2017年11月25日(土)


2017年11月22日(水)日本経済新聞
米司法省、AT&T買収阻止へ ネットメディア寡占 警戒 世論への影響力大きく
(記事)




「ネットワーク中立性(network neutrality)」の概念に関する昨日のコメント

2017年11月24日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171124.html

 

アメリカでは新聞発行とテレビ放送の兼業は禁止されている、という点に関するコメント

2017年11月18日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171118.html

 


「受益者負担」についての過去のコメント

2017年11月10日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171110.html

 


【コメント】
昨日のコメントに一言だけ追記をします。
まず最初に、2017年11月22日(水)付けの日本経済新聞の記事を紹介しています。
昨日紹介できればよかったのですが、昨日は紹介し忘れていた記事になります。
今日紹介している記事は、「ネットワーク中立性(network neutrality)」とは直接的には関係ないのですが、
インターネットコンテンツの提供の寡占を通じて、偏った情報を配信してしまう恐れなどがあることなどが
記事の中では懸念されているようです。
国民が複数の情報に接することが民主主義社会では重要だ、と米国では考えられているのでしょう。
日本の新聞で言えば、全国紙も複数あり地方紙も複数ある(複数の記事を読み比べることができる)、
という状態が新聞報道では望ましいわけであり、
また、日本のテレビ放送で言えば、キー局も複数あり地方のテレビ局も複数ある(複数の報道・放送を見比べることができる)、
という状態がテレビ放送では望ましいわけです。
AT&Tによるタイムワーナーの買収(健全な競争を阻害するか否か)に関しては、私は最初、
「消費者であるインターネットユーザーや視聴者の立場に立ち、消費者の利益に資するか否かで判断をすればよいのではないか?」、
と思いました。
例えば、AT&Tがタイムワーナーを買収した後も、AT&Tはインターネット接続料金やコンテンツ配信料金を
引き上げたりはせず、また、タイムワーナーも各種番組視聴料金を値上げしたりしない、
というような条件であるならば、買収を認めるべきではないか、と思いました。
つまり、極端なことを言えば、企業買収が盛んに行われ、寡占がどんなに進んだとしても(そして独占の状態に達したとしても)、
消費者の利益に資するならばそれもまたよし、という考え方が公正取引の観点からはあり得ると思ったわけです。
企業が提供する各種サービスの料金に問題がなければ(消費者の利益が害されることがなければ)、
それで何の問題もない(企業間で競争が行われないこと自体は何ら問題はない)、というふうに思ったわけです。
かつて、日本電信電話公社だった頃、日本の電話は不便でしたでしょうか。
企業間における競争がないならないで、公正取引規制当局としては、
消費者の利益のために講じることができる施策・対処法というのは現実にはいくらでも考えられるわけです。
禁止されるべきなのは、企業間の競争がなくなることではなく、消費者の利益が害されることであるはずです。
ある1つのパソコンのOSの市場シェアが9割を超え、また、
それにバンドルされているブラウザの市場シェアが9割を超えているとしても、ユーザーは誰も困らないわけです。
私など、大学時代、大学の研究室で、教授に対し、「複数あるのは不便ですので、パソコンのOSは統一したらどうですか?」
とあまり深く考えずに言ってしまった(研究室にはパソコンが福数台あり、OSが異なっていたわけです)わけですが、
今振り返ってみますと、1人のパソコン使用者としては、あの発言は極めて自然な発想から生じたものだと自分で思います。
OSやブラウザが複数あってもユーザーにとっていいことは何もないわけです。
OS毎に操作方法が異なる方が現実には作業に支障をきたすわけです(自分が作成したファイルの互換性の問題もさらに生じる)。
当時、独占状態とは言え「インターネット・エクスプローラー」が無料で困ったユーザーは誰もいないはずです。
今では、「Windows 10」も旧OSからのアップグレードという形であれば、無料と言って状態にあるかと思いますが、
少なくともそれでユーザーは困りはしないわけです。
一消費者・一ユーザーの立場から言えば、「独占」状態は必ずしも自分の利益を害するものとは限らないわけです。
むしろ、OSといった使用する上でのインフラに相当する部分のものは、「独占」状態の方が望ましかったりするわけです。

