2018年2月25日(日)



2018年1月29日(月)日本経済新聞
「ライツ・イシュー」再び関心 手法工夫し資金調達
ADワークス 行使価格割引なし フージャース 証券会社2割関与
東芝増資でも候補に 既存株主の信頼重要
(記事)



 

IPO(新規株式公開)についての記事を多数紹介した時のコメント↓

2018年2月20日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201802/20180220.html

 

「証券制度は、投資家が株式を買うことよりも売却することに重きを置いている。」という点について指摘した昨日のコメント↓

2018年2月24日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201802/20180224.html


 


【コメント】
昨日は、証券制度(金融商品取引法の規定)は投資家が株式を買うことよりも株式を売ることの方に重きを置いている、
という点についてコメントを書きました。
このことは、投資家が株式を買うことについては投資家保護の観点は証券制度上重要ではないという意味では全くありません。
ただ、投資家は、何らかの形で投資による収益を得ることを目的に株式投資を行うわけなのですから、
投資家が投資による収益を得る手段を用意することが証券制度として非常に重要だ、という意味です。
この点について、昨日は次のように書きました。

>本来的には、投資家にとっては、株式を買うことも投資収益を得ることも、どちらも同じくらい重要であるわけなのですが、
>株式を買うことについては投資家保護の観点は不要というわけでは全くないわけですが
>(むしろ、株式購入に関しても「ディスクロージャー」により十分に投資家保護を図らなければなりませんが)、
>投資収益を得る手段という意味では、投資家が@会社清算に伴う残余財産の分配を得ることは、
>現実には短期的には不可能である以上、A所有株式の売却に重きを置いた証券制度を整備せざるを得ないわけです。

元来的には、証券制度としては、「投資家が株式を買うこと」についてのみ投資家保護を図りさえすれば、
投資家の利益は保護されるもの、という考え方になります。
その際に重要とされる概念(投資判断の根拠)が、「ディスクロージャー」であるわけです。
投資家が株式を購入した後、仮に投資による収益が投資家の購入時点における予想を下回ってしまったのだとしても、
発行者による「ディスクロージャー」に何らの問題もなければ、
投資家の利益は保護されている(予想未満の投資収益は投資家による投資判断のミスというに過ぎない)、
という考え方になるわけです。
しかし、上記の元来的な考え方には、「会社は『清算期日』を定めている」という理論的前提が置かれているわけです。
すなわち、投資家は、どんなに遅くとも、必ず「清算期日」には投資による収益を得ることができる、
という理論的前提があるからこそ、「投資家が株式を買うこと」についてのみ投資家保護を図りさえすれば、
投資家の利益は保護される、という考え方になるわけです。
しかるに、現代の会社制度では、会社は「清算期日」を定めていないわけです。
むしろ、現代の会社制度では、会社は継続企業であること(会社は事業を永続すること)が前提となっているわけです。
投資家の立場から見ると、これでは自分が一体いつ投資による収益を得られるか全く分からない、という状態であるわけです。
したがって、現代の会社制度(証券制度)では、元来的な会社清算に伴う収益(すなわち、残余財産の分配の受け取り)ではなく、
株式の譲渡による収益を投資家が得る手段を証券制度として用意することが求められるわけです。
それがまさに株式市場であるわけです。
株式市場は、投資家にとって、株式の取引を行う場であり「換金の場」であるわけです。
実際上の現実的なことを考えますと、
非上場企業の株主は皆家族や知人同士である(全く知らない人が株主であることは現実にはない)と言える一方、
上場企業の株主は、株式市場で株式が取引されることが前提である以上、不特定多数の状態であるわけです。
上場企業の株主は、他の株主に知人は1人もいないことが前提だと思いますので、
証券制度として「株式の取引を行う場」を特段に・追加的に用意する必要があるわけです。

 


