2017年12月8日(金)


一昨日2017年12月6日(水)と昨日2017年12月7日(木)のコメントに一言だけ追記をします。


イオン北海道株式会社が株式会社小樽ベイシティ開発に対して有する債権を企業再生ファンドに譲渡したという事例を題材に、
「『確定債権』は現金だが『これから確定する債権』は現金ではない。」、という点について考察を行った一昨日のコメント↓

2017年12月6日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201712/20171206.html

「債権と債務を相殺できるのは、金融債権と金融債務の場合だけである。」という点について考察を行った昨日のコメント↓

2017年12月7日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201712/20171207.html


まず、株式会社小樽ベイシティ開発は実は2001年9月27日にも民事再生法を適用したことがある(1度目の民事再生手続き)、
という点についてなのですが、私は昨日、1度目の手続きについて”2007年まで民事再生手続きを進めていました”と書きました。
しかし、昨日紹介した「流通ニュース」の記事を改めて読んでいましたら、”再生手続きは2005年3月に終結に至っていた。”
と書かれてありました(さらに、紹介した日本経済新聞にも”05年に再生手続きは終了した”書かかれてありました)。
東京商工リサーチの記事には、”19年8月に特定調停を申請し”と書かれていましたので、
私はその時まで再生手続きが継続していたのだろう、と勘違いをして昨日は上記のよう書いたわけです。
ただ、私が思うに、民事再生法に何と書かれてあるのかは知りませんが、理詰めで考えれば、
裁判所によって認可された「民事再生計画」が完遂された時に、民事再生手続きは終結する、という考え方になるはずです。
「民事再生計画」が完遂された時とは、民事再生手続き開始時に債権者から届出のあった債権が全て弁済された時(弁済完了時)、
という考え方に理論的にはなるはずなのです。
現行の規定では、裁判所によって認可された「民事再生計画」(債務の弁済)が円滑に進んでいっているのを裁判所が確認すると、
裁判所の判断により民事再生手続きは終結する、という考え方になっているようですが、その考え方は間違いだと思います。
ものの本には、民事再生手続きは会社更生手続きと比較して短期間で終了する、といったことが書かれてあり、
再生計画認可決定確定から弁済完了まで「最長10年」といったことも書かれていたりするわけですが、
債務の弁済完了まで何年かかるかは「民事再生計画」の内容次第というだけのことでしょう。
例えば、長期借入金を民事再生手続きの中で弁済していく場合、弁済完了まで10年以上要することは何らおかしくはないわけです。
現行の規定では、明らかに「民事再生計画」の遂行途中であるにも関わらず、裁判所の判断により民事再生手続きが終結する、
という考え方になっており、一言で言えば、再生計画の遂行を監督する役割を裁判所が途中で放棄しているように見えるわけです。
例えば、株式会社小樽ベイシティ開発の1度目の民事再生手続き(2001年9月27日に申立)においても、
民事再生手続き開始時に債権者から届出のあった債権は全て弁済された(弁済完了)というわけではないにも関わらず、
2005年3月に裁判所の判断により民事再生手続きが終結しており、結果、その後「特定調停」を申し立てるに至っているわけです。
これでは一体何のための民事再生手続きだったのか分からないわけです。
民事再生手続きの終結の日を間違えてしまった言い訳ではありませんが、理論的には、
民事再生手続きが終結するのは、「民事再生計画」が完遂された時であり、それはすなわち、
民事再生手続き開始時に債権者から届出のあった債権が全て弁済された時(弁済完了時)のことである、
という考え方になると思います(透明性の確保のため、そもそも債権者は債務の弁済を裁判所に監督してもらうわけですから。)。

 



次に、「債権と債務の相殺」についてです。
昨日は、一昨日の結論に加え、次の結論に辿り着きました。

>「債権と債務を相殺できるのは、理論的には金融債権と金融債務の場合のみである。」
>「たとえ確定している債権や債務であろうとも、商債権や商債務では相殺はできない。」

上記の結論の理由として、昨日は次のように書きました。

>商債権・商債務は、確かに法律上も会計上も確定はしているものの、このたびのイオン北海道株式会社の事例のように、
>相殺のため、相手方と合意の上、発生・認識の直前まで債務の金額を任意に変えることができる、という側面があるわけです。

