2017年8月24日(木)
昨日までの一連のコメントに一言だけ追記をします。
今日のコメントも、どちらかと言うと最近の一連のコメント全てに関連のあるコメントになりますが、
昨日のコメントの続きとして読んでいただければと思います。
今日は、昨日までの一連のコメントと関連する形で「のれん」と「減損」について書きたいと思います。
土地や建物の譲渡所得に対する税金(国税庁)
ttps://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/pamph/koho/kurashi/html/05_2.htm
>マイホームを売って、譲渡損失が生じた場合
>売った年の1月1日現在で、所有期間が5年を超えるマイホームの譲渡損失が生じた場合には、
>次の(イ)又は(ロ)により、その譲渡損失の金額をその年の他の所得と損益通算することができます。
>その年で通算しきれなかった譲渡損失の金額がある場合には、その年の翌年以後3年内の
>各年分(合計所得金額が3,000万円を超える年分を除きます。)の所得から繰越控除することができます。
過去の関連コメント
2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html
2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html
から
2017年8月23日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170823.html
までの一連のコメント。
まず、昨日のコメントに一言だけ追記をします。
昨日のコメントでは、不動産登記においては「自動登記制度」が実際に運用されていたのだが、
では神ならぬ人間が「賦課課税制度」を現実に運用することはできるだろうか、という点について書きました。
昨日のコメントでは、
>神ならぬ人間が「賦課課税制度」を実現させるとしたら、公務員が商取引や所得を補足できる仕組みが現実には必要となる
と書いたわけですが、神ならぬ人間が「賦課課税制度」を実現させる現実的仕組みとして、昨日は私案として次の2つを挙げました。
○商取引は役場でのみ行う。
○会社に公務員が常駐する。
昨日は上記2つの案を自分の頭で考えて書いた(昨日は自分で考え付いた)わけなのですが、
自分で考え付いたこれら案について今日改めて考えていましたら、ひょっとしたら、と思い出すことがありました。
それはまさに、「会社に公務員が常駐する。」という現実的仕組みが実際に運用されていた、
という話を聞いたことがある気がする、という点です。
これは「そう言えば聞いたことがある気がする。」と今漠然と遠い記憶をたどっているところなのですが、
1980年か1981年のころに近所に住む年配の人から、「以前は会社に公務員が常駐していた。」と聞いた気がするのです。
昨日は全く思い出せなかったのですが、人の記憶(脳)というのは一体どういう仕組みになっているのか、
自分で「この案しか現実にはないよな。」と考えていましたら、
「待てよ、この話も聞いたことがある気がする。」と今日思い出したところなのです。
その時の記憶を思い起こしてみますと、まさに私が昨日書きましたように、
以前は全ての会社会社に公務員が常駐していてその公務員が会社の税金を計算していた、という話を聞いたことがあるのです。
自然人は現実には所得をあまり稼得しない(するとしても「給与」のことがほとんどなので源泉徴収の形なります)ため、
自然人は(給与以外の場合は)所得を稼得した場合は確定申告をすることになるのですが、
法人の場合は、所得の金額や種類や頻度が大きいことが理由でしょうが、会社に常駐する公務員が税金の計算をしていたようです。
個人は確定申告をするが以前は法人は確定申告をしていなかった、と1980年か1981年に近所に住む年配の人から聞いたのです。
話を推測するに、法人税法に「申告納税制度」が導入されたのは1970年代のことになるのではないかと思います。
逆から言えば、1960年代以前は、法人税法はまさに「賦課課税制度」であった、ということになります。
改めて記憶と知識を整理して考えてみますと、法人税法の抜本改正(全部改正)は1965年(昭和40年)であったと思いますが、
ひょっとして1965年(昭和40年)に法人税法に導入されたのが「申告納税制度」ということだったのかもしれない、
と今過去の改正等頭を整理して考えているところです。
具体的に何年まで会社には公務員が常駐していたのかについてはその時は聞いていない(もしくは単に私が失念している)のですが、
頭を整理して考えてみますと、「1964年までは会社には公務員が常駐しており法人税の計算をしていた。」
ということになりそうです。
私の記憶と理解が正しいならば、法人税法は1965年(昭和40年)から「申告納税制度」に変更になった、ということになります。
そして、法人税法は1965年(昭和40年)以前は「賦課課税制度」であった、ということになります。
