2018年7月24日(火)
今日は、ここ3日間のコメントの続きを書きたいと思うのですが、
2018年7月21日(土)のコメントでは、出光興産の経営統合に関する2018年7月21日(土)付けの日本経済新聞の記事を紹介しました。
2018年7月21日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201807/20180721.html
また、2018年7月3日(火)のコメントでは、
株式移転実施時の共同持株会社(完全親会社)の純資産の帳簿価額(株式移転の会計処理)について考察を行いました。
2018年7月3日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201807/20180703.html
それから、2018年7月22日(日)のコメントでは、株式交換比率の決定・公表は最大限遅らせるべきだ、と指摘しました。
2018年7月22日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201807/20180721.html
以下、「株式交換比率の決定方法」について一言だけ書きたいと思います。
株式交換比率は、実務上は直近の株価水準を基に決定をする他ない(株価は市場で客観的に成立した価格だから)わけなのですが、
理詰めで考えると、最も客観的なと言いますか最も恣意性がないと言いますか、
最も人為的ではないと言える株式交換比率というのは、実は「1対1」ではないかと思いました。
これは直近の株価水準の如何に関わらず、という意味です。
理詰めで考えれば、天下り的になりますが、とにかく「1対1」が最も公平な株式交換比率だ、と私は感じるわけです。
「1対1」という株式交換比率が誰の手も加わっていない、と私は感じるわけです。
両社の直近の株価水準にどんなに大きな差異があろうとも、株式交換比率は「1対1」だ、という考え方が理論上はあると思いました。
その理由は、端的に言えば、算定される「株式の本源的価値」は算定者毎に異なるからです。
株価というのは、確かに市場で客観的に成立した価格(誰も人為的に価格を決定したりはしていない)ではありますが、
ある投資家とある投資家との間の取引成立価格に過ぎないのも確かであるわけです。
別の言い方をすれば、現在の株価がある価格であるとはその株価水準で株式に対する需給が拮抗している、
ということを表しているに過ぎないわけです。
率直に言えば、株価とは株式の本源的価値を表しているわけでは決してないわけです。
株価は、「直近の買い手が算定した株式の本源的価値以下直近の売り手が算定した株式の本源的価値以上」の間で市場で成立した
株式の価格(買い手と売り手はその価格で株式と現金とを交換した)、というに過ぎないわけです。
幾何学の「黄金比」ではありませんが、「1対1」という比率が、最も人の手が加わっていない比率だと直感的に感じるわけです。
当事者の合意云々以前に、人が嫌でもフェアだと感じてしまう比率が「1対1」だ(誰かが決めたわけではない)と感じるわけです。
実務上は両社の株式の本源的価値の比率が「1対1」でないと両当事者はその取引に合意しない、というだけなのです。
私が今指摘しているのは哲学っぽい感じがするかもしれませんが、生来的に「1対1」が人が最も納得をする比率だと感じるわけです。
「1対1」以外の比率にしますと、いかにも人が決めた比率、という感じがするわけです。
ですので、現在の実務上の比率の決定方法とはある意味正反対ですが、
両当事者は株式の本源的価値の比率が「1対1」となるよう何らかの施策や対処法を互いに講じていくことが求められる、
という考え方に理論上はなるように思うわけです。
理論上の考え方になりますが、株式交換比率は始めから「1対1」と決まっており(始めから「1対1」を所与のことと考える)、
両当事者が「1対1」の株式交換に納得するよう、両社の株式の本源的価値の比率を「1対1」に極限まで近づける努力を両社はする、
ということが本来的な気がします。
両社の株式の本源的価値の比率は「1対1」だからこそ、完全子会社株式=完全親会社株式、という図式が成り立つのではないでしょうか。
株式交換比率が「1対1」ではない場合は、完全子会社株主は「完全子会社株式とは異なる株式」を対価として受け取る、
ということになる気がするわけです。
現在の実務上の取引方法は、両社の株式の本源的価値の差異を株式交換比率で埋める、ということをするわけですが、
確かに表面上・数値上は対価としては完全子会社株式の価値と完全親会社株式の価値とは同じになるわけですが、
より本質的・本来的には、株式交換比率が「1対1」でないと「完全子会社株式≠完全親会社株式」のままである、
ということになるわけです(株式交換では、数値上だけではなく、完全子会社株主は本質的に同じ株式を受け取らなければならない)。
両社の株式の本源的価値の比率を「1対1」とするのは「完全子会社株式=完全親会社株式」とするためなのです。
「完全子会社株式=完全親会社株式」だからこそ、完全親会社は完全子会社の貸借対照表の簿価を承継できる、
という考え方になるのではないでしょうか。
新株主(=旧完全子会社株主)は従来(株式交換前)と同じ株式を受け取ったからこそ、
完全親会社の資本の増加額は完全子会社の資本の額、ということになるのではないでしょうか。
理論上は、株式交換比率を「1対1」以外に調整することで完全子会社株主が受け取る対価を金額面でフェアにしても意味がないのです。
株式の本源的価値という点において「完全子会社株式=完全親会社株式」だからこそ、株式交換に意味があるわけです。
以上の議論は、株式交換だけではなく、合併や株式移転にもそのまま当てはまる議論だと思います(3手法に共通する考え方です)。
合併に際しては、株式の本源的価値という点において「消滅会社株式=存続会社株式」でなければならないのです。
存続会社の新株主(=旧消滅会社株主)は従来(合併前)と同じ株式を受け取るからこそ、
存続会社の貸借対照表と消滅会社の貸借対照表は1つになる(消滅会社の貸借対照表の簿価が承継される)のではないでしょうか。
消滅会社株主は、合併に際して、「従来から所有していた株式と同じ株式を受け取る」という状態でなければならないわけです。
理論上は、合併比率を「1対1」以外に調整することで消滅会社株主が受け取る対価を金額面でフェアにしても意味がないのです。
理論上の合併比率は「1対1」であるわけです。
1株と1株だからこそ「同じ株式」であるわけです(「1対1」以外では「同じ株式」を受け取ったことにならない)。
現在実務上行われている合併では、合併比率が「1対1」であるから対等合併だ、とは決してならないわけですが、
理論上は、合併に際し「従来から所有していた株式と同じ株式を受け取る」からこそ対等合併だ、という言い方になるわけです。
法人税法上も、消滅会社株主は「従来から所有していた株式と同じ株式を受け取った」からこそ存続会社に出資が承継される、
という考え方になりますので、理論上は法人税法上も合併比率は「1対1」でなければ合併(出資の承継)とは見なせないわけです。
消滅会社と存続会社との間にあるそれぞれの株式の本源的価値の差異を合併比率で埋めるという考え方は、理論上は間違いなのです。
出光興産のレギュラー・ガソリンと昭和シェル石油のレギュラー・ガソリンは「同じガソリン」であるように、
消滅会社の株式と存続会社の株式は「同じ株式」でなければならないのです。
理論上は、合併比率も株式交換比率も株式移転比率も「1対1」だけなのです。
民法上は夫婦は対等なので同じ苗字なのだと思いますが、比率が「1対1」とは両社の株式は「同じ株式」だという意味なのです。