2017年3月16日(木)



2017年3月1日(水)日本経済新聞
離婚の財産分与 半分ずつから事情に応じ修正
(記事)




2017年3月4日(土)日本経済新聞
子のため「あえて奨学金」 老後資金の確保が先決
(記事)


日本公証人連合会
ttp://www.koshonin.gr.jp/main_index.html

 

 

過去の関連コメント


2017年2月19日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201702/20170219.html

2017年3月2日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201703/20170302.html

2017年3月12日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201703/20170312.html

2017年3月14日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201703/20170314.html

2017年3月15日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201703/20170315.html






【コメント】
4日前の2017年3月12日(日)と一昨日2017年3月14日(火)と昨日2017年3月15日(水)に、
遺産をどのように承継させるか、についてコメントを書きました。
また、2017年2月19日(日)と2017年3月2日(木)には、相続や扶養や配偶者、そして「家族とは誰か?」という点について書きました。
2017年3月2日(木)のコメントでは、「子の結婚後は、親子は戸籍が異なってしまう。」ということを説明したイメージ図を描き、
子が結婚をした後は、そもそも親と子は一緒に住んでいない、ということの「家族制度における問題点」について書きました。
今日は、これらの議論を踏まえた上で、人の老後のことや離婚について一言だけコメントを書きたいと思います。
まず、2017年3月4日(土)付けの日本経済新聞の記事についてコメントを書きます。
この記事は、基本的には子供の奨学金(主に教育ローン)についての解説記事なのですが、
結局人の老後の資金(老夫婦の生活費)についても書かれていると言っていいと思います。
記事には、子を持つ親に対して、

>「老後のお金は自分で確保する」という意識が重要です。

とアドバイスがなされています。
しかし、現代の家族制度上の前提としては、実は老後の生活費は老夫婦のみで完全に賄える、ということが前提になっているのです。
子が「育ててもらったのだから老後は資金面だけでも親に恩返しをしたい。」と考えるのはもちろん人として立派なことであり、
子が年老いた親に感謝の気持ちを込めて仕送りをするのは全く自由なことではあります。
しかし、法制度・家族制度は全く逆なのです。
老夫婦の生活費は老夫婦だけで完結しているものなのです。
なぜなら、子と老夫婦とは戸籍が異なるからです。
他の言い方をすれば、子と老夫婦とは同じ家に住んでいないからです。
記事には、

>もし、親が「自分の老後は一切、子に面倒を見てもらうつもりはない」と宣言できれば、子はずいぶん人生が楽になります。

と書かれています。
しかし、率直に言えば、家族制度上、親は子が結婚した後は資金面はもちろん他の面でも一切面倒を見る義務はありませんし、
また、子も年老いた親を資金面はもちろん他の面でも一切面倒を見る義務はないのです。
その理由は、結局のところ、「人がお互いに面倒を見なければならないのは同じ家に住んでいる人だけ」だからです。

 



「同じ家に住んでいる人」、それが家族なのです。
子は結婚と同時にそれまで親と一緒に住んできた家から出て行きますが、それはそれぞれが独立して生計を立てることができる、
という意味です(そのような法制度上の前提がある。そうでなければ戸籍が新たに作られない)。
私など、まだ幼いころ、子は結婚と同時にそれまで親と一緒に住んできた家から出て行くと聞いて、
結婚をすると親子の縁は切れるのか、と思ったくらいです。
現代でも、民法上の解釈その他、結婚後も親子は親子のままである(法律上の扶養の義務もある)という考え方をするわけですが、
そもそも「同じ家に住んでいる人が家族」という観念から言えば、子が結婚し家から出て行くなど親子の縁を切ったも同じなのです。
結局、「人の面倒を見る(親子で助け合う)」とはお金だけではないわけです。
同じ家に住んでいなければ面倒を見切れないことはたくさんあるわけです。
端的に言えば、「家族」と「家族以外」の境界線は、「一緒に住んでいる家」しかないはずなのです。
例えば、小学校の同じクラスにも、「この人が家族(兄弟)でも仲良くやっていけるだろう。」
と思えるような同級生がいるかもしれません。
しかし、どんなに分かり合えるようであっても、現に同じ家に住んでいるわけではない以上、その人はやはり家族ではないのです。
それくらい、「家」と呼ばれる境界線は、社会に厳然として存在するわけです。
「家族」と「家族以外」とを明確に分ける境界線として、です。
現代では、結婚前は同じ家に住んでいたのだから、といった実態や社会常識のようなことで、
家族(親子関係)を定義しているわけです。
法律上の扶養の義務の有無も、そういった実態や社会常識のようなことから判断されているわけです。
しかし、その議論・判断には、「同じ家に住んでいる人が家族である」という法律以前の前提・社会規範が
きれいに抜け落ちているように私には思えるのです。
「同じ家に住んではいないが親子である」と考えること自体にそもそも本末転倒と言える部分があるのです。
ですので、率直に言えば、
現代は、住民票どころか、家族制度自体が極めて中途半端な制度となっている、と言わざるを得ないのです。

 

The modern family law system presupposes that
the fact that a child goes out of his household to a new household means that he can make his living there on his own.

