2016年7月20日(水)
2016年7月19日
株式会社リコー
海外関連会社の増資について
ttp://jp.ricoh.com/release/2016/pdf/0719_tse2.pdf
(ウェブサイト上と同じPDFファイル)
過去の関連コメント
2016年7月12日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160712.html
4月に不正会計が発見された場合は当期の財務諸表に反映し、7月に不正会計が発見された場合は当期の財務諸表に反映しない、
というのはおかしいでしょう。
決算短信の内容が決算短信の発表日によって異なるというのは論理的に考えておかしいように、です。
会社の財務諸表自体は、3月31日の営業終了をもって、確定するはずなのです。
そうでなければ、4月1日に営業を開始できないでしょう。
株式会社あみやき亭のように、当期の決算を4月1日に発表してくれるのであれば、投資家の投資判断に資すると思いますが、
5月中旬になって当期の決算を発表されても、たとえ決算内容が正しくても意味はあまりないわけです。
なぜなら、3月31日現在の会社の財務状況と5月中旬の会社の財務状況とは異なるからです。
投資家は、現在の財務状況とは異なる財務諸表を見て、投資判断を行うことになります。
これでは、3月31日現在の会社の財務状況がいくら正しくても意味があまりないでしょう。
企業統治(コーポレート・ガバナンス)に関する議論の中で、委任の法理を考えれば、
株主が委任した取締役に監査役をつけるのは法理上の矛盾である、と書きました。
同様に、財務諸表に関しても、取締役が作成した財務諸表に会計監査を行うのは一種の矛盾なのかもしれません。
3月31日時点において把握している事実に基づいて財務諸表を作成する、という点を鑑みますと、
4月1日以降から開始する会計監査というのは、必然的に事後的な位置付けのものとなる、
すなわち、次期の財務諸表のための会計監査となる、ということを意味するように思います。
財務諸表自体は既に確定している、というふうに考えなければならないのではないかと思いました。
Only a part of shares issued can't be retired.
発行済み株式の一部分だけを消却することはできません。
In my opinion, on the principle of law, what you call an accounting audit
executed by an audit firm
is merely a subordinate task concerning an
already-final financial statements.
It means that an accounting audit doesn't
correct financial statements.
私見になりますが、法理的には、監査法人が行ういわゆる会計監査とは、
既に確定している財務諸表に関する付随する仕事に過ぎないのです。
つまり、会計監査は財務諸表を訂正しないということです。
私のこれまでの人生において極めて大きな影響を及ぼした出来事ですので、2016年7月17日(日)のコメントに一言だけ追記します。
2016年7月17日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160717.html
2016年7月17日(日)のコメントのコメントで、自分は公務員になれなかったけれども、今ではそれでよかったと思っている、
と書いたわけですが、大学4年生当時の私の心境として、
>Well, I seeing in the seventh grade that literally nobody attended a
funeral of my grandfather,
>who was a civil servant in life from before
the war,
>my original desire to enter the civil service had already faded
out completely at that time, though.
>まあ、生前、戦前から公務員をしていた私の祖父の葬式には、文字通り誰も来なかったのを中学1年生の時に目の当たりにして以来、
>公務員になりたいという私の当初の希望は、その時には既に完全になくなっていたわけではありますが。
と書きました。
私の人生に決定的な影響を及ぼした出来事(私はこのことを「原体験」と自分で言っています)というのは、
ここに描いています通り、「生前、戦前から公務員をしていた私の祖父の葬式に、文字通り誰も来なかった。」ということなのです。
これは、私が中学1年生の時のことでした。
祖父の葬式には、祖父の部下や同僚や上司、そして、まさに自分の将来の上司や先輩になる方々、それから既に退職された高齢の方々、
さらには在職者の中から代表の方等が大勢出席するのだろう、と式が始まる前まで私は思っていました。
ところが、文字通り、誰一人祖父の葬式には来ませんでした。
私は愕然とし、「たとえ今後公務員になれたとしても、自分の葬式にも誰も来ないだろうな。」と思いました。
葬式の後、呆然とする日々が長く続きました。
1ヶ月間以上、悩み続けました。
自問自答を繰り返しましたが、何の答えも出ませんでした。
ただ、今後公務員になれるにせよなれないにせよ、今のままではどちらにせよ自分は誰からも相手にさせず、
たとえ公務員になれても何の仕事もなく、自分の葬式にも誰も来ないのだけは分かりました。
ですので、私は勉強をするようになりました。
教科書や問題集などがきちんと作成されていて、学校や塾でもちゃんと授業が行われているのには何か社会的な理由があるのだろう、
と考え、自分で自分なりの答えを出しました。
1ヶ月以上悩み続け、どうなるにせよとにかく勉強を頑張ってみようと決めたのは、中学1年生のちょうど今ごろだったと思います。
中学1年生の時点でも(もちろん今でも)、公務員になるというだけなら人格面は申し分なかったと思いますが、
中学1年生のちょうど今ごろから、周囲の人とは正反対に、私は一段も二段もさらに高い領域に進み始めたのだと思います。
中学1年生のちょうど今ごろから、私は公務員を超え始めたのです。
「At that time when I was in the seventh grade, I was beginnig to surpass a civil servant.」
中学1年生のあの時、私は公務員を超え始めたのです。