2014年2月2日(月)


2014年2月2日(月)日本経済新聞 公告
公開買付開始公告についてのお知らせ
株式会社太陽ホールディングス
公開買付開始公告についてのお知らせ
白銅株式会社
(記事)



 

2015年1月30日
株式会社太陽ホールディングス
自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ
ttp://www.taiyo-hd.co.jp/
attachments.cgi?dir=%2F%E7%B7%8F%E5%8B%99%E5%AE%A4;view=20150130_%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%A0%AA%E5%BC%8F_36004%2Epdf

 


2015年1月30日
白銅株式会社
自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ
ttp://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1209624

 


【コメント】
公開買付価格の決定に関してなのですが、両社からのプレスリリースをまとめてみます。


白銅株式会社の場合は、

本公開買付価格は本公開買付けの実施を決定した取締役会決議日の前営業日(平成27 年1月29 日)までの
過去1ヶ月間の東京証券取引所市場第一部における当社普通株式の終値の単純平均値に対して8.34%のディスカウントを行った価格

と書かれています(4/8ページ)。
大まかに言えば、「過去1ヶ月間の市場株価の平均値」を公開買付価格の基準としているわけです。
プレスリリースの下の方には、「過去3ヶ月間の市場株価の平均値」も1つの参考値とした、と書かれています。
ただ、公開買付価格決定の基本となる価格というのは、あくまで「過去1ヶ月間の市場株価の平均値」であるわけです。


株式会社太陽ホールディングスの場合は、

本公開買付けの取締役会決議日の前営業日(平成27年1月29日)までの過去3ヶ月間の東京証券取引所市場第一部における
当社普通株式の終値の単純平均値に対して、10%のディスカウントをした価格を買付価格とした

と書かれています(4/8ページ)。
大まかに言えば、「過去3ヶ月間の市場株価の平均値」を公開買付価格の基準としているわけです。
白銅株式会社とは異なり、公開買付価格決定の基本となる価格というのは、あくまで「過去3ヶ月間の市場株価の平均値」であるわけです。

 



そして、株式公開買付実施の発表と同時に、両社は決算短信を発表しているわけです↓。

 

2015年1月30日
白銅株式会社
平成27年3月期 第3四半期決算短信〔日本基準〕(連結)
ttp://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1209621

 

2015年1月30日
白銅株式会社
平成27年3月期 第2四半期決算短信〔日本基準〕(連結)の一部訂正について
ttp://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1209622

 

2015年1月30日
株式会社太陽ホールディングス
平成27年3月期 第3四半期決算短信
ttp://www.taiyo-hd.co.jp/
attachments.cgi?dir=%2F%E7%B7%8F%E5%8B%99%E5%AE%A4;view=20150130_69%E6%9C%9F3Q%E7%9F%AD%E4%BF%A1_87052%2Epdf

 



株式公開買付実施の発表と決算短信の発表が同時・同日であるわけですが、このことから何が言いたいのかと言うと、
決算短信の発表やその他の適時開示は、結果公開買付価格に影響を与えるものだ、ということです。
こう書くと当たり前ではないかと思われるかもしれません。
むしろ、だからこそ、決算短信の発表と同時・同日に株式公開買付実施を発表したのではないか、
と思われるかもしれません。
ところが、株式の公正な価額とは何か、という点について深く考えますと、
決算短信の発表により市場株価が変動すること自体がおかしいのではないか、という点にまで遡るような気がするわけです。
つまり、「決算短信の発表」というだけで、株式の公正な価額そのものが変化するのか、という点について考えているわけです。
他の言い方をすれば、会社が決算短信を発表したり適時開示を行っただけでは、
株式そのものの本質的価値・根源的価値は何も変わらないのではないか、と思っているわけです。
要するに、株式そのものの本質的価値・根源的価値は何も変わっていないのに、
市場株価だけが会社からの発表や開示を受けて変わっているだけなのではないか、というふうに思うわけです。
株式を簿価で売買するという場合ですと、確かに決算の発表(計算書類の確定)を受けて、株式の価値そのものが変わります。
株主資本の確定を受けて、株式の価額は新しい価額になるわけです。
しかしそれは、株式そのものの本質的価値・根源的価値が現に変わったから株式の価額は新しい価額になっただけであるわけです。
簡単に言えば、新しい決算を行ったので株式の簿価が変わった、というだけであるわけです。
株主は決算日後は、新しい簿価で株式を売買すればよいというだけであるわけです。
ところが、市場株価で株式を売買する場合は、決算短信の発表とは無関係に株式の価格が変わるわけです。
もちろん、決算短信の発表によっても市場株価は変化するでしょう。
しかし、市場株価は決算短信の発表日以外でも変化するのです。
決算短信の発表日の市場株価の変化が、どれだけ「決算短信の発表」に基づいているものかは全く不明であるわけです。
決算短信の発表日、市場株価は決算の内容とは全く無関係に変化しているかもしれないわけです。
つまり、同じ決算の発表でも、株式を簿価で売買する場合と株式を市場株価で売買する場合とでは、根底からその意味が異なるわけです。
そういったことを考えますと、例えば株式公開買付を実施することを発表するとしたら、一体いつであるべきなのだろうか、
と思うわけです。

