2017年10月28日(土)



2017年10月28日(土)日本経済新聞
ポスト黒田も黒田氏本命 安倍政権「脱デフレ」継続へ 交代に円高リスク
(記事)



2017年10月28日(土)日本経済新聞
きょうのことば
日銀総裁 金融政策、議論仕切る
(記事)


2017年10月28日(土)日本経済新聞 社説
欧州中銀は混乱なき緩和縮小を探れ
(記事)


2017年10月28日(土)日本経済新聞
株高持続、増益上積み条件 海外勢、長期保有買いも
(記事)


2017年10月28日(土)日本経済新聞
日経平均21年ぶり高値 2万2000円台 米金利上昇、銀行株に買い 円安で業績改善期待も
(記事)


2017年10月28日(土)日本経済新聞
中小型株、上値追えるか 「緩和縮小は緩やか」の見方
(記事)

 


金融政策についてのここ3日間のコメント

2017年10月25日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171025.html

2017年10月26日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171026.html

2017年10月27日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171027.html


 


【コメント】
金融政策については、昨日のコメントで書き尽くしたと思っています。
マイナス金利だ、などと言い出した時点で、「金融政策について書くことはもうないのかもな。」、と思っていたのですが、
そもそもの原理や元来的な考え方に関してであればまだまだ書くことはあるな、と昨日は思いました。
「金融政策については自分なりに十分に書き尽くすことができた。」、昨日そう思いました。
改めて考えてみますとと言いますか、書き尽くしてみてふと我に返ってみると、
人類の歴史を振り返れば、そもそも市中には貨幣と呼ばれるものはなかったわけです。
市中銀行に貨幣があったわけでもないわけです。
誰かが作った貨幣を何らかの形で国が人々に渡して行ったからこそ、市中には貨幣があり市中銀行には貨幣があるわけです。
ではそもそも一体誰が貨幣を作ったというのでしょう。
経済学という学問は、話の途中から始まっている理論なのかもしれないな、と思いました。
経済学というのは、「なぜ人々は貨幣を持っているのか(なぜ市中には貨幣があるのか)?」という問いは度外視しているわけです。
経済学は、「人々は貨幣を持っている(市中には貨幣がある)。」というところから話が始まっているわけです。
そして、世の中の全てが実はそういったところがある、と思いました。
「そう言えば、小学校6年生の頃、同じようなことを考えたな。」、と今日思い出しました。
「人間て何にもできないのかもな。」、小学校6年生の頃も思いましたし、今日久しぶりにそう思っているところです。
そんなことを考えていると、今日はあることを思い出しました。
それは、自分が中学生の頃志望していた高校の寮には風呂や食堂がない、ということを中学生の時に聞いたことがあったことです。
受験勉強しか頭になかった中学生の頃(受験生の頃)は、それは冗談か何かなのだろう、と思い全く気にしていなかったのですが、
大学を卒業してからその事実を人から再度聞いたり、また、かつての志望校に実際に自分で訪れたりして、
確かに寮には風呂や食堂がないようだ、と自分の目で確認したことがあります(その高校では寮生活などできないと分かりました)。
ただ、その頃は、経営なり会計なり法律なりの勉強で忙しい毎日を送っていましたし、
ホームページ(女子アナ総合研究所)の作成・更新で非常に忙しくなり、そのことは忘れていたのですが、
今日は妙に我に返ったような心境になりまして、寮に風呂や食堂がないなら受験生を合格にするわけにはいかないわけですから、
「自分は社会的に始めから絶対に合格することのない高校に合格するために勉強を頑張っていたのかもしれない。」、と思い、
少し虚しさと言いますかやるせなさのようなものを感じているところです。
そして、大学受験も同じだったのかもしれないな(社会的に始めから合格しないことになっていた)、と思っているところです。
正直に言えば、あの努力は何だったのか、という思いがないわけではありません。
ただ、では受験がなかったどういう生活・人生だったのかと考えてみますと、まあ暇だったんだろうな、と自分で想像しています。
小学校6年生の頃、「退屈だな。暇だな。することないな。」、そう思いながら生きていたのを覚えています。
そういったことを考えますと、直接的には努力が実ることはなかったわけなのですが、怪我の功名とでも言いましょうか、
大学生活にも心残りのようなものができてしまい、大学を卒業後、改めて何か勉強をし直したいと思うようになり、
経営や会計や法律を学ぶようになった次第です(後悔や心残りが自分をここまで成長させてくれたと思っています)。
次のような記事もありまして↓、世の中、実は演出がないと人生暇なのかもな(演出があるから人生になる)、と思っています。
様々な演出に振り回されたのも事実であり、悔しい思いもたくさんしましたが、それも人生だったんだろうと今では思っています。

2017年10月28日(土)日本経済新聞
ケネディ暗殺、消えぬ陰謀論 外国政府やマフィア関与説 機密文書を公開
(記事)