2016年7月6日(水)



2016年7月6日(水)日本経済新聞
アジア注目銘柄
ネイバー(韓国) ―75万ウォン(3.16%高)
(記事)





過去の関連コメント

2016年7月8日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160708.html


 


【コメント】
2016年7月8日(金)のコメントで、自己株式の取り扱いに関し、平成12年商法以前と平成13年商法以後の違いについて書きました。
端的に言えば、平成12年商法以前の自己株式は一資産(主に消滅会社所有の資産を承継した結果)という取り扱いであったのに対し、
平成13年商法以後の自己株式は剰余金の分配の結果(純資産のマイナス)である、という取り扱いになっているわけです。
それで、この2016年7月8日(金)のコメントのコメントを踏まえた上で、
紹介している記事に記載のあるネイバー所有のLINE株式のことを考えてみたいと思います。
記事を読んで最初に思ったことは、会社が所有している資産の価値は株価にも反映されるものなのだろう、という点です。
会社所有の資産の含み益も株価に反映される、という考え方は自然な考え方なのだろうと思います。
それで、新規上場を控えているLINE株式を大量に所有しているネイバーの株価も、
上場後のLINE株価の動向(投資家からの需要が強い)を織り込む形で、上昇をしている、と記事では言っているのだと思います。
LINE株式の価値をネイバー株価は織り込んでいる、という考え方は何らおかしくはないわけですが、
記事を読んでいて、ふと気になることが書かれていました。
それは、

>ネイバーはLINE上場後も株式の8割を保有する。

と書かれていることです。
ネイバーは、今後もLINEのことをグループ経営戦略上重要な子会社と位置付けているのだと思います。
それで、ネイバーはLINE上場後も株式の8割を保有する計画であるわけです。
そのこと自体は何らおかしくはないわけですが、しかし、
会社は今後も株式を保有する計画であるということは、会社は今後も株式を売却しない計画である、という意味であるわけです。
当たり前ではないかと思われるかもしれませんが、会社は今後も株式を売却しない計画であるということは、
会社は今後とも株式売却益を計上することはない、という意味であるわけです。
会社は株式売却益を計上しないということは、LINE株式が上場してもネイバーの業績には何らの影響も与えない、ということです。
つまり、今後LINE株価がどれほど上昇しようとも、ネイバーの業績には全く影響を与えない、ということになるわけです。
ネイバーは、LINE株式を売却して初めて株式売却益を手にすることができるわけですが、
ネイバーがLINE株式を売却しないのであれば、LINE株式が上場しようがLINE株価が上昇しようが、
ネイバーの業績には全く無関係、もちろん、ネイバーの株価にも無関係、ということになります。
ネイバーはLINE株式の2割は売却するということですので、その売却分がネイバー株価に反映されるのは分かりますが、
売却しない8割分はネイバー株価に全く影響を与えない、と考えなければならないのではないかと思いました。
要するに、「所有しているこの資産は売却はしないと決めている」ということであるならば、
キャッシュフローの観点から言えば、「その資産は所有していないことと同じ」と考えなければならないのではないか、
と思ったわけです。
資産は、売却して初めてキャッシュフローを得られるわけです。
売却しないと決めているのであれば、その資産は所有していないことと同じではないでしょうか。
「その資産は所有していないことと同じ」であるならば、LINE株価が上昇してもネイバー株価は上昇しない、と思ったのです。
厳密に言えば、株式の場合は、所有しているだけで配当金を受け取れますので、売却しなくてもキャッシュフローを得られる
わけですが、金額面のインパクトとしては、毎期の配当金額よりも株式売却益の金額の方がはるかに大きいと思います。

 


