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2015年10月15日(木)日本経済新聞
わたしの税金考
ホンダ会長 池史彦氏
課税逃れの議論は迷惑
(記事)
2015年10月16日(金)日本経済新聞
わたしの税金考
GE グローバル
租税政策ディレクター ウィリアム・モリス氏
知的財産、攻防の焦点に
(記事)
【コメント】
今までに何回か書いたことですが、法理上は国際間の取引というのは全く定義できないものです。
民法であれ会社法であれ税法であれ、法の適用を受ける当事者はどちらも同一の法律の適用を受けることが前提となっています。
「日本の会社法とアメリカの会社法」に基づいて商取引を行うことはできないのです。
商取引が日本の会社法に基づく場合は、当事者の両方が日本の会社に基づいて商取引を行うことになりますし、
商取引がアメリカの会社法に基づく場合は、当事者の両方がアメリカの会社に基づいて商取引を行うことになります。
当事者の一方は日本の会社法に基づいて取引を行い、当事者の他方はアメリカの会社法に基づいて取引を行う、
などということはできないのです。
この「取引に適用される法律」の論点は、会社法だけではなく、税法(法人税法、所得税法)にも完全に当てはまります。
日本国内にいる日本人がアメリカ国内にいるアメリカ人に寄付(海外送金)を行ったという場合、
実は法理上は日本の税法でもアメリカの税法でもこの取引(寄付)に説明は全く付けられないのです。
一見、寄付を行った方は税法上損金不算入、寄付を受けた方は税法上益金算入、というふうに説明が付けられそうですが、
それはどちらかと言うと、現実には国際間の取引が行われ得るので、現実への対応ということで、
法理上の考え方を準用してその取引を考えている(その取引を類似の取引と合理的にみなしている)、というだけなのです。
法理上は、当事者の両者が、すなわち寄付を行った方と寄付を受けた方の両者が、同じ法律の適用を受けねばなりません。
寄付であればどの国でも同じような定めとなっているので問題は少ないかもしれませんが、
例えば、A国では経営顧問料の支払いは損金だが、B国では経営顧問料の支払いは損金として認められない、としましょう。
そして、A国のXさんからB国のYさんへ経営顧問料を支払ったとします。
この時、この経営顧問料の支払・受領の課税関係はどうなるでしょうか。
税務当局からすると、「当事者間のその現金の受け渡しは何という取引に該当するか」が課税上問題になるわけです。
A国のXさんは「これは経営顧問料の支払いです。」と税務当局に主張するでしょう。
Xさんからすると、商取引上確かに経営顧問料として現金を支払ったわけです。
ところが、この取引を相手方の立場から見ると、商取引上は経営顧問料の受け取りだが税務上は経営顧問料の受け取りではない、
ということになるわけです。
なぜなら、B国においては経営顧問料という損金項目はないからです。
他の言い方をすれば、B国においては経営顧問料を口実にした現金の支払・受領は寄付だ、という見方になるからです。
一見、現金を受け取る方からすると、その取引が経営顧問料の受け取りであろうが寄付の受け取りであろうが、
税務上は同じ益金だから同じことではないかと思われるかもしれません。
確かに、益金額という観点だけから言えばどちらと捉えても全く同じです。
しかし、税務理論上は、「当事者間のその取引は何か」が一番重要であるわけです。
なぜなら、「当事者間のその取引は何か」が定義できないと、課税関係を明らかにできないからです。
簡単に言えば、「当事者間のその取引は何か」をはっきりさせないと、その時の費用が損金かどうか明確にできないからです
当事者の一方が「これは経営顧問料の支払いです。」と主張する場合は、
取引の相手方は「これは経営顧問料の受け取りです。」と主張できなければならないわけです。
しかし、この例の場合、B国においてYさんは「これは経営顧問料の受け取りです。」と主張できません。
なぜなら、B国においては税務上は経営顧問料などという損金項目はないからです。
B国においてYさんは「これは寄付の受け取りです。」と主張するしかないのです。
B国においてYさんが「これは寄付の受け取りです。」と主張するとなりますと、
取引の相手方であるA国のXさんは「これは寄付の支払いです。」と主張することしかできないのです。
しかし同時に、A国のXさんの立場からすると、その現金の支払いは商取引上は間違いなく経営顧問料の支払いであるわけです。
経営顧問料の支払いが税務上損金でないのはおかしい、と主張したくなるでしょう。
要するところ、適用される法律が異なりますと、取引について説明が付かないわけです。
「当事者間のその取引は何か」を明確にする(はっきりと定義する)ためには、
当事者間のその取引が同一の法律に基づいていなければならないわけです。
A国とB国とで同種の取引についての定めが類似している場合は、取引が国内で行われたものと見なして考えても、