現実的には、個人に比べ法人の数ははるかに少なかったからこそ現実にそのような運用が可能であったのだろうと思います。
所得税法はいつから「申告納税制度」になったのか(いつまでは「賦課課税制度」であったのか)については宿題にしたいと思います。
次に、昨日書きましたように、1980年当時は「土地の譲渡益には所得税はかからない。」という取り扱いであったわけですが、
昨日のコメントでは、その理論的背景について自分なりに説明を試みてみました。
最初の国税庁の解説ページを紹介していますが、現在の規定では、「土地の譲渡益に所得税はかかる。」
という取り扱いになっています。
「土地 譲渡益 課税」というキーワードで検索しますと解説記事がたくさんヒットしますので、各自で見てみてください。
昨日のコメントでは、土地の価格は国が決めており、マクロ的な経済成長を鑑みれば、土地の価格は上昇し続けるわけなのですが、
その結果、国家政策的に、土地の譲渡に伴い譲渡損失が認識(計上)されることは決してない、ということになるわけです。
では、建物の場合はどうでしょうか。
単純に考えて、建物の価格も国が決めている、と考えてよいわけですが。
土地とは異なり、建物は時の経過とともに劣化していくので、年月の経過に応じて価値が減少していきます。
すなわち、建物の価格は年月の経過に応じて下落していく(国が建物の価格を下げていく)、という考え方になるわけです。
そうしますと、土地とは正反対に、建物の譲渡を行うと、必然的に譲渡損失が認識(計上)されることになるわけです。
このように書きますと、建物の価値は減価償却手続きにより減少させていくものなのではないか、と思われるかもしれません。
この辺り、税法上いつから減価償却手続きを行うようになったのか、といった点について、
所得税法や法人税法を調べないといけないわけなのですが、建物の価格は国が決めると考えると、
理論的には、「建物の価格は国が決めること」と「減価償却手続き」との間に整合性がない、というふうに感じます。
理論的には、建物の価値・価格は誰が決めるものでもないという場合(前提の時)に、減価償却手続きにより建物の価値を決める、
ということではないかと思うわけです。
逆から言えば、建物の価値・価格は国が決めるという場合は、減価償却手続きは理論的には不要ということになる気がします。
もちろん、減価償却手続きがあるかないかでは、毎年の損金の金額そのものが大きく変わってきますし、
さらに、減価償却手続きがない場合は、「稼働」という考え方をしない、ということにもなります。
この辺り、「建物の価格は国が決めること」と「稼働」という概念との関連(整合性)もこの議論では理論的に重要かと思います。
今日は、話の焦点を絞るために、建物に減価償却手続きはない(建物の価格は国が決める)、とします。
そうしますと、建物の譲渡損失は損金ではない、という考え方が出てくるように思うわけです。
なぜならば、建物の価格の下落は純粋に建物の価値の減少を反映したもの(表したもの)に過ぎないからです。
昨日私が書きました「土地の譲渡益には所得税はかからない。」ということの理論的背景と
理論的に類似するものがあるわけですが、
年月の経過(価値の減少)を鑑みますと、昨年の現金100円は今年の現金80円だ、という考え方になるわけです。
「建物の価値の減少を鑑みれば、この譲渡損は譲渡損とは見なせない。」という考え方につながっていくわけです。
建物の価格は国が決める、とはそういう意味ではないでしょうか。
ただ、土地の価格の上昇とは異なり、建物の価値の減少は経済発展や貨幣の価値の減少とは関係がないのも確かであるわけです。
そうしますと、建物の譲渡損を譲渡損を見なさないというのもやはり何かおかしい(やはり建物は土地とは違う、と)わけです。
この点について、何か理論的に整合性のある説明は何かできないだろうか、と考えてみました。
すると、私はここである1つの結論に辿り着きました。
それは、「建物の価格を国が決めることはできない。」という結論です。
先ほどは、建物の価格は国が決める(減価償却手続きはない)という仮定を置いたのですが、
そういった仮定を置くとどこか説明が付かなくなるのを感じるわけです。
端的に言えば、「国は土地の価格を決めることはできるが建物の価格を決めることはできない。」
という結論に行き着くように思うわけです。
建物は、時の経過とともに劣化していき年月の経過に応じて価値が減少していくのは確かですが、
その価格はいくらかを国が決めるのは理論的には不可能であると私は思うわけです。
ある建物を見て、ある人は100円の価値があると判断し、別のある人は120円の価値があると判断する、
というのが、土地と比較した場合の建物の特徴ではないでしょうか。
なぜなら、土地にはその上に建物を建てるという用途しかありませんが、建物には人それぞれの用途があるからです。
例えば、ある土地の上に、一家5人が住める大きな建物が建っているとします。
この時、一家4人で住もうと考えている人はその建物の価値を高く評価する一方、