ただ同時に、たとえネイバーが「所有しているこの資産は売却はしないと決めている」としても、
ネイバーがLINE株式を所有していることには変わりありません。
極端な話をすれば、会社清算時には、ネイバーは所有しているLINE株式を処分することになるわけです。
そのことを考えますと、LINE株式は、やはりネイバー株式の価値の一部を構成している、と言わねばならないでしょう。
その意味では、所有しているだけでも、LINE株式の価値はネイバー株価に反映される、と言わねばならないかもしれません。
この辺り、上場だ仮条件の引き上げだ市場株価だと言っていますので話が分かりづらくなっていますが、
話の簡単のため、非上場企業や簿価で考えてみても、やはり説明は付けられないと思います。
例えば、ネイバーもLINEも非上場企業であり、ネイバー株式を簿価で売買することを考えてみましょう。
ネイバーにも内部留保はありますが、LINEには資本金額(出資額、株式の帳簿価額)をはるかに超える多額の内部留保がある、
としましょう。
この時、ネイバー株式は、ネイバーの資本の簿価に基づいて売買することが本当に公正でしょうか。
LINEの多額の内部留保のことは、ネイバー株式の価値に反映させなくてよいのでしょうか。
仮にLINEを清算させますと、ネイバーには多額の残余財産が分配されます。
そのLINEからの残余財産を考慮に入れずに、簿価に基づいてネイバー株式を売買することはやはり間違いであろうと思うわけです。
ネイバー株式の価値を判断するのに、ネイバーの資本額だけでは全く情報不足であろうと思います。
ネイバー株式の価値を正確に判断するためには、ネイバーの資本額ではなく、ネイバーの資産内容を精査しなくてはならない、
ということになると思います。
この文脈で言う「ネイバーの資産内容」には、子会社の財務状況(子会社の資産内容や子会社の内部留保)が含まれます。
以前、会社清算時(会社財産の処分時)には、会社の資本(資本金額や内部留保額)は無視しないといけないと書きましたが、
実は、平時においても、資産が株式の価値を決めるため(資産の価値が株式に反映されるため)、
会社の株式の価値を判断する際には、会社の資本(資本金額や内部留保額)は無視しないといけないのかもしれません。
現代会計における会社の貸借対照表は、「事業継続を前提にした貸借対照表である」と言われますが、
実は資本の部も事業継続を前提にしていると言いますか、概念的に言えば、
同一の株主が株式の保有を継続することを前提している、という言い方ができるのかもしれません。
つまり、現代会計における会社の貸借対照表は、実は、「株式の譲渡は行われないことを前提にした貸借対照表である」
と言わねばならないのだと思います。
この考え方から言えば、会社の資本額は株式の公正な譲渡価額を表しているわけでは全くない、ということになります。
他の言い方をすれば、会社の資本額は株式の公正な価値を表しているわけでは全くない、ということになります。
例えば有形固定資産の未償却残高同様、会社の資本額は単に当期末に計算された資本額、というに過ぎない、つまり、
単に当期の分配可能額を算出するために期末日に資本額を確定させているというに過ぎない、という考え方になるわけです。
株式にあるのは、出資額(株式の取得原価)だけなのだと思います。
それ以外に、株式の価値を表すものは何もないのだと思います。
会社の当期末の資本額は、当期末における株式の価値を表しているしているわけでは全くない、
そう考えなければならないのだと思います。

 



敢えて言うならば、他の一般の資産同様、
株式の価値も売買によって決まる(譲渡価額が株式の価額)、というだけなのだと思います。
ただ、より本質的には、上記の議論で見ましたように、株式は譲渡を前提にしていないように思えます。
少なくとも、会社の資本額は株式の公正な価値を表しているわけでは全くないわけです。
2016年7月7日(木)のコメントでは、「委任の法理」という観点から、株式の譲渡を行うと委任における委任者が変動してしまうため、
元来的には、株式会社では実は株式は譲渡しないことが前提ではないか、と書きました。

2016年7月7日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160707.html

今日は、法理・法務面からではなく、会計・財務面から、
元来的には、株式会社では実は株式は譲渡しないことが前提ではないか、という点について考えているわけです。
例えば、会社が期末日時点で所有している棚卸資産についても、含み益があるかもしれないわけです。
しかし、その含み益は、会社の資本額に反映はされていないわけです。
それなのに、会社の資本額に基づいて株式を譲渡してしまうと、旧株主が損をしてしまうことになるでしょう。
しかし、「株式は譲渡しない」(株主は変わらない)と考えますと、やはり説明が付くわけです。
出資をしたお金で会社が資産を取得したが、ただ単にまだ売却が実現していないだけだ、で説明が付くわけです。
仮に、そのまま会社清算に至っても、清算に伴いその資産は処分され、残余財産の分配という形で株主に返ってくるだけです。
損も得もないわけです。
株式を譲渡しないならば、平時であれ清算時であれ、誰が損をするでも得をするでもないわけです。
以前書きました「債権は現金と同じである」という議論の中で、
貸付債権は、利息部分の価値を鑑みると、どの価額で譲渡すべきかは明確ではない(元本価額での譲渡は公正ではない)、
と書きました。
株式の場合は、貸付債権よりもさらに話が複雑であり、
配当金の価値や会社倒産のリスクを鑑みると、どの価額で譲渡すべきかは明確ではない(会社の資本額での譲渡は公正ではない)、
と言わねばならないと思います。
仮に会社倒産のリスクはゼロだと想定しても、所有資産の含み益がいくらかは、販売実現時まで分からないわけです。
仮に、株式を譲渡するとしたら、会社の借方(資産の部)は全て現金の場合のみでなければ、
公正な価値による株式の譲渡とはとても呼べないでしょう。
価額という観点から言えば、貸付債権は譲渡できないのと同様に、株式もまた譲渡はできないのだと思います。

 