この点について一言だけ補足をしたいと思います。
理論上は、商債権や商債務の金額には任意性はない(商債権や商債務の金額には十分な客観性がある)、と言えると思います。
なぜならば、商取引上、人は目的物を最大限高い金額で譲渡しようとしますし(商債権の金額は相手方と合意される最大値のはず)、
人は目的物を最大限低い金額で取得しようとする(商債務の金額は相手方と合意される最小値のはず)からです。
簡単に言えば、商取引において、わざわざ安い価格で商品を売ろうとする人はいませんし、
わざわざ高い価格で商品を買おうとする人はいないわけです。
その意味において、理論上は、商債権や商債務にも金融債権や金融債務と同じだけの客観性(絶対性)があると言えるわけです。
したがって、理論上は、商債権や商債務も「債権と債務の相殺」の対象と十分になり得るわけです。
しかし、このたびのイオン北海道株式会社と株式会社小樽ベイシティ開発の事例のように、
債権の回収を図ること(相殺)を目的としている場合には、人は必ずしも商債務の金額を最小化しようとするとは限らないわけです。
通常、人は損金の金額(費用の計上額や現金支出額)をわざわざ大きくしようとはしないものです。
しかし、利益(所得額)の最大化ではなく、債権の回収(相殺)を目的としている場合には、まさにのこたびの事例のように、
損金の金額を意図的に大きくしようとする動機が生まれる(計上する賃料の金額を大きくした方がこの場合有利だから)わけです。
これは結局のところ、取引の相手方が支払不能の状態にあるからこそ、このような矛盾(損金を大きくすること)が生じるわけです。
すなわち、商債権や商債務の金額に任意性はない(商債権や商債務の金額には十分な客観性がある)と言えるのは、
まさに通常の取引時の場合のみだ、と言えるわけです。
逆から言えば、取引の相手方が支払不能の状態にあったり取引の相手方に債務不履行の恐れが生じている状況下では、
商債権や商債務の金額には任意性がある(商債権や商債務の金額には十分な客観性はない)、と言わねばならないわけです。
ですので、話を簡単にまとめますと、理論上は商債権や商債務も「債権と債務の相殺」の対象と十分になり得るわけですが、
相手方の倒産可能性といった現実的な観点を理論に持ち込みます(現実に合わせて理論を修正します)と、
商債権や商債務では「債権と債務の相殺」はできない、という結論になるわけです。
通常の取引(安定して経常的に取引)が行われている状況下では、相互に仕入れと販売の取引がある相手方との間で、
商債権や商債務を「債権と債務の相殺」の対象とすることは問題はない(利益の最大化を目的としているから)のですが、
特に倒産や企業再生といった文脈においては、商債権や商債務を「債権と債務の相殺」の対象としてはならないのです。

 


民事再生法には、「相殺権」と呼ばれる権利・手法が定められているようです(第92条)。
「相殺による債権回収」について解説したサイトがありましたので、引用して紹介します。


第2回民事再生手続と債権者の対応
(ひまわりほっと法律相談室)
ttps://www.nichibenren.or.jp/ja/sme/hs0002.html

>3 取引先が民事再生を申し立てた場合の対応
>A相殺による債権回収
>  取引先が民事再生を申し立てた場合、自社の債権について、その内容を集計することが大事であることもちろんのこと、
>再生債務者に対して、支払うべき債務を負っていないかを支店や他の営業所の取引を含めて洗い出し作業をすることが
>自社の債権回収の上でも重要です。すなわち、再生債務者と相互に売り買いの取引をしているような場合、
>こちらも再生債務者に対して、買掛債務等を負担している場合があります。
>その場合、相互の債権債務を相殺して再生債権を回収することができます。民事再生法上、相殺権(第92条)と呼ばれています。
>相殺権の行使は、再生債務者に対して相殺の意思表示(後日の証拠を残すために、内容証明郵便で通知することもあります)
>をすれば足りるので(民法第506条)、極めて簡易な債権回収手段となります。
>もし、この相殺権を行使しなければ、自社の債権は再生計画により減額されたり、分割払いなどとされるのに対して、
>自社の債務は約定どおり、再生債務者に全額支払わなければならないので、債権回収のチャンスを逃すことになってしまいます。
>この点、注意すべきは、この相殺権の行使は再生債権届け出期間内に行わなければならないことです(第92条第1項)。
>仮に、債務を負担していたとしても、期間内に相殺をしなければ、相殺はできません。

 