課税関係上不合理ではないという場合は確かにあると思います。
実務上は、「国内の取引とみなす」という、みなしや準用して考えるということによって、現実への対応が図られていると思います。
しかし、理論上の話をすれば、実は取引に適用される法律が異なっている時点で、
「当事者間のその取引は何か」についての答えが絶対に出ないわけです。
適用される法律が2つある以上、理論上は取引について必然的に2つの答えが出てしまうわけです。
国際間の取引の場合、「当事者間のその取引は何か」を明確にする(はっきりと定義する)ことは絶対にできないのです。
これが、国際間の取引というのは理論上は行えない、ということの理由です。
さらに究極的なことを言うならば、人は他国では法律行為自体を行えない、というところまで話をさかのぼることができるでしょう。
人が法律行為を行えるのは、法理上は戸籍がある国においてのみです。
戸籍がある国以外で法律行為を行うことは法理上はできないのです。
当然、戸籍がある国以外で商行為・商取引を行うことも法理上はできません。
現在では、海外渡航自体は簡単ですし、インターネットがあったり、海外送金(カード決済等も含む)が簡単にできますから、
海外との商取引は行えるのではないか、と思ってしまうだけなのです。
実は、法理上は、海外と商取引を行うことは一切できないのです。
法理上は、人は、戸籍がある国においてのみ商取引を行うことができるのです。
当然、取引の相手方も戸籍がある国においてのみ商取引を行うことができるわけですから、
結局、同じ戸籍を持つ人同士でしか法理上は商取引を行えない、ということになります。
以上が、国際間の取引は法理上・理論上は行えない、ということの理由です。
A direct international transaction can't be made.
直接的に国際取引を行うことはできません。
One idea is that a person can pay cash anywhere, but a person can receive
cash only inside his home country.
1つの案としては、お金を支払うのはどこででもできるが、お金を受け取るのは本国内でしかできない、です。
Taxation presupposes that both of the parties are registered in the same country.
課税は、当事者の両方が同一の国に登記されていることを前提としています。
人その人のみが他国に入国できます。
しかし、お金は他国に入国できないのです。
手にお金を持って他国へ入国する場合は、入国すると同時に手に持っているお金に所得税が課せられることになります。
というのは、その国の税務当局の立場からすると、入国者が持っているお金には説明が付けられないからです。
人がお金を持っている理由というのは、自分でお金を稼いだか、その国で寄付を受けたか、公的扶助を受けたか、
お金を相続したか、のいずれかになります。
公的扶助を除いたあらゆるお金というのは、その国において税引き後であるべきなのです。
簡単に言えば、その国の税務当局の立場から言えば、その国にいるある人が突然お金を持っているということには説明が付かない、
ということになるわけです。
確かに、その人は自国において所得税を既に支払っていますが、その国においてはまだ所得税を支払っていないのです。
この奇妙な二重課税の究極的な原因は、お金がある国から別の国へと海を渡っていることなのです。
結論を言えば、法理的には、お金は国境を越えることはできないのです。
まあ、海外旅行に関して言えば、それぞれの国の税務当局は、海外からの旅行者は渡航先では所得税は課せられない、
という課税に同意をしています。
私は、上記の議論を、日本国籍を有している人がアメリカ国籍を取得する場合を念頭において書きました。
簡単に言えば、日本国籍を有している人がアメリカ国籍を取得しアメリカに入国するという場合、
アメリカに入国すると同時に、その人が日本からアメリカへ振り替えた(海外送金した)お金には所得税が課せられることになります。
法理上は、日本国籍を有する人はアメリカ国籍を有する”同じ人”とは異なる人なのです。
たとえ自然人としては同じ人であるとしても、法律上は同じ人ではないのです。
例えば、日本国籍を有するある人の名前が山田太郎であり、アメリカ国籍を有する同じ人の名前はジョン・マックレーンだとします。
簡単に言えば、以前の名前は山田太郎であり、新しい名前はジョン・マックレーンだとします。
この場合、確かに山田太郎さんは日本で自分の所得税を既に正しく支払っていますが、
ジョン・マックレーンさんはアメリカで自分の所得税をまだ支払ってはいないのです。
まあ、ひょっとしたら、海外旅行の場合と同様に帰化の場合も、それぞれの国の税務当局は、
帰化した人は帰化した国ではそれ以上所得税は課せられない、という課税に同意をしているかもしれませんが。