2017年11月24日(金)



2017年11月23日(木)日本経済新聞
ネット大手覇権に待った 米「中立性」原則を撤廃 フェイスブックなど反発
シリコンバレー標的 トランプ氏、政策で対立
(記事)




2017年11月24日(金)日本経済新聞 社説
サイバー寡占に競争当局は立ち向かえ
(記事)



「受益者負担」についての過去のコメント

2017年11月10日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201711/20171110.html

 



【コメント】
2017年11月23日(木)付けの日本経済新聞の記事に書かれています「ネットの中立性」という言葉は、
検索して調べてみますと、正確には「ネットワーク中立性(network neutrality)」というようです。
「ネットワーク中立性(network neutrality)」の定義は特に一意に定まっているわけではなく、
現在でも論者により様々な意味に用いられているようです。
「ネットワーク中立性(network neutrality)」については以前も少しだけコメントを書いたように思いますが、
記事中に最も簡単な定義・用例が書かれていますので引用します。

>必要な設備投資は通信会社が担う。
>消費者がネット上で差別なくサービスを利用できるようにする原則を守ると
>「ネット企業には回線インフラのただ乗りを許す」(コロンビア大学のリチャード・ジョン教授)ことになると指摘されていた。

「ネットワーク中立性(network neutrality)」は2015年に米国では法制化されたとのことで、
記事には、2015年に米国で定められたルールについて次のように書かれています。

>インターネット上を流れるコンテンツを公共財として「平等」に扱うよう通信会社に求めた。

結論を端的に言いますと、「ネットワーク中立性(network neutrality)」を徹底することを考えますと、
結局のところは、通信インフラは「国営」(国が構築・運営する)という結論になると思います。
インターネットと国営と聞きますと、対極にある存在なのではないかと思われるかもしれませんが、
「ネットワーク中立性(network neutrality)」を徹底するならそうなるわけです。

 


通信インフラの利用は、道路に例えるのが一番分かりやすいでしょう。
一般道を通るのに、通行料金がかかるでしょうか。
通行者は一般道を差別なく利用できるわけです。
他の言い方をすれば、全ての通行者は一般道をただ乗りしているわけです。
通行者にとって、一般道は公共財として「平等」に扱われているわけです。
なぞらえて言うならば、このような道路の状態のことを「道路中立性(road neutrality)」と呼ぶわけです(私の造語ですが)。
このような「道路中立性(road neutrality)」を提供できる存在というのは、煎じ詰めれば国しかないわけです。
一般道の提供は、営利を目的としたサービスの提供とは異なるからです。
一方で、信号機も歩行者もなくより速いスピードで通行できる道路を提供することも考えられるわけです。
それが高速道路です。
高速道路を通行するには、当然のことながら高速道路料金を支払わなければならない(決してただ乗りはできない)わけですが、
通行者は一般道とは異なる条件で(通行条件の差別がある)高速道路を利用できるわけです。
一般道と比較して、高速道路は公共財として「平等」に扱われてはいない(高速道路は純粋な公共財ではない)わけです。
すなわち、高速道路に「道路中立性(road neutrality)」を求めるのは矛盾であるわけです。
結局のところ、以上の議論がそっくりそのまま「ネットワーク中立性(network neutrality)」の概念にも当てはまるわけです。
簡単に言いますと、より高速な通信速度をインターネットユーザーが求めるならば、
より高額のサービス料金を負担する必要がある、という考え方になるわけです。
インターネットユーザーが動画などの大容量データを利用する際には、
そのユーザーが回線のトラフィック(通信量)を大幅に占有することになりますので、
回線を提供している側は、通信速度に制限を設けたり通信量に制限を設けたりするか、
さもなくば、ユーザーは制限解除のため別途サービス料金を負担する、という対処方法・仕組み・料金体系が求められるわけです。
インターネットユーザーと言っても様々であり、メールと文字のみのニュース記事を読めれば十分という人もいれば、
動画をいつも視聴するという人もいるわけです。
通信回線の提供者は、通信速度や通信量に関して複数の種類のサービスと料金体系を提供することが求められるわけです。
一般に、通信速度や通信量に制限があるサービスほど低価格であり、
通信速度が高速でや通信量に制限がないサービスほど高価格であるわけです。、
インターネットユーザーは、利用料金を勘案しながら、自分に最も適していると判断するサービスを選べばよいわけです。
そのこと自体は何の問題もないわけです。

 


しかし、複数のサービスと利用料金が提供されていることは、
「ネットワーク中立性(network neutrality)」には反するわけです。
すなわち、複数のサービスと利用料金の提供と「ネットワーク中立性(network neutrality)」は、決して両立しないのです。
真に「ネットワーク中立性(network neutrality)」を実現させるならば、全インターネットユーザーにとって、
通信速度も通信量も完全に無制限で利用料金も完全に無料、という通信回線を提供しなければならないわけです。
まさに、一般道の通行は全く自由で通行料金も一切かからないように、です。
米国にも同じような組織があると思いますが、日本には公正取引委員会がありますが、
公正取引委員会は消費者の利益のため事業者は様々なサービスを低価格で提供せよ、
と主張するわけですが、その主張と「ネットワーク中立性(network neutrality)」は本質的に完全に矛盾するわけです。
経営戦略の中には「差別化戦略」と呼ばれる戦略がありますが、
様々なサービスを提供することはまさにサービスを差別化することであるわけですが、
そのこと自体は消費者の利益に資することであるわけです。
サービスに応じた利用料金を利用者が負担することは、何ら間違ってはおらず、
消費者の利益に資することでもあるわけです。
この考え方は、「受益者負担」の原則にも適うことと言えるでしょう。
しかし、概念論・本質論として、「受益者負担」の原則と「ネットワーク中立性(network neutrality)」の概念は相反しますし、
また、「受益者負担」の原則と「道路中立性(road neutrality)」の概念も相反するのだけは確かであるわけです。
ですので、必要以上に「ネットワーク中立性(network neutrality)」を社会に求めることは、
逆に、消費者の利益に反する、という負の側面が生じてしまう(本末転倒なのではないか、と)というふうに私は思います。
概念論・本質論として、「ネットワーク中立性(network neutrality)」を金科玉条にすることは間違いなのです。


 

It is as difficult as you have the sun rise from the west for you to have me get married.
If you were able to have the sun rise from the west someday, I would marry the designated on the same day.

私を結婚させることは、太陽を西から昇らせることと同じくらい難しいのです。
いつかの日か太陽を西から昇らせることができたならば、私はその日のうちに言われた人と結婚します。