改めて考えてみますと、「投資家が株式を買うこと」について投資家保護を図るのは証券制度上の大前提なのだと思います。
その上で、株主が不特定多数であったり会社が「清算期日」を定めていない場合に関しては、残余財産の分配を制度上度外視し、
「投資家が株式を売ること」(株式の容易な譲渡)に重点を置いた証券制度を整備していくことが求められるのだと思います。
さらに理詰めで考えてみますと、たとえ株主が不特定多数の状態になろうとも(会社が広く社会一般から資金を調達しようとも)、
会社が「清算期日」を定めていさえすれば、
証券制度が特段に「換金の場」(すなわち株式市場)を用意する必要性はない、と理論的には言えると思います。
なぜならば、それぞれの投資家は(社会一般に広くいる数多くの1人1人の投資家は)、
それぞれ自分自身の将来予想に基づいて投資判断を行う(自分の投資判断に基づき株式の購入を決める)、というだけだからです。
投資家の数が多数になれば、投資判断の質が落ちてしまう(利益が害される投資家が増えてくる)、
などという考え方は理論的にはないわけです。
10人の投資家に株式の購入を勧める場合(少人数私募の場合)は正しい投資判断がなされる(投資家の利益は害されない)が、
100人の投資家に株式の購入を勧める場合(不特定多数等の場合)は正しい投資判断がなされない(投資家の利益が害される)、
などという考え方は理論的にはないわけです。
投資家の数が増えれば増えるほど、正しい投資判断がなされなくなる(投資家の数に比例して投資家の利益は害され得る)、
などという考え方は理論的にはないわけです。
正しい投資判断がなされるかなされないかに、投資家の人数は関係ないわけです。
1000人の投資家がいれば1000人の投資家皆が正しい投資判断を行う、というのが証券投資の前提であるわけです。
ですので、理論的には、株主が不特定多数になるのか否か(少人数私募か否か等)が本質的なのではなく、
会社が「清算期日」を定めているのか否かが本質的であるように思うわけです。
投資家が購入した株式を売却できなければ投資家の利益は害される、などということは元来的・理論的にはないはずなのです。
なぜならば、投資家は、購入した株式を「清算期日」まで保有していさえすれば、必ず残余財産の分配を受け取れるからです。
そしてそのことは、投資家の人数は関係がない(不特定多数であろうが少人数私募であろうが同じ)ことなのです。
会社清算に伴う残余財産の分配金額は株式売却益の金額よりも少ない、などということは全くありません。
多い場合もあれば少ない場合もある、というだけなのです(両者の間に関連性は一切ないのです)。
したがって、理論的には、証券制度が特段に「換金の場」(すなわち株式市場)を設ける必要があるのは、
「会社が『清算期日』を定めていない場合」、という考え方になるように思うわけです。
10人の投資家に株式の購入を勧める(少人数私募)のか100人の投資家に株式の購入を勧める(不特定多数等)のかは、
「換金の場」(すなわち株式市場)を設ける必要性とは関係がない(投資家皆が正しい投資判断を行うというだけ)、
という考え方に理論上はなるわけです。
この考え方(理論上の考え方)から言えば、不特定多数の投資家に対し株式の「募集」や「売出し」を勧める場合であっても、
株式が上場されている必要はない、という考え方になります。
2018年2月20日(火)のコメントでは、株式の上場は「募集」や「売出し」の前提である、と書き、
会社が株式の上場を行っている状態でなければ(つまり、上場企業でなければ)会社は「募集」や「売出し」を行えない、
と書いたわけですが、理論上は、株式の上場と「募集」や「売出し」とは関係がない、という結論になります。
ただ、会社が「清算期日」を定めていない場合は、やはり株式の上場は「募集」や「売出し」の前提だと考えるべきだと思います。
「会社が『清算期日』を定めていない」かつ「株式の譲渡はできない」という場合は、
世界一の証券投資のプロでも、投資収益を得られないのです。
それほどまでに、証券制度構築の上では、「会社が『清算期日』を定めていること」は投資家の利益にとって本質的だ、
と考えなければならないのです。

