2017年8月17日(木)



昨日までの一連のコメントに一言だけ追記をします。
今日のコメントも、どちらかと言うと最近の一連のコメント全てに関連のあるコメントになりますが、
昨日のコメントの続きとして読んでいただければと思います。
今日も記事を紹介して、一言だけコメントを書きたいと思います。

 


2017年8月17日(木)日本経済新聞
決算短信、内容省略相次ぐ トヨタなど14社、業績説明なく 負担減・速報性を重視
情報開示後退に懸念 他社と比較しにくく
(記事)



2017年6月17日(土)日本経済新聞
減る企業情報 惑う市場 一段の開示後退も
(記事)


過去の関連コメント

2017年7月25日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170725.html

2017年7月27日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201707/20170727.html

から

2017年8月16日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201708/20170816.html

までの一連のコメント。

 


決算短信の簡素化が多くの企業で進んでいる、という記事です。
昨日のコメントでは、「取締役と市場の投資家との間の情報格差」について、
法定の「ディスクロージャー」というのは、取締役と市場の投資家との間の情報格差をなくすことを目的としたものでは
全くなく、ただ単に「市場の投資家の投資判断に資するためだけの情報」に過ぎない、と書きましたが、さらに、

>取締役が有している情報量に比べれば市場の投資家が有しているそれは質・量ともにはるかに少ないとしても、
>「市場の全投資家が全く同一の情報(「ディスクロージャー」)に基づいて投資判断を行うのであれば、それでフェアである。」
>という理論的前提が証券市場にはあるわけです(取締役と市場の投資家との間に情報格差があっても理論的には何の問題もない)。

と書きました。
記事にも書かれていますが、決算短信も「市場の投資家の投資判断に資するための情報」の1つではあるわけですが、
結局のところ、その内容が正しいことが保証されていなければ、「ディスクロージャー」の意味がないわけです。
証券取引所でも決算短信では会計監査は不必要とされていますが、そもそもそのこと自体がおかしいとの考え方はあると思います。
理論的には、市場の投資家は、いや正確に言えば、非上場企業であろうとも株式の譲渡・譲受けを検討している者は、
(既存株主に対する取締役からの「報告」ではなく)「ディスクロージャー」に基づき投資判断を行わなければなりません。
その「ディスクロージャー」の保証を担うのは、既存株主(株式の売り手)でも株主から委任を受けた取締役でもなく、
本当の意味での第三者、ということになるわけです。
この文脈における「本当の意味での第三者」とは、
既存株主(株式の売り手)からも取締役からも株式の譲受け検討者(株式の買い手)からも独立した(利害関係が一切ない)者、
という意味です。
より実務に即して言えば、会計監査を担当する者は、上記3者から独立していなければならないのです。
すなわち、上記3者のいずれかから委任を受けた者は、「ディスクロージャー」の保証を担えないのです。
すなわち、「ディスクロージャー」に関する会計監査を担当する者(監査法人)を、
取締役会や株主総会で選任するのは理論的には間違いである、という結論になります。

 



さて、先ほど書きました、
「『ディスクロージャー』に関する会計監査を担当する者(監査法人)を、
取締役会や株主総会で選任するのは理論的には間違いである、という結論になる。」という点について、
さらに理詰めで考えてみますと、
「ひょっとして、理論的にはこのような考え方に行き着くのではないか。」と思うところがありました。
それは、昨日も書きましたが、「報告」と「ディスクロージャー」は異なる、という点です。
昨日も引用しましたが、これが本質的に重要なことなのではないかと思いますので、
2017年6月8日(木)のコメントを再度引用します。

>同じ業績の発表でも、report(報告)と disclose(ディスクロージャー)は全く異なるのです。

理詰めで考えていきますと、やはりこのことが今の議論では本質的に重要なことだと感じています。
昨日のコメントでは、「report(報告)」と「disclose(ディスクロージャー)」の相違点について、次のように書きました。

>商法上の営業報告書(現在の会社法上の事業報告)は、
>(言葉遊びではなく本当に本質的な意味で)実は「ディスクロージャー」ではないのです。

私はここである結論に辿り着きました。
それは次の結論です。


○商法上の営業報告書(現在の会社法上の事業報告)     → 株主に委任された取締役が作成する。
○証券取引法上(現在の金融商品取引法上)の有価証券報告書 → 当局から委託を受けた独立者(監査法人等)が作成する。

 



現行の金融商品取引法では、有価証券報告書は第一義的には会社の経営者(取締役)が作成する、と整理されていますが、
理詰めで考えれば、取締役が作成できるのは、委任者に対する「経営の結果の報告書」だけであると思うわけです。
理論的には、そもそも取締役には、投資判断に資する資料(有価証券報告書等)を作成することはできない、と思うわけです。
取締役は、既存株主にも市場の投資家にも中立な(どちらの利益にも偏らない)資料を作成することは
理論的には構造的に不可能なことだ、という考え方になるように思うわけです。
なぜなら、取締役は理論的には既存株主から委任を受けている(取締役は既存株主の利益を代表している存在)だからです。
「フィデューシャリー・デューティー」は、委任者からの独立を受託者に要請するものではありません。
「フィデューシャリー・デューティー」は、委任者の利益を最大化させる義務を果たすことを受託者に要請するものです。
「フィデューシャリー・デューティー」を負っている受託者が、市場の投資家の利益を考慮するのは間違いではないでしょうか。
商法上の営業報告書と証券取引法上の有価証券報告書の内容は一般的にほとんど同じですが、両者は決して同じではないのです。
商法上の営業報告書と証券取引法上の有価証券報告書の内容が酷似している(互いに矛盾していない)のは結果に過ぎないのです。
理解の助けのために、新旧の所得税法で例えて言えば、取締役が有価証券報告書を作成するのは「申告納税制度」であり、
真の意味での独立者が有価証券報告書を作成するのは「賦課課税制度」である、とそれぞれなぞらえることができると思います。
本来的には(理論的には)、「申告納税制度」による納税額と「賦課課税制度」による納税額とは同じになるはずです。
同様に、有価証券報告書の記載内容(財務諸表)も、
取締役が作成しても真の意味での独立者が作成しても、理論上は同じになるはずです。
ただ、現実的理由により、実務上は所得税の納税は「申告納税制度」に依らざるを得ないように、
実務上は有価証券報告書(「ディスクロージャー」資料)の作成は会社の経営者に依らざるを得ない、
というだけなのです。
本来は、所得税の納税は「賦課課税制度」であるべきですし、
有価証券報告書は真の意味での独立者が作成するべきなのです。
理論的には、所得税の納税は「申告納税制度」に依存したくはないのです。
しかし、現実には「申告納税制度」に依存せざるを得ないのです。
同様に、理論的には、有価証券報告書(「ディスクロージャー」資料)の作成を会社の経営者に依存したくはないのです。
しかし、現実には会社の経営者に依存せざるを得ないのです。

 

It is true that the very center of disclosure is financial statements,
but the other supplimentary information is also needful to investors.

情報開示のまさに中心にあるのが財務諸表であるわけですが、他の補足的な情報もまた投資家にとっては必要なのです。

 

In theory, an Annual Securities Report should be prepared not by a fiduciary management but by an independent officer.

理論的には、有価証券報告書は、委任を受けている会社経営者ではなく、独立した執務者が作成しなければならないのです。