老夫婦2人だけで住もうと考えている人はその建物の価値を低く評価するわけです。
簡単に言えば、これが理論的には国は建物の価格を決められない理由であると思います。
もちろん、現実には、より大きくより新しい建物の価格を高く設定し、より小さくより古い建物の価格を安く設定する、
というようなことを国が行うことはできます。
しかし、理論的には、建物の用途は様々(どのような建物を望んでいるかは人それぞれ)だからこそ、
建物の価値・価格は国には決められないと思うわけです。
逆から言えば、土地の用途は「その上に何かを建てる」の1点だけであるわけです。
ある人は購入した土地の上に何かを立てるが別の人は購入した土地の上に何も建てない、ということは理論的にはないわけです。
人はその上に何かを建てるために必要な土地を購入する、というだけであるわけです。
国が土地の価格を決めるということ自体にそもそも政策的な部分があるわけではありますが、
国は例えば2人が住む家を建てるためにはこのくらいの広さの土地、5人が住む家を建てるためにはこのくらいの広さの土地、
といった具合に土地を区分した上で、また立地条件等も勘案した上で、各土地の価格を決めているわけです。
その上にどれくらいのお金をかけた建物を建てるのかまでは国は関与しない(それは土地購入者の自由である)わけです。
それはイコール、建物の価格を国が決めることはできない、ということではないでしょうか。
そして、以上の議論を踏まえますと、これは実は「土地と呼ばれるもののの前提」と言ってもいいのかもしれませんが、
理論的には、「不動産(の取引)とは土地のみを指す。」、という結論に行き着くように思うわけです。
そのように考えないと、理論的には、建物部分については人それぞれ、という前提が成り立たないと思うわけです。
国が土地の上に家まで建てた上で土地と家を販売している場面を想像するから、
建物の価格も国が決めることができるのではないか、と思ってしまうだけなのです。
「そもそも土地の上には何もないのだ。」、というところから話を始めなければならないのです。
土地の上に何を建てるのかはまさに土地購入者に自由であるわけです。
建物は全面的に土地所有者に帰属している一方、土地は法律上の所有権こそ土地の購入者に専ら帰属していますが、
大地を見れば分かりますように、土地は自然上はどこまでいっても国に帰属しているわけです。
大自然を見れば、土地は常に半分は国のものであるわけです。
現代の賃貸借とは概念も取引形態も全く異なりますが、元来的には、
土地というのは、土地購入者が国にお金を差し入れて土地の利用権を得るもの、
というふうに土地の購入(土地の取引)について整理をするべきなのかもしれません。
元来的には、「土地の所有権を有する」(土地の所有権者である)とは、その土地を専属的・排他的に利用することができる、
という意味しかなかった、と「土地の取得」(土地の所有権)について整理をしてみてはいかがでしょうか。
このように考えてみますと、「土地の譲渡益には所得税はかからない。」という取り扱いと整合するものがあるわけです。
なぜならば、「土地を国に譲渡した」とは、土地の専属的・排他的利用のために国に差し入れたお金を国から返してもらった、
という意味しかないからです。
「土地の国への譲渡」とは、「返金」に過ぎないのです。
これが1980年ころ私が言われた「土地=現金」という意味だったのかもしれません。
表面上、差し入れ金額よりも返金額の方が多いのですが、
それは取引の結果というわけではない(返金額は予め決まっており当事者には変えようがない)、ということで、
「返金額−差し入れ金額」という差額には所得税はかからない、という取り扱いに当時はなっていたのでしょう。
他の言い方をすれば、元来的には、
動産の所有権の概念と不動産の所有権の概念は実は大きく異なっている部分があった、という言い方になると思います。
動産の処分は文字通り廃棄もできますが、不動産の処分に廃棄や他人への譲渡はなかったわけです。
元来的には、土地の所有権とは土地の利用権のみを意味していたわけです(不動産の処分とは国への返還しかなかったわけです)。
「自動登記制度」の時代、土地所有者は必ず更地の状態で役場に土地を売却(返還)しなければならなかったのだと思います。
そうでなければ、土地固有の価値・価格を決めようがないからです。
更地に戻さなくても築10年くらいの家であればまだ他の人がそのまま住めるのではないか、というのはあくまで現実上の解です。
理論的には、土地のみの状態でなければ、国は土地の価格を決められないのだと思います。
土地は年月の経過とは全く無関係に価格を決めることができます(いくら時間が経過しても土地の価値が減少することはないから)。
しかし、理論的には、建物の価値・価格は国にも決められないものなのです。
関連する重要な議論を書いているところであり、「のれん」と「減損」については今日も書けませんでしたが、
ここ3日間の論点も含めた上で、今日の続きは明日書きたいと思います。