2018年9月3日(月)



2018年8月31日(金)日本経済新聞 社説
市場の透明性高める四半期開示は重要だ
(記事)




2018年9月3日(月)日本経済新聞 私見卓見
公益資本主義推進協議会代表理事 大久保秀夫
四半期の決算開示、企業の成長阻む
(記事)



2018年9月1日(土)日本経済新聞
事業会社 金融で稼ぐ 小売業や自動車 10年で利益4.4倍 利便性で銀行から顧客獲得
(記事)


 

近江商人と三方よし(伊藤忠商事株式会社)
ttps://www.itochu.co.jp/ja/about/history/oumi.html

 


【四半期報告制度について】
最近では、2018年8月17日(金)〜2018年8月22日(水)のコメントで四半期報告制度の是非について考察しました。


「元来的・理論的には、相場操縦という不公正取引も風説の流布という不公正取引も株式市場には存在しない。」、
という点について考察を行った時のコメント↓。

2018年8月22日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201808/20180822.html

 

 

「従業員は『債権者』であり『社外』の人物である。」という点について考察を行った時のコメント↓。

2018年8月23日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201808/20180823.html


 


【コメント】
計3本新聞記事を紹介していますが、最初の2本は四半期報告制度に関する記事です。
四半期報告制度の是非については、2018年8月17日(金)〜2018年8月22日(水)のコメントで書き尽くしていると思います。
投資家の投資判断に資するのは明らかですので、年1回の決算開示や半期の決算開示よりも四半期報告制度の方が優れているのは
もはや議論にすらならない(つまり、今後とも四半期報告制度を継続し拡充を進めていくべきである)と個人的には思います。
ただ、新しい気付きを得ることもありますので、四半期報告制度に関する記事を紹介しているところです。
紹介している記事について、少しずつコメントを書きたいと思います。
まず、紹介している2018年8月31日(金)付けの日本経済新聞の記事(社説)には、次のように書かれています。

>日本の四半期開示は03年に東京証券取引所がルール化し、06年に金融商品取引法で法的に義務づけた。

2018年8月21日(火)のコメントでは、次のように書きました。

>金融商品取引法上の四半期報告制度の義務付けは2008年4月以降に開始される事業年度から(一般には2009年3月期から)です。

この点が若干分かりづらいかと思いますが、正確に言えば、
2006年の金融商品取引法の改正により2008年度からの四半期報告制度の導入が定められた、という経緯があります。
2006年の金融商品取引法の改正を受けて、2008年4月以降に開始される事業年度から(一般には2009年3月期から)、
証券制度上の義務として四半期報告書の提出が始まったわけです。
この時の改正金融商品取引法の国会での成立は2006年であったわけですが、その公布と施行がいつであったのかは分かりません。
なぜこの点が気になっているのかと言えば、施行日如何では、2008年度前から四半期報告書の早期提出が可能だったのではないか、
とふと思ったからです。
企業会計基準の制定では、本来の強制適用の期の前から早期適用(任意適用)を行うことが可能であることが多いわけですが、
企業会計と深く関連のある事柄ですから、四半期報告書の提出に関しても早期適用(任意適用)が可能だったのかもしれないな、
とふと思ったわけです。
法定開示書類に任意提出という概念はないのではないかとは思いますが、施行日次第では早期提出があり得ると思いました。
一部の発行者は四半期報告書を提出し一部の発行者は四半期報告書を提出しない、
という状況は証券制度上決して望ましくありませんので、四半期報告書の提出開始日は全発行者で一律・共通でなければなりません。
おそらく、適用に関する法令が別途定められており、四半期報告書の提出に関しては早期適用(任意適用)はできなかった、
ということではないかと思います。
また、適用されている企業会計基準が発行者毎に異なるというのも共通性や比較可能性の観点から言えばおかしいわけですから、
企業会計基準に関しても早期適用(任意適用)という考え方は行うべきではないと思います。

 