民事再生法に定められている「相殺権」は、商債権や商債務を「債権と債務の相殺」の対象としているわけです。
しかし、取引先(債権者)が債務者の財務的困難を事前に知っていた場合には、昨日も書きましたように、
民事再生手続きを申し立てるに先立ち、自身の商債務の金額を債務者との間で変動させることができる余地があるわけです。
この点、金融債権や金融債務に関しては、絶対に金額を変動させようがないわけです。
したがって、性悪説に立てば、民事再生手続きでは(さらには他の企業再生のための手続きにおいても)、
商債権や商債務の相殺は認められない、という考え方をするべきだと思います。
以上の概念・考え方から、さらに新しい結論が理論的に導き出せるのではないかと思いました。
それは、理論上の「債務の弁済の順位」です。
一般に、債権者平等の原則に基づき、債務者の全債務は平等に取り扱われます(理論的には債務に弁済の順位などはない)。
しかし、債権や債務の客観性ということを鑑みますと、金融債権や金融債務には絶対的な客観性があるのに対し、
商債権や商債務は客観性の点で相対的に劣る(どのような状況下で生じた債権債務関係なのかが問題になる)わけです。
ですので、「金融債務の方が商債務よりも弁済の順位は高い。」という考え方が論理的に導き出せるように思いました。
日本の民法その他では、むしろ、商債権の方が弁済順位はより高いとされている(「先取特権」と呼ばれています)のですが、
目的物の引渡しや役務の提供ではなく、現金を債務者に現に引き渡している関係上(さらに、その金額には絶対的な客観性もある)、
金融債権の方をより保護するべき(弁済順位をより高くするべき)、という考え方が出てくるように思ったわけです。
「貸したお金は返ってこないだろう。」、と考えながら人にお金を貸す人はいないわけです。
しかし、昨日の事例のように、「賃料は支払われない(のは分かっている)。」と言ってテナントを貸す人は現にいるわけです。
また、これは「商債権や商債務の金額には任意性がある。」ということと関連があることなのですが、
債権者が債務者に対して引き渡した目的物や提供した役務の金額や価額というのは、
悪く言えば、当事者達の間で決まっただけの金額や価額に過ぎない、という言い方ができるわけです。
例えば、債権者は債務者に何の価値もない物を引き渡し、債務者は債権者に多額の対価を支払う約束をした、という場合、
債権者は債務の弁済の手続きの中で多額の金銭を受け取ることができる、ということになってしまうわけです。
悪く言えば、債権者と債務者が申し合わせた上で、債務者から特定の債権者にのみ相対的に大きな金額の金銭を支払う、
というようなことが債務の弁済の手続きの中でできてしまうわけです。
債務者から特定の債権者にのみ相対的に大きな金額の金銭を支払うことを目的に、法手続きを申し立てるわけです。
これも性悪説に立てば、一種の「prepackaged bankruptcy」(事前に金銭供与のシナリオのあるプレパッケージ型の破綻処理)
と言えると思います。
その原因というのは、煎じ詰めれば、「対価の金額というのは、当事者が決めた任意の金額に過ぎない。」
というところに由来すると思います(悪く言えば、商債権の金額は当事者間で全く任意に決められるので客観性はない)。
全く同じ目的物の引渡し・全く同じ役務の提供であっても、他の当事者間であれば他の金額になったかもしれないわけです。
当事者が100人いれば、対価の金額も100通りあるのです(つまり、対価の金額というのは1通りには決まらないと言える)。
その点、金融債権の金額というのは、債権者が債務者に引き渡した現金の金額であると絶対的に・客観的に一意に決まるわけです。
結局のところ、商債権が概念的に現金であると言えるのは、決済期日に現金で決済する場合のみである、と言えると思います。
端的に言えば、現金での決済が予定されていない債権は、現金ではないのです。
債権が現金なのは、現金での決済が予定されている場合のみなのです。
したがって、先ほどの「prepackaged bankruptcy」(事前に金銭供与のシナリオのあるプレパッケージ型の破綻処理)では、
現金での決済が予定されていない中での商債権の発生ですので、そのような債権は保護するに値しないわけです。
現金での決済が予定されている場合は、どんな物にどんな金額の対価を支払ってもよいわけです(それは全く当事者の自由)。
しかし、現金での決済が予定されていない場合は、債権が途端に現金ではなくなるわけです(金銭供与の原因にしかならない)。
そういった債権債務関係の実務上の発生原因まで含めて考えると、金融債権の方が優先されるべき、との考えが出てくるわけです。
他にも、商債権の保有者はそもそも現金取引ができたのではないか(債権者になったのは自己責任)、という考え方もあるわけです。
日本の民法とは正反対の考え方になりますが、金融債権に先取特権がある、という考え方は決して間違いではないと思いました。