2017年8月20日(日)
2017年8月19日(土)日本経済新聞
「家なき子」土地評価8割減 相続で特例、条件を整理
(記事)
過去の関連コメント
2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html
2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html
から
2017年8月19日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170819.html
までの一連のコメント。
>同特例はこうした改正が繰り返されてきた経緯があり、
>マイホーム贈与で家なき子になるなど本来の制度趣旨に沿わない節税策はいずれ封じられる可能性もある。
>いざ相続が発生したときに「知らなかった」と悔やまないよう、特例の仕組みを正しく理解して改正の動きも注視しておきたい。
また、「小規模宅地等の特例」はその適用の可否次第で納付する相続税を大きく左右することになるわけですが、その点について、
>「正確に理解している人はほんの一部。亡くなった人の自宅なら無条件で適用されると思っている人も多い」という。
>同居親族として特例を使いたい場合も「同居」とみなされる条件をよく理解しておきたい。
と、記事では相続税法が専門の税理士の指摘を紹介し、注意を促しています。
「小規模宅地等の特例」の適用を検討する中では、故人の財産の様々な承継方法が考えられるようです。
法定相続人が事前に自分の子に自宅を贈与したり、故人の孫を事前に養子で故人の子にしたり、といった方法が検討されるようで、
その中で故人の財産の各承継人が納付する相続税額が大きく変わってくるようです。
相続税法が専門の税理士も指摘していますように、相続税法の規定は非常に細かく複雑であるようです。
さらに、その細かく詳細な規定も、非常に頻繁に改正が繰り返されているようです。
>理解の助けのために、新旧の所得税法で例えて言えば、取締役が有価証券報告書を作成するのは「申告納税制度」であり、
>真の意味での独立者が有価証券報告書を作成するのは「賦課課税制度」である、とそれぞれなぞらえることができると思います。
>有価証券報告書は真の意味での独立者が作成するべきなのです。
私の主張(理論上の結論)を一言で言うならば、「有価証券報告書(財務諸表)は公務員が作成する。」となるわけです。
確かに、相続税法の規定は非常に細かく複雑なのですが、
それでも理論上は、公務員は相続税法の規定を詳細に正確に理解している(間違うことは絶対にない)、ということになります。
すなわち、相続税の納付を「賦課課税制度」に基づくならば(公務員が作成した相続税納付書に基づき相続人は納税するならば)、
相続人が納付するべき相続税額を間違うということは絶対に生じない、ということになるわけです。
なぜならば、その算出された(納付書記載の)相続税額は相続税法の規定に従い公務員が算出したものだからです。
逆から言えば、「申告納税制度」に基づき相続税を納付することにしますと、
相続人が相続税の規定の解釈・適用を間違えてしまい、さらには繰り返される改正に相続人がキープ・アップし切れておらず、
間違った相続税額を申告してしまう恐れが生じる、ということになるわけです。
一言で言うならば、公務員が相続税額を算出すれば(そして相続税納付書を相続人に送付すれば)、
どんなに相続税法の規定が詳細で複雑で改正が繰り返されていても間違いは絶対に生じない、という結論になるわけです。
端的に言えば、理論的には、税の納付は「申告納税制度」ではなく「賦課課税制度」であるべきだ、という結論になるわけです。
このように書きますと、何を当たり前のことを言っているのか、と思われるかもしれませんが、私は紹介しているこの記事を読んで、
「『賦課課税制度』を採用するためにはある『条件』が必要だ。」、と思いました。
その条件とは、「税法の規定に選択肢がないこと。」です。
「賦課課税制度」とは、公務員が税法の規定に従い、悪く言えば一方的に、良く言えば一意に、
納税者が納付するべき税額を決めることです。
この際、公務員が一意に納税者が納付するべき税額を決めるためには、公務員は「税法の規定に従いさえすればよい」わけなのですが、
税法の規定に選択肢がありますと、納税者がどちらの選択肢を選択したのかが決まらないと税額も算出できない、
ということになるわけです。
理論的には、公務員がどちらの選択肢を選択したのか納税者に聞けばよいのではないか、と考えるのは実は間違いなのです。
理論的には、公務員は納税者に取引内容を一切聞くことなく納税額を算出するのです。
「賦課課税制度」では、公務員に言わば「神の眼」を想定する(理論的前提として置く)わけです。
公務員に「神の眼」があるのなら納税者がどちらの選択肢を選択したのかも分かるのではないか、と考えるのは実は屁理屈であり、
「賦課課税制度」というのはそもそも「納税額は取引により自動的に一意に決まる。」という意味であるわけです。
その行われ得る「取引」自体に幅があると、すなわち、税法の規定に選択肢がありますと、
真の意味で「納税額が一意に決まる」ということがない、ということになってしまうわけです。
"You need no asking about your transaction." (取引について尋ねられる必要性はありません。)
また、この聖書の言葉になぞらえて言うならば、「賦課課税制度」とは「税務当局」にとっては、次のような言葉となるでしょう。
"No need to ask, nevertheless it shall be given you." (尋ねる必要は全くありません。それでも税額は与えられるのです。)
「賦課課税制度」とは納税額が一意に決まる制度である、と言えるわけですが、
端的に言いますと、「賦課課税制度」とは納税者に選択肢が一切ない税制、という言い方ができると思います。
そして、選択肢がないのは、納税者にとってだけではなく、税務当局にとっても、であるわけです。
つまり、「賦課課税制度」では、税法の規定に選択肢(例えば、ある特例を適用するか否か等)があってはならない、
という結論になるのです。
The "official assessment system" doesn't require the tax authorities
to ask a taxpayer about his transaction at all.
The "official assessment
system" requires the tax laws to have no options in their provisions.
Options
in the provisions prevent the amount of a tax from being fixed "uniquely" in a
true sense.
「賦課課税制度」では、税務当局は納税者に取引について尋ねる必要は一切ないのです。
「賦課課税制度」では、税法の規定に選択肢があってはならないのです。
税法の規定に選択肢がありますと、税額が真の意味で「一意に」決まらなくなるのです。