次に、紹介している2018年9月3日(月)付けの日本経済新聞の記事(私見卓見)についてです。
この記事は、短期的な利益ばかりに目を向けるという弊害があるので四半期報告制度を見直すべきだ、という論調であるわけですが、
私が気になったそして今日論じたい部分というのは、四半期報告制度に直接関連する部分ではなく、次の記述です。

>日本には江戸時代から「売り手よし」「買い手よし」「世間(地域あるいは社会)よし」の
>「三方よし」という商いの考え方がある。
>社会の健全な発展を願い、利益を株主のみならず従業員、取引先、地域社会など
>幅広くステークホルダーに還元してきた歴史を持っている。

近江商人の経営哲学である有名な「三方よし」では、「売り手」は商人自身を指しており、「買い手」はお客様を指しており、
「世間よし」は商売を通じて人や社会に貢献すべきである、という意味であるわけです。
インターネットで検索してみますと、近江商人は地方の産品を関西へ運び売るという行商を行っていたわけです。
つまり、近江商人は地方の産地産地で商品を仕入れ、関西で販売していた、ということになるわけです。
そうしますと、近江商人にとって、「売り手」とは「地方の産地の生産者」ということになり、
「買い手」とは「関西のお客様」ということになる、という解釈ができるのではないか、と思いました。
また、実を言いますと、私自身、2018年8月23日(木)のコメント等で、
「従業員は『債権者』であり『社外』の人物である。」という点について考察を行ったばかりでしたので、
今日この記事を読んですぐの時は、「三方よし」の「売り手」は仕入先のことだ、と思ってしまいました。
しかし、考えてみますと、商人が肝に銘じておくべき経営哲学における「売り手」とは、仕入先であるべきではないかと思いました。
そこで、経営哲学における「売り手」とは仕入先を指していると考え、さらに、複雑化した現代の商取引・商慣習を踏まえた上で
近江商人の「三方よし」を応用・拡張した「四方よし」という新しい経営哲学を考案してみました。

「新説『四方よし』」

「四方よし」における利害関係者は、@売り手、A買い手、B世間、C株主の4者です。
「四方よし」は、「売り手よし、買い手よし、世間よし、株主よし。」です。
@「売り手」は現代風に言えば会社債権者(現金の支払先)です。
A「買い手」は現代風に言えば会社債務者(現金の受取先)です。
B「世間」は現代風に言えば税務当局(現金の支払先)であり、「世間よし」は社会的には国民が享受する公益サービスの
財源を収めることを通じて世間(社会)に貢献することを意味しているわけです。
C「株主」は現代の商行為だからこそ誕生したとも言えますが、会社制度上は株主は「現金の分配先」であり、
「四方よし」において、株主は現金の分配先であり最後の受益者である、と位置付けられます。
株主は、@売り手、A買い手、B世間、全ての利益が満たされて初めて利益を享受できる存在だ、と考えるわけです。
私が考案した「四方よし」の考え方は、現代の株式会社制度とも相通じる考え方だと思います。
現に、損益計算書を見てみれば分かるように、株主の利益(当期純利益)は一番最後に計上されるわけです。
商取引の主体である会社から見ると、@売り手、A買い手、B世間の3者は全て社外の関係者であり、
特に利益の帰属関係という点ではC株主だけが社内の関係者ということになります。
ただ、会社から見ると商取引の主体はC株主ではないという点に着目して、C株主を第4番目の利害関係者と位置付けました。
商人(会社)は、「売り手よし、買い手よし、世間よし、株主よし。」となる商取引を行うべきなのです。

 



