2017年6月20日(火)



2017年6月20日(火)日本経済新聞
電子納税、簡素化を検討 政府税調、利用拡大めざす
(記事)





公文書と私文書の違いについての昨日のコメント

2017年6月19日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201706/20170619.html

 


【コメント】
記事の主旨を一言で言えば、確定申告の電子化を政府が推進している、となります。
現在のところ、国税に関しては、「e-Tax」(国税電子申告・納税システム)という電子システムが整備されています。
地方税に関しては、課税と徴税を地方自治体が行うことから(地方税は国税庁とは関係がない)、
理論的には、地方税の電子的な申告については自治体毎に対応状況は異なる、ということになると思います。
ウィキペディアの「確定申告」の記事には、確定申告の「意義」やアメリカの取扱いについて、次のように書かれています。

>納税意識が高まり、税金の用途への関心を傾注する傾向が増大するとされる。
>日本国民の政治意識を高めるには全給与所得者を確定申告の対象にすべきだという主張もある。
>アメリカ合衆国では、全国民・居住者が個々に確定申告を義務付けられており、給与・事業所得のみならず、
>投資、資産形成、寄付行為などのあらゆる場面で「節税」を意識した課税に対する効果が論議される。

>アメリカ合衆国では、給与生活者、自営業者にかかわらず課税所得のあるすべての国民と居住者が
>年一度の内国歳入庁 (IRS) への確定申告 (Tax Return) を義務付けられている(外交官やトレーニングビザなどの例外を除く)。

アメリカ合衆国には日本の給与所得者に対する年末調整に相当するものはない、とのことですが、
それは結局のところ、アメリカ合衆国には日本の修正申告や訂正申告に相当するものない、ということだろうかと思いました。
納税者が申告をする(自己申告)から修正申告や訂正申告に類する事後的な申告が必要になる場合が生じる、
ということだろうかと思ったのですが、紹介している記事を読んでいて興味深いと思った記述がありました。
それは、

>国を挙げてICT化を進めるエストニアでは、国税当局が給与や社会保険料などが
>あらかじめ記入された「記入済み申告書」をポータルサイトで提供する。

>電子申告の利用率が9割を超える韓国では、医療費控除などの情報を税務当局が収集する。

>あらかじめ税務手続きシステムに登録することで、納税者が必要な書類を集める手間を省ける。

という部分です。
端的に言えば、エストニアや韓国では、「納税者の収入の状況と必要経費の状況を税務当局が把握している」
ということかと思います。
記事を読む限り、エストニアや韓国でも、納税者が確定申告を行う(自己申告を行う)という手続きになっているようですが、
それは表面的な手続きに過ぎず、実質的には税務当局が納税者の課税所得額と納付するべき税金額を算出している、
という税納付制度になっている、と考えるべきでしょう。
納税者による自己申告ではなく、税務当局による税額催告、と言ったところでしょうか。
納税者が自身が作成した申告書を携え税務署に赴きのではなく、
「税務署から各納税者に納付書が送付される。」という税制が観念できるわけです。
税理論的には、このような税納付制度についてはどのように考えるべきなのだろうかと思いました。

 



以上の議論の中で私の頭に思い浮かんだのは、まさに昨日のコメントであり公文書と私文書の違いです。
昨日のコメントでは、2017年5月29日に開始された「法定相続情報証明制度」を題材にして、
法定相続情報一覧図(法定相続人の一覧図)を作成するのは法定相続人であると考えるのは間違いであると指摘し、

>登記官が発行する「被相続人○○○○法定相続情報」記載の一覧図の作成者はやはり登記官でなければならないと思います。

と書きました。
下書きや草案や相談(場合によっては申請)といった段階で法定相続人が法定相続情報一覧図(法定相続人の一覧図)を
私的に作成するのは法的には問題はないわけなのですが、
登記官が発行する公文書としての「被相続人○○○○法定相続情報」(記載内容全て)はやはり登記官が作成するべきなのです。
公文書か私文書かという点において、税の確定申告と法定相続情報一覧図(法定相続人の一覧図)の作成(とその申請)とは、
事の本質が同じ(議論が相通じるものがある)であるように私が思いました。
つまり、「税務署から各納税者に納付書が送付される。」という税制では、
税務当局は、何らかの形で各納税者の収入の状況を全て収集しそして医療費控除などの必要経費の状況を全て収集する必要がある
わけなのですが、その際の情報収集に関しては、
@納税者からの言わば自己申告(不動産所得、事業所得、譲渡所得、山林所得、一時所得、雑所得等)による部分もあれば、
A納税者の勤務先からの申告(給与所得や退職所得等)による部分もあれば、
B納税者利用の金融機関からの申告(利子所得や配当所得や生命保険等の一時金等)による部分もあれば、
C納税者の投資先企業からの申告(非上場企業から稼得した利子所得や配当所得等)による部分もあれば、
D納税者の取引先からの申告(営業上の必要経費全般。財やサービスの対価として納税者が支払った金額。
 各種伝票が証憑になる。)による部分もあれば、
E納税者が利用した医療機関などからの申告(医療費控除などの算出のために必要となる)による部分もあれば、
F納税者が利用している社会保険制度の機関・団体からの申告(社会保険料控除全般の算出のために必要となる)による部分ある、
ということになるわけです(@〜Cが収入の状況の捕捉、D〜Fが必要経費の状況の捕捉)。
いまいち整理し切れてはいませんが、
納税者の負担軽減さらには金額の客観性の確保のために「納税者には収入や必要経費の状況について敢えて尋ねない。」
という方針に重点を置くと、できる限り納税者以外から申告を受ける情報収集制度を税務当局は構築しなければならないでしょう。
究極的には、やはり納税者本人が自分の収入と必要経費の全てを知っている(納税者に聞けば全て分かるのだけはやはり確か)、
という状態ではあると思うのですが、ダブルチェックの意味合いを持たせたいならば、
納税者に聞かなくても分かることはできる限り納税者以外(すなわち取引の「相手方」)から、
社会制度上自動的に納税者に関する情報が税務当局に申告がなされるように制度構築をするべきでしょう。
ただ、社会制度上の組織・団体であればそのような情報申告制度も構築できますが、
納税者個人の純粋に私的な取引(寄附やちょっとしたお金のやり取り)については、
納税者以外からの情報収集には自ずと限界があります(純粋に私人間の取引については社会制度の構築のしようがない)ので、
究極的なことを言えば、理論的には(性善説に立てば)納税者本人からの申告(自己申告)が所得に関する情報を最も網羅している、
と実は言えるように思います。