 


このたびの両社の株式公開買付は、自己株式の公開買付ということで、あまり戦略的意味合いはないわけですが、
経営戦略上他社の株式を取得するという場面ですと、戦略上の理由から株式公開付けを実施する期間というのが一意に決まってくるわけです。
株式公開付けを実施するのはいつでもいい、などというM&Aはないでしょう。
その意味では、株式公開付けを実施する期間というのは、決まり次第適時開示するべきというだけだとは思います。
ただ、決算短信の発表となりますと、市場株価は思惑も織り込みますから、発表前からその市場株価への影響も一定以上に大きいわけです。
ですので、様々な要素要因を全て織り込んでしまった(一時的要因の影響は緩和済みの)市場株価を株式の公正な価格としたいならば、
決算短信の発表とは一番離れた日に、株式公開買付実施の発表を行うべき、という考え方になる気がします。
さらには、上場企業は、「業績予想」や「業績予想の修正」も適時開示するわけです。
その「業績予想」や「業績予想の修正」の全てが、決算短信発表の前に市場株価に織り込まれていくわけです。
そうしますと、「業績予想」や「業績予想の修正」の発表日からも一番離れた日に、株式公開買付実施の発表を行うべき、
という考え方になる気がします。
極端なことを言いますと、何によって市場株価が変動しているのかは不明、という言い方ができるのだと思います。
市場株価の変動要因は、「業績予想」かもしれませんし「業績予想の修正」かもしれませんし「決算短信」かもしれません。
もしくは、ある1人の投資家の勝手な将来予測かもしれません。
もしくは、「もう株式投資はいいや」と考えたある1人の投資家が、経営環境や会社の業績とは全く無関係に、
株式市場で保有株式を売りさばいているだけかもしれません。
その投資家は株価が比較的低い時に株式を買ったので、自分が株式を売却することによって少々株価が下がろうとも売却益は出るので、
最後まで全部売りさばくことを考えます。
その場合でも、株価は下がるわけです。
決算短信の内容がどんなに良かろうが、決算の内容がアナリスト予想や市場予想をどんなに上回っていようが、
たった1人の投資家によって市場株価は下がるのです。
決算期末日や決算短信の発表日は予め決まっていることを考えれば(市場は予想を市場株価に織り込んでしまいますので)、
株式公開買付実施の発表を行うのは、決算短信の発表後十分に時間が経ってから、という言い方になると思います。
そして、当決算期末日まで十分に時間がある時点で、というような言い方になると思います。
さらには、他の適時開示も発表していれば、その影響も十分に織り込んだ後で、という言い方になると思います。
ファイナンス理論上は、株式市場は市場にある会社に関する要素要因は瞬時に市場株価に織り込む、という考え方をしますが、
実際には市場株価というのは、毎日どころか毎時毎分現に変化し続けているわけです。
会社から発表された決算短信や適時開示はいつ市場株価に織り込み終わったのかと言われても全く分かりません。
また、個々の投資家のその時の予想やその時の思惑やその時の投資方針によっても市場株価は変化することを考えれば、
そもそも市場株価に全ての株価変動要因が織り込まれている状態というのは理論上存在し得ない、と言っていいのだと思います。
そういったことを踏まえますと、株式公開買付実施の発表はいつ行っても絶対的な違いというのは実はないと言っていいのかもしれませんが、
相対的な可能性や変動幅の問題になりますが、決算短信や適時開示の発表から十分時間が経ってからであるべきだ、が1つの答えだと思います。

 


このたびの両社の株式公開買付実施の発表は、決算短信の発表と同じ日でした。
では、株式公開買付実施の発表が決算短信の発表の前の日であったとしたらどうでしょうか。
もしくは逆に、株式公開買付実施の発表が決算短信の発表の次の日であったとしたらどうでしょうか。
つまり、公開買付価格は、決算短信の発表と同じ日であるか前の日であるか次の日であるかによって影響を受けるべきでしょうか。
たった2日しか違わないのに、決算短信の発表と同じ日であるか前の日であるか次の日であるかによって、
公開買付価格は異なっているべきでしょうか。
決算短信の発表によって、市場株価が一定以上変化し得るのは確かでしょう。
しかし同時に、株式公開買付実施の発表日は2日しか違わないのも確かです。
たった2日で株式の公正な価格が変わるのでしょうか。
株式公開買付実施の発表が決算短信の発表と同じ日ならこの買付価格になるが、
株式公開買付実施の発表が決算短信の発表の次の日ならまた別の買付価格になる、というのは何かおかしくないでしょうか。
と同時に、買付価格は紛れもなく市場株価(直近の株価変動)を基準にしているわけです。
どちらに考えても何かおかしいわけです。
おかしいと感じる原因は、株式公開買付自体(株式取得制度)にあるのか、市場株価が毎時毎分変動することにあるのか、
それともその両方にあるのかは分かりません。
ただ、毎時毎分変動するものを公正な価額と呼ぶのは難しい部分があるのは確かであるようにも思えます。

