2016年7月7日(木)
万科企業、臨時総会開催案を否決
■万科企業(中国最大手の不動産企業) 同社に敵対的買収を仕掛けている宝能投資集団が提案した臨時株主総会の開催案を、
このほど開いた取締役会で全員一致で否決した。宝能は万科経営陣の総退陣を求めていた。
あわせて万科は同社再建策(敵対的買収への対抗策)の修正案をまとめ、上場先の深証券取引所に提出し、受理された。
同再建策が最終承認されるには、万科の株主の同意が必要となるが、同取引所での受理を受け、
万科は同取引所のA株(人民元建て)の取引を2015年12月18日以来、約6カ月半ぶりに再開した。
万科の買収騒動は、昨年12月、万科と同じ広東省深市にある複合企業「宝能投資集団」が突如、敵対的買収を仕掛け、
すでに筆頭株主に浮上したことが明らかになり、現在の騒動に発展した。
万科の業績自体は順調に推移しているが、万科は敵対的買収への対抗策を公表できるまで、
深証券取引所での取引を中止するとしていた。
万科がこのほど公表した対抗策は、地下鉄事業を手掛ける国有企業「深市地鉄集団」(広東省深市)に対し、
約456億元(約7200億円)の新株を発行して割り当て、同社と事業面でも協力し、万科の筆頭株主に迎え入れるというもの。
ただ、宝能にとっては、筆頭株主の座を奪われるだけでなく、大量の新株発行は既存の株主利益を大きく損なうものだとして、
今なお強く反発している。(広州=中村裕)
(日本経済新聞 2016/7/5
23:34)
ttp://www.nikkei.com/article/DGXLZO04500040V00C16A7FFE000/
【コメント】
「委任の法理」から考えると、会社に臨時株主総会も何もない、ということになると思います。
株主は、会社の運営は全て、全面的に取締役に委任をしているわけですから、株主総会自体が会社にはない、ということになります。
しかし、「株式の譲渡」ということを所与のこととして考えますと、株式の譲渡が行われた後の会社の状態を鑑みますと、
今度は逆に、新株主は従来からの取締役に会社運営の委任をしたわけではないので、
新株主は改めて新取締役に会社運営の委任をしなければならない、すなわち、株主総会で新取締役を選任しなければならない、
ということになろうかと思います。
問題は、取締役の選任議案は誰が作成するのか、という点になると思います。
仮に、従来からの取締役が議案を作成するとなりますと、「委任の法理」から考えてみますと、話がおかしなことになると思います。
従来からの取締役は新株主に委任をされたわけではないので、
従来からの取締役は新株主の意向に沿う議案を作成する法理や論理はないように思うわけです。
かと言って、株主が議案を作成するとなりますと、会社の運営を委任していることに反するように思うわけです。
この辺りのことを考えますと、「株式の譲渡」が行われた場合は、譲渡と同時に取締役は総退陣する、
という考え方をしないといけないように思うわけです。
しかし、そうすると、会社の業務を執行する者がいなくなる(例えば、株主総会は誰が招集するのか等)わけですから、
それはそれで話がおかしくなるわけです。
以上のようなことを考えますと、「委任の法理」から考えると、「株式の譲渡」自体がおかしい、ということになると思います。
「委任」という行為を他者に譲渡する、などという考え方があるでしょうか。
株式というのは、取締役に「委任」を行った証でもあると思います。
「株主が変わる」とは、「委任者が変わる」という意味です。
「委任」という関係では、委任者も受任者も一切変動しないわけです。
委任者と受任者のどちらか一方が変わる時というのは、両者間の委任関係が終わる時ではないでしょうか。
その意味において、委任関係が続いている中で「株式の譲渡」が行われるというのは、法理的な矛盾なのだと思います。
ただ、現在の株式会社制度では、結局、委任者は株式会社(法人)、受任者は取締役、という委任関係になっているのだと思います。
そうしますと、「株式の譲渡」が行われても、委任関係における委任者は変動しない、ということになる気がします。
しかしやはり、「株式会社(法人)が委任を行う」というのは、何か概念的におかしい気もするわけです。
「委任」というのは、自然人に固有の行為ではないかという気がするわけです。
株式会社(法人)そのものは、意思決定をしたりはできないわけですから、
自然人である業務執行者が代わりに株式会社(法人)の業務を執行するわけですが、
そうすると、概念的には、委任者と受任者が同じ、という状態になってしまうと思います。
この辺り、委任者が法人である以上、会社における委任関係について、法理的に十分な説明は最後まで付かないような気がします。
委任というのは、「あいつを信頼しあいつに任せよう。」という心の働きであるわけです。
信頼という心の働きには、感情の部分もあると言っていいでしょう。
その心の働きというのは、法人には本質的にないわけです。
取得や所有や譲渡に、心の働きはいらないわけです。
しかし、委任には、心の働きが本質的に必要だと思うわけです。
法人は、取得や所有や譲渡はできますが、人を憎んだり好きになったり殴ったりはできないでしょう。
それと同様に、法人は、取得や所有や譲渡はできますが、委任はできないと思うわけです。
「自分では行わない」ということに説明付けを試みている概念が「委任」であるわけです。
「自分では行わない」だけではなく、その委任すらも他の人(この場合は会社)が行う、
というのは、概念的には極めておかしいように感じるわけです。
「知情意」が自然人固有のものであるならば、委任も自然人固有のものである、
すなわち、委任の主体になれるのは自然人だけである、というふうに思いました。
Even a wholly-owning parent company is not able to call a meeting of shareholders.
完全親会社でさえ、株主総会を招集することはできないのです。
On the principle of law, the reason why there is no meeting of shareholders
is
that shareholders have trusted directors with operations of a company.
法理的なことを言えば、株主総会などない理由は、株主は取締役に会社の運営を委任しているからなのです。
The term which expresses the state of affairs that shareholders trust
directors is
not only "comprehensively" but also
"irreversibly."
"Irreversibly" in this context means that shareholders trust
directors until liquidation of a company.
株主が取締役に委任をするという様子を表現する言葉は、「包括的に」だけではなく「不可逆的に」となります。
この文脈における「不可逆的に」とは、株主は取締役を会社の清算時まで委任する、という意味です。