 


それから、記事を1つ紹介し、「投資家が株式を買うこと」について一言だけコメントを書きたいと思います。
2018年1月29日(月)付けの日本経済新聞の記事は、「ライツ・イシュー」についての記事です。
「ライツ・イシュー」と既存の新株式の発行との相違点について、記事の冒頭には、次のように書かれています。

>上場企業が増資をする場合、日本では公募増資などが一般的だ。
>ただ株数が増えるため、既存株主にとっては1株あたりの価値が希薄化につながりかねない。
>これに対し、ライツ・イシューは全株主に株式を買う権利を無償で付与し、増資に応じるかどうかは株主が判断する。
>公募増資よりも株主に配慮した仕組みとされ、日本では09年のルール整備を受けて10年に第1号が登場。
>これまで30件ほど利用されてきた。

現在の証券制度を前提に書きますが、簡単に言いますと、
市場の全投資家は、「株式を売却する機会」を平等に与えられていなければならないわけです。
そして、現在の証券制度(証券取引に関する法制度)においては、
「『株式を売却する機会』を投資家に平等に与えること」に重点を置いた様々な制度や手続きが設けられているわけです。
では、「株式を購入する機会」は投資家に平等に与えられているのかと言えば、
「株式を売却する機会」と比較すると、平等ではない部分があると言わざるを得ないと思います。
その最も典型的な例が「第三者割当増資」だと思います。
「第三者割当増資」では、「株式を購入する機会」が与えられている投資家が明らかに限定されています。
「第三者割当増資」が「株式を購入する機会」を全ての投資家に平等に与えることの正反対であるのは明らかであるわけですが、
市場の投資家から見ると、「第三者割当増資」と同じくらい「株式を購入する機会」を全ての投資家に平等には与えていない
というふうに見える新株式の発行が、実は「ライツ・イシュー」なのです。
なぜならば、「ライツ・イシュー」において「株式を購入する機会」を与えられているのは、発行者の既存株主だけだからです。
「ライツ・イシュー」は既存株主の利益に配慮した新株式の発行方法である、という好意的な見方もあるわけですが、
確かにそのこと自体は正しい評価であるわけですが、そのことは逆から言えば、
「ライツ・イシュー」は市場の投資家の利益には一切配慮していない、と言わざるを得ないわけです。
「ライツ・イシュー」により発行した新株予約権を市場に上場させ、
市場の投資家がその新株予約権を購入できるようにする手法(上場型の「ライツ・イシュー」)も制度上は可能なのですが、
その場合であっても、第一義的には、「株式を購入する機会」が与えられているのは発行者の既存株主だけであるわけです。
なぜならば、既存株主が新株予約権を行使しなかった場合に限り、
市場の投資家はその新株予約権を購入できるというに過ぎないからです。
さらに言えば、「ライツ・イシュー」においては、発行者の既存株主は無償で新株予約権を取得したにも関わらず、
市場の投資家は有償で新株予約権を取得・購入しなければならない、という点においても、
市場の投資家の利益は発行者の既存株主の利益に比べ、明らかに配慮がなされていない、と言わざるを得ないわけです。
既存株主とは異なる株式の新たな引き受け手という存在が実務上想定されない非上場企業であれば、
会社制度上は、「ライツ・イシュー」や「株主割当増資」という新株式の発行も容認され得ると思うのですが、
不特定多数の投資家が株主となることが前提の上場企業においては、
「株式を購入する機会」は市場の全投資家に平等に与えられていなければならない、という考え方になるため、理論的には、
証券制度上は、「第三者割当増資」や「ライツ・イシュー」や「株主割当増資」は認められない、という考え方になるのです。
証券制度上認められる上場企業における新株式の発行方法は、第一義的には市場取引を通じた新株式の発行(一種の公募増資)であり、
そして、株式の「募集」を通じた公募増資のみである、と考えるべきなのです。