「事業継続を前提にした貸借対照表」とは、「株式の譲渡は行われないことを前提にした貸借対照表」のことである、
資本額も当期末から次期期首へ継続されることを前提にした仮初めの(transient)価額に過ぎない、と表現できると思います。
「transient」とは、「瞬間的な、つかの間の」という意味です(一時的なものですぐ移り変わる、という意味合いがあります)。
会社設立から会社清算までの流れ行く事業運営の時間の中で、「会社の当期末の資本額はこれです。」、と言っているだけなのです。
「事業継続を前提にした貸借対照表」の資本額を表現するのに、「transient」ほどぴったりくる単語はないと思います。
それは、株式の公正な価額を表している、などという概念とは全く異なるものであるわけです。
株式の公正な価額を算定するためには、会社の資産内容が「transparent」でなければならいわけですが、
いくら今現在の会社の資産内容を「transparent」にしても、結局実現する利益額は収益実現時まで分からないわけです。
会社の資本額は、ただ単に「transient」な価額を表しているだけですので、
株式の公正な譲渡価額としては適さない(会社の資本額と株式の公正な価額とは実は無関係の概念である)、
と考えなければならないと思います。
会計理論的には、分配可能額を算定するために、「transient」な価額を算出する必要がある、ということになると思います。
当期末はこうであった、と。
しかしそのことと、株式の公正な価額とは、全く関係がないのです。

 



それでは、資本額と株式の価額との関係についてのコメントが長くなってしまったのですが、
実は今日最初に書きたかった内容になるのですが、最後になりましたが、自己株式について一言だけ書きます。
結局今日の以上の議論とも関係があるのですが、平成12年商法以前のように、自己株式を一資産としてみた場合についてなのですが、
自己株式を売却した場合は、株式売却益が計上されるわけです。
その場合ですと、自己株式を保有しているというのは、まさに一般の資産を保有していることと同じ取り扱いになるわけです。
そうしますと、その株式売却益は、どの株主に帰属していることになるのだろうか、と思いました。
株式の売却により、会社は利益を計上するわけですが、株式の売却と同時に、会社には新たな株主も誕生するわけです。
元祖会計理論のように、「一取引毎に利益を分配する」と考えてみますと、
この株式売却益は、従来からの株主のみに分配されるのか、それとも、新株主にも分配されるのか、明確ではないな、と思います。
現在の様に、期末日の株主に配当が支払われる、と考えますと、当期純利益には当期に実現した全ての収益が合算されますので、
結果的には、新株主にも株式売却益を原資とした配当は支払われる、となろうかとは思います。
しかし、やはり取引単位で見ますと、おかしいなと思うわけです。
新株主からすると、会社に払い込んだお金が株式売却益として自分に分配される、
ということになる(お金が循環している)わけです。
会社から見ると、その株式の売却に際し、実は資本の払い込みは一切受けていない(資本金は増加していない)わけです。
しかし、新株主から見ると、会社自身から株式を取得した(株式取得の対価として会社に現金を払い込んでいる)、
という状態であるわけです。
この辺り、平成12年商法以前であっても、自己株式に関し会社と株主との間に非対称性(矛盾)はあった、ということになります。
また、今日のネイバーとLINEの記事を参考にして欲しいのですが、
自己株式が資産であるならば、会社が保有している自己株式の価値は、会社の株価には織り込まれているのか、
という議論が出てこようかと思います。
ネイバーにとってLINE株式は収益やキャッシュフローの源泉であるのなら、
自己株式を保有している会社にとって自己株式は収益やキャッシュフローの源泉である、という見方になるはずです。
自社株買いを行ってROEを高めるべきだ、という論調が株式市場にある昨今ですが、
平成12年商法以前であっても、優良な自己株式を保有していれば保有しているほど、優良資産保有の結果、会社の株価は上昇する、
という論理が出てくると思います。
この辺り、自己株式の位置付け・取り扱いについては整合性のある説明は付けられないわけですが、
その原因は、平成12年商法以前か平成13年商法以後か、という商法上の定義の違いにあるというより、
本質的に自己株式の存在自体が法理・会計的には矛盾していることにある、と言わざるを得ないと思います。

 


Is a value of an object determined by whether a seller sells the object or not?

ある目的物の価値は、売り手がその目的物を売るかどうかで決まるでしょうか。

 


Not only in theory but also in practice, a cash flow from a share is independent of its holder.

理論上だけではなく実務上も、株式からのキャッシュフローは株式の保有者とは無関係なのです。

 


However thoroughly you make due diligence in order to make details of assets of a company "transparent,"
there is a logical limit.
That is, a limit that nobody knows the amount of a profit to be realized until the revenue is realized.
So, our predecessors gave up an idea that they determined a future value.
It also means that shares can't be transferred.
And concerning a dividend, they made up their mind that they made do with a "transient" value.
In short, a value of equity of a company, a "transient" value, is not for the purpose of a value of a share
but for the purpose of an amount of a dividend.

会社の資産内容を「透明」にするためにどんなに徹底的に精査を行っても、必然的な限界があります。
すなわち、収益実現時まで実現する利益の金額は誰にも分からないという限界です。
そこで、先人達は、将来の価額を決定するという考えは諦めたのです。
それは、株式は譲渡できない、という意味でもあります。
そして、配当に関しては、「仮初め」の価額で間に合わせることにしたのです。
一言で言えば、会社の資本額―「仮初め」の価額―は、株式の価額のためにあるのではなく、配当の金額のためにあるのです。