次に、紹介している2018年9月1日(土)付けの日本経済新聞の記事は、事業会社の金融ビジネスの利益が拡大している、
という内容なのですが、日本には銀行法や貸金業法や出資法や利息制限法などがあり、
「一般の自然人や会社が金融業を営んでよいのだろうか?」、という法律上の問題がありはしないだろうかとふと思いました。
貸金業法や出資法や利息制限法については今日は特に議論はしませんが、この問題点についてあれこれ考えていましたら、
「銀行法というのは預金者保護のためにある。」という結論に辿り着きました。
理論上の考え方になりますが、会社は銀行法の適用を受ける形でしか人の現金を預かってはならないのです。
簡単に言えば、自分のお金を人に貸すのは自由だが人のお金を預かるのは銀行(銀行法適用会社)だけにしか認められないのです。
この観点から言えば、事業会社が余剰現金を他社に貸し出し利息を受け取るのは全く問題ない、という結論になります。
また、非常に大まかに言えば、貸金業法や出資法や利息制限法は、借入人保護を目的としていると言えると思います。
借入人が異常に高い利息に苦しみ貸付人が暴利をむさぼることを禁止するのがこれらの法律の目的なのだと思います。
理論的には、銀行法には借入人保護を目的とする趣旨はありません。
貸金業法と出資法と利息制限法には預金者保護の趣旨は一切ありません。
銀行法=預金者保護が目的、貸金業法と出資法と利息制限法=借入人保護が目的、というふうに整理ができると思います。
最後に、四半期報告制度と銀行の話になりましたので「銀行に対する会計監査」について一言だけ書きたいのですが、
2018年8月20日(月)のコメントで書きましたように、会計監査人は、
与えられた証憑を基に「仕訳が正しいのか否かを検査する。」ことがその職務・役割であるわけです。
会計監査人は、経営判断や経営者の意思決定には一切関与しないわけです。
したがって、会計監査人が経営者に対して、「貸倒引当金をもっと積み増すべきである。」と主張したり
「この資産は減損処理をしなければならないのではないか。」と主張したりするのは、理論的には実は間違いなのです。
銀行に対する金融庁による金融検査では、例えば貸倒引当金の積み増しを銀行に求めることがあっていいわけですが、
会計監査人による会計監査では、経営者が貸倒引当金の積み増しや減損処理の必要はないと判断したのであれば、
会計監査人としてはそのことについては何も意見してはならない、という考え方に理論的にはなるのです。
つまり、会計監査人は、会計処理に間違いがないのであれば、自動的に無限定適正意見を表明しなければならないのです。
経営者が貸倒引当金の積み増しに応じなかったり資産の減損処理に応じなかったことを理由として
会計監査人が無限定適正意見を表明しないのは、実は理論的には間違いなのです。
会計監査人にとって、経営判断もまた所与のことなのです。
繰り返しますが、理論的には、会計監査人は、与えられた証憑と経営者による意思決定と経営判断を基にして、
定められた会計基準に照らして「仕訳が正しいのか否かを検査する。」だけなのです。
将来キャッシュフローや回収可能性を吟味するのが会計監査では決してないのです。
証憑と経営者による意思決定と経営判断には会計監査人は一切関与しない(それらは所与のこととして職務を遂行する)
ということが、会計監査人は会社から独立している、という意味なのです。
会社は会計基準に従った仕訳を行っているにも関わらず、
「私が指摘をした会計処理を行うことに会社は応じなかったので、私は無限定適正意見を表明しないことに致しました。」
などと会計監査人が主張するのは、会計監査の基本的考え方に完全に反しているのです。
金融庁による金融検査では「銀行の経営者の経営判断は間違っている」と指摘をするわけすが、
会計監査人による会計監査で「銀行の経営者の経営判断は間違っている」と指摘をするのは実は完全に間違っているのです。
会計監査人は、「仕訳が正しいのか否かを検査する。」ことのみがその職務・役割です。
会計監査人は、「会社が行っている仕訳は会計基準に照らして正しい。」ということのみを理由に、
無限定適正意見を表明しなければならないのです。
経営哲学は「四方よし」、会計監査は「仕訳よし」、と書いて今日のコメントを終わりたいと思います。

 



Four-parties-totally-satisfied commercial transactions.

四方よし(の商取引)

 


Shareholders are the last beneficiary.

株主は、最後の受益者なのです。

 


The purpose of the Bank Act is not borrower protection but purely depositor protection, actually.

銀行法の目的は、借入人保護ではなく、実は純粋に預金者保護なのです。