 



以上の議論をまとめますと、一消費者・一ユーザーの立場から言えば、
「多様化した方がよい部分と共通化・統一化された方がよい部分とがある。」、ということになるわけです。
「多様化した方がよい部分」というのは、一言で言えばコンテンツです。
具体的には、新聞記事や放送される番組や配信される音楽・映像や主義・主張や個人・団体の意見や書籍類や論文の類です。
逆に、「共通化・統一化された方がよい部分」というのは、一言で言えばインフラストラクチャーに相当する部分です。
具体的には、通信方法やOSやオフィス用ソフトウェアであり、他の言い方をすれば人が接するインターフェースの部分のことです。
コンテンツが共通化・統一化されてしまいますと、それこそマインド・コントロールや情報統制の世界に入ってしまうわけです。
民主主義社会では、コンテンツが多様化されていることが補償されていなければならないわけです。
逆に、インフラストラクチャーの部分が多様化しても、ユーザーにとっていいことは何もないわけです。
大きな視点から言えば、社会的にも大きな損失が生じるといっていいでしょう。
ユーザーにとっても社会にとっても、インフラストラクチャーは共通化・統一化されているべきなのです。
抽象的な言い方をすれば、多様化した方がよい部分というのは「ソフト」であり、
共通化・統一化された方がよい部分というのは「ハード」であるわけです。
例えば、オフィス用ソフトウェアというのは、形はソフトウェアですが、ユーザーに作業場所を提供しているという意味において、
ユーザーの立場から言えば、使用上は「ハード」に分類されるものと言っていいわけです。
「多様化した方がよい部分」と「共通化・統一化された方がよい部分」については、
以上のように話を整理をすることができるかと思います。
AT&Tによるタイムワーナーの買収(健全な競争を阻害するか否か)の議論に戻りますと、
AT&Tがタイムワーナーを買収しても、「ハード」は増加も減少もしない、という言い方ができるのではないでしょうか。
その意味において、AT&Tがタイムワーナーを買収しても、消費者やユーザーの利益は害されないように思います。
買収の結果、ネットメディアとして寡占が進んでしまうことについてですが、
少なくとも提供されるサービスの料金に関しては、公正取引規制当局が対応を講じることは現実に十分にできると思います。
しかし、「ソフト」に関しては、提供されるコンテンツが共通化・統一化される恐れがある、とは言えるのかもしれません。
今日紹介している2017年11月22日(水)付けの日本経済新聞の記事でも、
買収の結果、放送・報道の多様性がなくなる・減少する、ということが懸念されているように思います。
「メディア」という観点から見ると、買収が行われることによる弊害は、
企業間の競争がなくなってしまう(寡占が進む)ことではなく、放送・報道の多様性がなくなる恐れがあることなのだと思います。
公正取引規制当局は、サービスの料金を引き下げよ、とは指示・指導できるでしょうが、
放送・報道の内容を多様性せよ、とは指示・指導できないのではないでしょうか。
結局のところ、アメリカでは、メディア企業1社が同じ地域で新聞社と放送局(テレビ局とラジオ局)を両方持つことは
1975年以来禁止されてきた、というのも、報道・放送の多様性を担保する一手段だった、という言い方ができるかと思います。
ただ、記事には、「異業種統合」や「垂直統合」という言葉が書かれていますが、
同一主旨の報道内容でも、伝達方法が異なると、読み手や視聴者に与える影響というのは大なり小なり異なってくるわけです。
新聞は文字と写真だけですが、テレビは映像と音声が使えますし、
さらにインターネットでは他の関連記事(他社の記事等)へのリンクを同時に表示する、という手段が使えるわけです。
むしろ、報道や放送の比較はインターネットの方がはるかに容易であるわけです。
例えば、テレビ局がテレビ局を買収すると同一メディアの「ソフト」の提供者数が減少してしまう(多様性がなくなる)わけですが、
AT&Tのように、「異業種統合」や「垂直統合」という形であれば、同一メディアにおける「ソフト」の多様性は減少しない、
と言えると思いますので、現実には「ソフト」に関する買収の弊害も非常に小さいのではないかと個人的には思います。