 



ただ、納税者本人からの申告にせよ、納税者以外(納税者の相手方)からの申告にせよ、
第一次的情報源としては、やはりその申告者はあくまで「私人」なのです。
どのような種類の申告であるにせよ、その申告は私的なものに過ぎない、
という言い方が法律的(公法的)見地からは言えると思います。
他の言い方をすると、その申告書は私文書に過ぎない、という言い方ができると思います。
そしてそれは、昨日コメントを書きました「法定相続情報証明制度」の申請において、
法定相続人が作成する「法定相続情報一覧図(法定相続人の一覧図)」は実は私文書に過ぎない、
ということと論点(事の本質)が同じであると思うわけです。
登記官が作成する「被相続人○○○○法定相続情報」が公文書なのです。
すなわち、税の納付に関して言えば、納税者が作成する申告書は私文書であるわけなのですが、
法律上正式な「税金額に関する書類」というのは、
あくまで国税庁の職員(公務員。より具体的には国税専門官等)が作成する、
という制度でなければならないのではないでしょうか。
国税庁の職員が作成する「税金額に関する書類」が公文書なのです。
そして納税者は(自分が作成した申告書ではなく)国税庁の職員が作成した「税金額に関する書類」に基づき税を納付するのです。
納税者は、公文書に基づき税を納付するのです。
税金額が正しいことは、国税庁の職員が確認・証明するわけです。
現在の制度では、納税者は私文書に基づき公的機関(国税庁)に税を納付しているのです。
納税者による自己申告そのものが間違っているのではなく、国税庁の職員が税金額を確認・証明していないことが間違っている、
ということではないでしょうか。
「税務署から各納税者に納付書が送付される。」という税制では、文字通り「税務署から各納税者に納付書が送付される。」
わけなのですが、それは納税者が自分の収入と必要経費の状況について税務署に申告を行った後、
税務署がその内容に間違いがないことを確認した後で、「税務署から各納税者に納付書が送付される。」という意味なのです。
納税者が作成し税務署に提出する申告書は私文書、税務署から納税者に送付される納付書が公文書、という関係にあります。

 



実務のことを一切度外視しますと、最も理論的には、税務当局は納税者の全ての取引を知っているという理論的前提を置くことで、
税の納付については「税務署から各納税者に納付書が送付される。」のでその納付書に基づき納税者は税を納付する、
納税者が納税者の取引先が収入や必要経費の状況を税務当局に申告する必要は一切ない(納税者による自己申告など全くない)、
の一言で済む(理論上の説明は付く)わけですが、
少しでも現実的なことを考えますと、現実には税務当局が納税者の取引を知る手段があまりにもないと感じるわけです。
刑法でも、理論的には刑事当局は人が犯した犯罪を全て知っているという理論的前提を置いています(後は刑罰の定義のみ)が、
実際には、刑事当局が犯罪の事実を知る手段(110番通報等)や犯罪の詳細を知る手段(捜査)が別途必要であるわけです。
同様に、税務当局にも、現実には納税者が行った取引を知る手段というのが別途必要であるわけです。
そういったことを鑑みますと、第一次的手段として「まずは納税者による自己申告」を現実的議論の出発点とするべきだ
と思ったわけです(追加的な手段として、納税者以外による申告も確認手段として活用する)。
そして次に、その申告内容が正しいかどうかを国税庁の職員が確認をする、という手続きに入り、
その確認の後、国税庁は納付書を納税者に送付する(そして納税者は納付書に基づき税を納付する)、
という流れであるべきなのです。
「納付するべき税の金額を計算するのは、あくまで公務員だ。」、このように整理することが重要であると思いました。
現在の制度では納税者による自己申告を確定申告と言いますが、
理論的には「税の金額を確定させるのは、公務員である。」なのです。
現在の確定申告書は私文書、今日私が書きました税務署から納税者に送付される納付書が公文書なのです。
国税庁が発行する納税証明書は紛れもなく公的な証明書(公文書)であるわけですが、
その納税額は私文書に基づいて計算されたもの、
では文書として法的に整合性がない(公文書の中に私文書の部分があることになる)わけです。
公文書とは、「この内容に絶対に間違いはない。」という意味です。
間違いがないことを確認するのは公務員なのです。
したがって、下書きや草案や相談(場合によっては申請や申告)といった段階で作成された文書は私文書で問題はないのですが、
公務員が間違いはないと確認した内容(例えば昨日の一覧図や今日の納税額)については、
そこで作成された文書(記載内容)は全面的に公文書であるべきなのです。
公法の理論的には、納税者は、私文書(自己申告書)ではなく、
公文書(より具体的には、今日書きました税務署から納税者にが送付される「納付書」)に基づき、税を納付するべきなのです。