2018年12月10日(月)



2018年11月29日(木)日本経済新聞
「新債券王」ジェフリー・ガンドラック氏
米長期金利「21年に6%」 中間層向け減税 財政悪化に拍車
(記事)





「グループ経営(業務提携等)ということを鑑みれば、債権というのは現実にはその保有者によって弁済可能額が変動し得る。」、
という点について書いた一昨日のコメント↓。

2018年12月8日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201812/20181208.html

 

「債権というのは、債務者がどんなに多額のキャッシュフローを獲得しようがその価値(弁済額)は一定不変であるのだが、
債務不履行が起こる疑義が生じているという場面では、現実には『0円から満額まで』の間でその価値が変動し得る。」という点と、
「貸倒引当金の計上というのは、ただ単に、会計上は損失の早期計上に過ぎず法人税法上は損金の早期申告というに過ぎない。
会計上も法人税法上も貸倒引当金に関する損失額は真の意味ではまだ確定はしていない。」、
という点について書いた昨日のコメント↓。

2018年12月9日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201812/20181209.html

 

 


【コメント】
紹介している記事は、「新債券王」との呼び名が定着している米国の著名債券投資家のインタビュー記事になります。
現在、米国で巨大な債券運用会社を経営しているとのことです。
一般的なことを言えば、債券への投資で大きな投資利益を得ることはできません。
債券への投資で得ることができる投資利益は、債券に付されている利息だけなのです。
債券への投資により大きな投資利益を得るためには、
元本の金額よりも低い価額で債券を購入するということができなければなりません。
「既存の債券の保有者は債務不履行が起こるだろうと予想をしているが自分は債務は無事履行されるだろうと予想をしている。」、
という正反対の予想が投資家間にある時、元本の金額未満の価額による債券の譲渡が投資家間で行われるのです。
他の言い方をすれば、債券の償還可能性について投資家間で相違が生じている場合にのみ債券の譲渡が行われ得る、
ということになります。
債券の最初の引き受け手(債券発行時の引き受け手)は、債券の償還期日を分かった上で債券を引き受けるわけです。
理論上は、債券の保有者が償還期日前に債券を他者に譲渡することはあり得ないわけです。
いずれにせよ、「債券の償還可能性に関する投資判断の相違」が債券の譲渡の要因になるわけです。
その意味では、国債や地方債といった公債への投資により大きな投資利益を得ることはできないと言っていいわけです。
債券への投資により大きな投資利益を得ることができるのは、債務不履行を観念できる社債だけだと言っていいと思います。
「新債券王」は保守的な運用に徹しているとのことであり、記事には次のように書かれています。

>特に社債の保有は少なめだ。

しかし、一般に「債券への投資」という場合は、社債への投資を意味すると私は思います。
その理由の1つ目は、国債への投資であれば投資家自身が容易に行うことができるからです。
わざわざ債券運用会社へ財産の委託をしなてくも、投資家自身が国債を容易に購入することができます。
元本の金額未満で売られている社債に投資をすることが、大きな投資利益を得るためには必要なのです。
一般の個人投資家にはない投資能力を有しているからこそ、資産運用会社に対し財産が委託されるのではないでしょうか。
「国債へ投資をしています。」では、債券の運用にならないと思います。
国債へ投資をするのに、一体何の投資能力が必要なのでしょうか。
社債市場で"King"と呼ばれるためには、"Keen Guy"(洞察力のある奴)であることが求められます。
理由の2つ目は、国債への投資では事実上「貯蓄」と同じになってしまうからです。
英和辞典を引いていましたら、「貯蓄債券」("a savings bond")という言葉が載っていました。
「貯蓄債券」("a savings bond")というのは、日本にはなく、米国における金融商品なのかもしれませんが、
結局のところ国債に近い債券を意味しているのではないかと思います。
インターネットで「貯蓄債券」で検索してみますと、欧米主要国では
少額貯蓄を国民に推進する目的から貯蓄国債が古くから発行されている、とのことで、「少額の国債」を意味しているとのことです。
やはり、「国債への投資」は「貯蓄」なのです。

 


また、やや関連する議論になりますが、国債というのはそもそも個人を対象としているものではないかと思いました。
国債を引き受けることを目的としている法人があるでしょうか。
現在ではわざわざ「個人向け国債」などと言ったりしますが、実は、本来的には国債というのは全て個人向けだったはずです。
現在では銀行や保険会社やゆうちょ銀行その他金融機関等が巨額の国債を保有していますので話が分かりづらりづらくなっていますが、
法律論ではなく概念論としては国債はそもそも個人が引き受けるものなのだと思います(国債償還の原資は税のはずです)。
税(政府による支出、公共のための支出)というのは、企業のためではなく究極的には国民のためだという理屈があるはずです。
「銀行に預金をするのは法人ではなくそもそも個人である。」、という間接金融の概念論に似た論点がここにはあると思います。
「税の一時的な収入不足を臨時に助けるのは法人ではなく個人である。」、
という国家財政に関する国民間の相互の助け合いのような概念が国債には元来的には内在していると私は思いました。
この論点については、「資金の究極の出し手は法人ではなく個人である。」というような考え方をしてもよいのだろうと思います。


 

Generally speaking, in the context of the slogan "from savings to investments,"
bonds are grouped not as an investment but as savings.

一般的に言えば、「貯蓄から投資へ」というスローガンの文脈においては、債券は投資ではなく貯蓄に分類されます。

 

A "doubt" as to a possibility of a bond's being redeemed
enables an investor to gain an investment income more than its interest.
That is to say, for an investor so as to gain an investment income more than its interest,
there must exist two parties who have contrary expectations concerning the bond in each other.
One is a holder of a bond who sells his bond at a value lower than its principal
because he doubts that the bond will be redeemed in full
and the other is an investor who buys the bond at a value lower than its principal
because he suspects that the bond will be redeemed in full contrary to the doubt of the current holder of the bond.
An investor can gain an investment income more than its interest
when a bond which he bought at a lower value than its principal is redeemed in full.

債券が償還される可能性について「疑義」が生じている場合に、投資家は債券の利息以上の投資収益を得ることができるのです。
すなわち、投資家が債券の利息以上の投資収益を得るためには、
債券に関してお互いに正反対の予想を持っている2人の当事者が存在しなければなりません。
一方は債券は満額は弁済されないだろうと疑っているので元本よりも低い価額で所有債券を売却する債券の保有者であり、
他方は債券の現保有者の疑義とは反対に債券は満額弁済されるだろうと疑っているので
元本よりも低い価額で債券を購入する投資家です。
元本よりも低い価額で購入した債券が満額償還される時、投資家はその債券の利息以上の投資収益を得ることができるのです。