2015年12月7日(月)


2015年10月14日(水)日本経済新聞
不当廉売 訴えやすく 対輸入品、手続き・費用負担軽減 新興国の攻勢に対抗
(記事)



関連コメント


2015年12月5日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201512/20151205.html

2015年12月6日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201512/20151206.html

 


【コメント】
2015年12月5日(土) のコメントでは、国際的な特許の保護について書きました。
また、昨日2015年12月6日(日)のコメントでは、国際的な取引というのは法理的には定義されない、と書きました。
今日は、国際的な取引を所与のこととしてコメントを書きたいと思います。
2015年12月5日(土) に紹介した記事では、この議論では特許権者(自然人)からの視点が抜け落ちている、
国からの視点で議論が展開されており、これではあたかも国が特許権を持っているかのようだ、と書きました。
それで、今日紹介した記事では、

>政府は不当に安い輸入品の流入で日本企業が打撃を被ることへの防止策を打ち出す。

と書かれています。
防止策を打ち出すのは確かに政府ですが、主語(利益を守ろうとする主体)は「日本企業が」となっています。
この記事では、政府が日本企業を守ろうとしている、という姿勢がうかがえます。
不当廉売を訴えるのは、政府ではなく、日本企業であるわけです。
政府は公の立場から日本企業のサポートをしていく、という位置付けになっています。
この点は、2015年12月5日(土) に紹介した記事の立ち位置とは根本的に異なるな、と思いました。
政府ではなく日本企業が権利を守ろうとする主体であるという点はもちろんよいことなのですが、
この記事の中心議題(対抗措置の本質部分)はいわゆる「関税」であるわけです。
この「関税」についてなのですが、法理的な観点から見ますと、やはりおかしな点があると言えると思います。
それは、私人間の商取引について政府が口を出している、という点です。
端的に言えば、法理上は、買い手と売り手は全く任意に全く自由な価格で目的物を売買してよいわけです。
それなのに、関税がありますと、政府がその取引価格に注文を付けている、ということになってしまうわけです。
これは言わば、契約自由の原則が捻じ曲げられている、という言い方ができると思います。
マクロ経済学では、関税があると国の富が最大化されない、と考えます。
マクロ経済学の教科書を読みますと、需要と供給の線が書かれたグラフが載っていて、
関税が課せられると関税の分国の富が小さくなる、というふうな解説が載っているかと思います。
マクロ経済学上の結論は、国の富を最大化させたいなら関税があってはならない、となるわけです。
マクロ経済学では、全く自由な貿易が国の富を最大化させる、と考えるわけです。
もちろん個々の商取引では国の富のようなことは全く考えないわけですが、
マクロ経済学とはまた違った切り口から関税の問題点について見ていることになるわけですが、
関税があると、私人間の個々の取引価格が捻じ曲げられる、という法理上の問題が生じると言えるでしょう。
輸入と言っても、海外の輸出者と国内の輸入者との間の私人間の取引に過ぎません。
法理上は、私人間の取引の価格に政府が介入するというのは商取引の観点から言っておかしい、という結論になろうかと思います。

 



それから、記事についてもう一言だけ追記します。
この記事を読んでいますと、自分が考えていた(今まで理解していた)関税とは少し違うな、と感じる点がありました。
それは、関税の目的は「輸入品の流入を防ぐこと」だ、と書かれている点です。
記事には、「輸入品の流入を防ぐこと」について、

>例えば、新興国の鉄鋼メーカーが製品を自国での販売価格よりも安く日本で販売すれば、その差額分を関税として課税できる。

と書かれています。
私は今まで、海外の業者による国内での販売価格が自国での販売価格よりも高いか安いかは全く関係がない、と理解していました。
どちらかと言うと、海外の業者による国内での販売価格が国内の業者による販売価格よりも安い場合に、
その輸入品に関税を課する(国内での販売価格を同じ水準にする)、という考え方ではないだろうか、と思っているところです。
そうでなければ、国内の業者を守るという関税の目的が果たせないからです。
国内に「輸入品が大量に流入すること」自体は実は問題はない、と関税の理論では考えるのだとも思います。
高い関税を課してもなお国産品よりもその輸入品の方が魅力的だと消費者が判断するのであれば、
その時は国内の業者を守る必要はない(その場合は国内の業者の努力不足だ)、と考えるのだと思います。
関税の理論で見ているのは、「価格」だけなのだと思います。
他の言い方をすれば、「各国の物価水準の違い」のみを、関税の理論では見ているのだともいます。
物価水準の低い国の方が、当然低いコストで製品を生産できます。
ですので、物価水準そのものが異なるとなりますと、それはフェアな取引とは言えない、と考え、
その物価水準の違いを関税という一種の緩衝材で吸収しようとする政策が関税なのだと思います。
マクロ経済学や法理上は関税は間違っているのですが、国際政策論としては関税には合理性がある、と考えるのだと思います。
ですので、以上のようなことを考えますと、記事の内容の方が少し間違っているのではないかと思います。
ところで、関税というのは、物を輸入した時点で課税されるわけです。
輸入した商品を、輸入者が再販売する(事業者)のか、輸入者がそのまま使用・消費する(消費者)のかは問わないわけです。
この点について消費税と対比させて考えてみますと、関税というのは消費税とは異なる性質・特徴を持った税であると言えるでしょう。
物の販売が行われたということをもって課税されるという点では、関税と消費税とは類似点があると思います。
しかしながら、事業者である輸入者は例えば「仮払関税」、などという考え方は一切しないわけです。
関税は輸入者自身が支払ったもの、ということで関税の課税関係は完結しているわけです。
もちろん、輸入業者は自分が支払った関税分も含めて次の販売価格を決めるでしょうが、そこには仮払関税も仮受関税もないわけです。
その意味では、関税では消費税とは異なり、価値が連鎖していく、という考え方は一切しないわけです。
そういったことを考えますと、関税は実は酒税に近い性質・特徴のものなのかもしれません。
ただし、酒税は製造業者(売り手)が負担・納付するのに対し、関税は輸入者(買い手)が負担・納付する、という違いがあります。
売り手と買い手、どちらが税を負担・納付するのか、という点では、酒税と関税は正反対であると言えるでしょう。
また、これは教科書の記述内容とは異なります(私個人の解釈になります)が、
関税は輸入者が負担しかつ納付する、という点において、関税は酒税同様、間接税ではなく直接税である、という見方になると思います。


 



A tariff means the fact that the government raises a price of imported goods which a buyer pays.
This intervention means that a price of a transaction can't be determined between a buyer and a seller.
And, the countermeasure in this article means that other companies can compain about a price of a transaction
which is determined between a buyer and a seller.
This prevention looks as if the government and other companies are saying,
"You had better buy an object at a higher price!"
Concerning a transaction, a buyer and a seller are the interested parties.
The other companies are not the interested parties.
Nor the government either.

関税というのは、買い手が支払う輸入品の価格を政府が上げることなのです。
この介在が意味するところは、取引の価格を買い手と売り手との間で決めることができない、ということなのです。
そして、この記事に書かれてる対抗措置というのは、買い手と売り手との間で決まった取引の価格について、
他の会社が文句を言うことができる、という意味なのです。
この防止策というのは、あたかも政府と他の会社が「あなたは目的物をもっと高い価格で買うべきだ!」と言っているように見えます。
取引に関しては、買い手と売り手とが当事者です。
他の会社は当事者ではないのです。
政府もまた、当事者ではないのです。