現代の家族法制度では、
子供が家から出て行き新しい家に行くというのはその子供はそこで独力で生計を立てることができるということを意味する、
ということが前提になっているのです。

 


次に、2017年3月1日(水)付けの日本経済新聞の記事ついてです。
一言で言えば、離婚にまつわるお金の問題です。
慰謝料と財産分与だけであればまだ問題は少ないのかもしれません(それでももめるのはもめるのでしょう)が、
子供がいる場合は話が非常に複雑になるようです。
慰謝料と財産分与は、基本的には夫婦間だけの話(問題)で済む(その時点でその問題は解決する。後を引かない)わけですが、
子の養育費は文字通り子供か関係してくる話になりますので、子が成長するまである意味問題は解決し終えないと言えるわけです。
財産分与に関しては、「どの財産がどちらの財産か」が問題になるようです。
「夫婦の間の財産」には、「共有財産」と「特有財産」の二種類があるようです。
戦前の家の制度における戸主の所有財産は全て、今で言う「共有財産」と言っていいと思います。
所有財産の名義こそ戸主の氏名(名義)になっていたでしょうが、それらの財産はあくまで家族共有の財産であったわけです。
戸主の所有財産に戸主の「特有財産」など一銭もなかった、と言っていいと思います。
財産の所有権者は戸主でも、家族を扶養するという範囲・意味においては、家族制度上は共有のものと観念するべきだと思います。
現代で言う共同名義や共同所有という概念とは異なるわけですが、家族が生活するのに必要なもの(戸主の所有財産)について、
「俺の所有財産なのだから家族のお前らは使うな。」などとは家族制度の概念からして戸主は決して言えないわけです。
その意味(少なくとも扶養の責任の範囲)において、戸主の所有財産は「家族のもの」という見方をするべきなのだと思います。
家族の立場から言えば、家族は戸主の所有財産を家族として使用する当然の権利がある、という見方ができると思います。
現代の離婚の際は、「共有財産」と「特有財産」のうち、「共有財産」が財産分与の対象となるようです。
「特有財産」は夫もしくは妻の個人財産という位置付けになるようなのですが、
私に言わせれば、これも結婚制度上の矛盾であるように感じます。
玉の輿と言ったり逆玉と言ったりしますが、観念的には、結婚すれば夫婦の財産は全て「共有財産」になる、
というような考え方になるイメージを私は持っていたのですが、現行民法上は夫の財産と妻の財産は明確に分かれているようです。
戦前の家の制度を現代の家族制度・夫婦制度に照らしてアレンジして考えてみると、
結婚すれば夫婦の財産は全て「共有財産」になる、という考え方になるように思えるのですが、現代ではそれは少し違うようです。
「所有財産は生活していくためにある」という考え方からすると、
夫婦の財産は全て「共有財産」になる、という考え方をしなければならないと思います。
なぜなら、同じ家で夫婦で生活をしていく(生計を一にして生活していく)からです。
財産が夫と妻で分かれていたら、生計が一になっていないのではないでしょうか。
厳密に生計を一にするためには、結局、家の財産の所有者は1人でなければならない、
というところまで話は遡らなくてはならないと思います。
現代では、「生活に必要なお金」をはるかに超えるお金を夫婦のどちらかもしくは両方が持っていたりするものですから、
結婚したからと言ってお互いの財産が「共有財産」になるのはおかしい、という考え方が出てくるのであって、
そもそも財産とは「生活に必要なお金」のことなのだと考えると、
結婚したらお互いの財産が「共有財産」になるのは、同じ家で生計を一にして暮らしていくのですから、
実は何らおかしな考え方ではないと思います。

 



記事の最後には、離婚に伴い金銭給付が生じる場合についてアドバイスが書かれています。
協議内容を書面にしても、私文書では相手が債務不履行(約束通り養育費を支払わない等)を起こした場合強制執行ができない、
という点に関連し、

>多少、面倒でも公証役場へ行き、執行証書を作成しておくことをお勧めします。

と書かれています。
この点については、「公正証書」というキーワードで検索すると、たくさんの解説記事がヒットしますので、
各自で読んでいただければと思います。
検索してみますと、「公正証書離婚」という言葉まであるようです。
記事で言う「執行証書」とは、より正確には「『執行認諾約款』の付いた公正証書」のことのようです。
「執行認諾約款」 とは、具体的には、
「債務者は、本公正証書記載の金銭債務を履行をしないときは、直ちに強制執行に服する旨陳述した。」 という文言のことであり、
この文言が公証人によって「離婚に伴う慰謝料・養育費の支払に関する公正証書」に記載されるようです。
「『執行認諾約款』の付いた公正証書」を公証役場で作成しておけば、
債務者が将来契約通りの支払を怠った場合には、裁判をしなくても 強制執行(差押)を裁判所に申し立てることが可能になる、
とのことです。
離婚は結婚の何倍も大変なのだろうな、と思いました。
そして、やっぱり俺は結婚しない、と改めて思いました。
率直に言えば、私は結婚をしないことを前提に生きてきたと思います。
最後に、日本公証人連合会のサイトから公正証書についての解説を引用して今日は終わりたいと思います。


公正証書とは

>(公正証書について)
> 公正証書には、遺言公正証書、任意後見契約公正証書、金銭の貸借に関する契約や土地・建物などの賃貸借に関する公正証書、
>離婚に伴う慰謝料・養育費の支払に関する公正証書並びに事実実験に関する公正証書などがあります。
> 公正証書は、法律の専門家である公証人が公証人法・民法などの法律に従って作成する公文書です。
>公文書ですから高い証明力があるうえ、
>債務者が金銭債務の支払を怠ると、裁判所の判決などを待たないで直ちに強制執行手続きに移ることができます。
>すなわち、金銭の貸借や養育費の支払など金銭の支払を内容とする契約の場合、債務者が支払をしないときには、
>裁判を起して裁判所の判決等を得なければ強制執行をすることができませんが、
>公正証書を作成しておけば、すぐ、執行手続きに入ることができます。
(日本公証人連合会)
ttp://www.koshonin.gr.jp/a3.html

 

Divorce is much more troublesome than marriage. I can understand that. I have experienced neither of them, though.
(離婚は結婚よりもはるかに大変です。どちらも経験したことはありませんが、分かります。)