「森林環境税」は、住民税に1000円を上乗せして徴収する方針となっているようですが、
納税者から見ると、それは住民税そのものが1000円増税されたことと区別はないわけです。
納税者は、「この使途のために税金を使って欲しい。」と言って所得税を納付するでしょうか。
納税者は、「何に使うのかは知らないが、大切に使ってくれよ。」と強く願いながら所得税を納付するだけではないでしょうか。
すなわち、税の納付とその使途とは本来関係がないはずなのです。
最近では、何ですか、ふるさと納税なんていう新しい納税方法があるようで、一部の地方自治体に関しては、
どう配分されるか分からない国による地方交付税・交付金を納税者として当てにするのではなく、
納税者自身が「この自治体に自分が納付した税金を使って欲しい。」と言って、
納税する地方自治体を納税者が自分で指定・選択できるようになっています。
しかし、それでも、地方自治体が決定する「使途」まではその納税者は指定できないわけです。
簡単に言えば、ふるさと納税が行われるよういなった結果、以前に比べると、
今では自分が納付した税金が使われる「場所」(自治体)までは納税者が指定できるようになった、
という言い方ができるわけです。
しかし、その先、すなわち、より具体的な「使途」については、依然として、町議会や市議会や県議会が決定している、
という状況であるわけです。
率直に言えば、税の「使途」は国会・議会が決めるものであるわけです。
納税者としては、税の「使途」の決定に関しては、自身が選択した議員に委任をしている、と考えなければならないのです。
それが民主主義社会(すなわち、政治や選挙と呼ばれるもの)なのだと思います。
結局のところ、一言で言えば、本来的には、税収・税目とその使途とは全く紐付いていないものであるわけです。
ですので、仮に、ある名目で国が徴収した現金とその使途とを一対一に紐付けることを考えるならば、
「税」(tax)という名の徴収ではなく、「負担金」(charge)という名の徴収を行うべきなのではないかと思うわけです。
このたびの事例で言えば、「森林環境負担金」(charge for the forest environment)と名付けるべきではないでしょうか。
確かに、日本では、一般財源や道路特定財源、そして、一般会計や特別会計といった具合に、「税」とは言うものの、
税収の使途を予め明確に制限できる仕組みは法律上も作れますので、実務上はそれほどこだわる話ではないのかもしれません。
「森林環境負担金」も「森林環境税」も同じではないかと言われれば、現実には同じなのかもしれません。
しかし、理論上は、「税の使途は議員が決めるもの。(税の使途の決定は議員に委任をしている。)」、
という考え方になるはずだ(税収には予め明確に紐付いた使途があるわけではない)、と思いましたので一言だけ書きました。
「これはこれに使う。」といった具合に、財源と使途とを直接的に一対一に紐付けたい場合は、
「税」と呼ばれる概念の徴収ではない、と直感的に感じましたので、僭越ながら私見を書かせていただいた次第であります。

 

A title of a tax represents not a 'purpose' but a "cause."

税の名称というのは、「使途」ではなく、「原因」を表すものです。