 



また、白銅株式会社の場合は「過去1ヶ月間の市場株価の平均値」を公開買付価格の基準としており、
株式会社太陽ホールディングスは「過去3ヶ月間の市場株価の平均値」を公開買付価格の基準としています。
しかし、市場株価に平均値という考え方はそもそもあるのだろうか、という気がします。
株式市場で成立した株式の売買1つ1つが公正な取引であるわけです。
そして、その平均値で成立した売買など、1株もないわけです。
一時的な要因の影響を緩和させる目的もあるのかもしれませんが、ではその一時的な売買は公正な売買ではなかった、とでも言うのでしょうか。
その売買も、株式市場において公正に成立した売買ではなかったのでしょうか。
決算短信の発表により発表日に株価が変動したが、それは公正な変動ではない、とでも言うのでしょうか。
今日は2月2日ですが、例えば「午後2時2分において公正な株価」とはまさに「午後2時2分時点の株価」を意味するわけです。
「午後2時2分において公正な株価」は、「午後1時2分時点の株価」でもなければ「午前11時2分時点の株価」でもなければ
「昨日の終値」でもなければ「昨日の午後2時2分時点の株価」でもないわけです。
「午後2時2分において公正な株価」を知るのに、過去1ヶ月間の平均株価を算出したりするでしょうか。
休日や平日15時以降の場合は、その後株式の取引は行われていませんので、
「現時点での公正な株価は本日の終値(もしくは休日の場合は前日終値)です。」という考え方をするだけなのです。
何が言いたいかと言うと、夕方以降(株式市場での取引終了後)、株式公開買付実施の発表を行う場合は、
発表当日の終値を基準に買付価格を決定するべきだ(発表当日の終値がその株式の一番公正な価格だ)、
という考え方をしなければならない、ということです。
終値だけに意味があります。
平均値には意味がないのです。
一時的な要因の影響を緩和するために一定期間の株価変動を考慮しなければならないなどと言い出しますと、
では、上場間もない企業の市場株価は全く公正ではないということになるのか、という話になるわけです。
例えば上場して2週間の企業があるとします。
この企業の市場株価について「過去1ヶ月間の市場株価の平均値」を算出しようと思っても当然できないわけです。
では、株式市場で成立したその企業の市場株価の1つ1つは公正ではないのかと言えば、そんなことはないでしょう。
初値も公正な市場株価であり、その後の市場株価も公正な市場株価であり、上場日の終値も公正な株価であり、
そして2週間経った今日の終値も公正な市場株価であるわけです。
「過去1ヶ月間の市場株価の平均値」を算出しなければ公正な価格とは言えない、というのは全く的外れな考え方なのです。
一時的な要因が云々と言うのなら、株式市場で成立した株式の売買は1つ1つが全て独立していますから、
株式市場で成立した株式の売買の全てが一時的な要因の結果だと言わねばならないでしょう。
市場株価の変動に、一時的も経常的もないわけです。
市場株価とは、まさに「今現在の株価」のことです。
平均値ではありません。

 



参考までに、2015年1月30日発表の「自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ」から、
株式会社太陽ホールディングスが市場株価の変動をどのように考慮しているかについての記述をキャプチャーし、
重要な部分を引用したいと思います。


1. 買付け等の目的
(2/8ページ)



買付価格の決定に際しては、

>基礎となる当社普通株式の適正な価格として市場価格を参考にすべきであると考えました。

>当社普通株式の適正な価格として参考にする市場価格については、
>市場価格が経済状況その他様々な条件により日々変動しうるものであることから、
>一定期間の株価変動を考慮することが望ましいと考えました。

その一定期間の採用に当たっては、

>「業績予想の修正に関するお知らせ」の発表以降当社の株価が上昇していることも市場価格変動要因の一つと捉えて、
>より慎重に検討することといたしました。

とのことです。
2015年1月30日に白銅株式会社が発表した「自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ」にも、
ほとんど同じような文言が記載されています。
この点に関する結論を一言で書けば、「一定期間の株価変動を考慮する必要は全くない。」となります。

 

The fair price of a listed stock at the moment is a market price at the very moment, not the average of something.

上場株式の場合、今現在の公正な価格とはまさに今現在の株価のことです。何かの平均値ではありません。

 


また、「過去の市場株価の変動をどのように考慮するべきか」という論点とは異なる論点になりますが、
キャプチャーした部分にはおかしなことが書かれていますので引用します。


>本公開買付けに応募せず当社普通株式を保有し続ける株主の皆様の利益を尊重する観点から
>資産の社外流出を抑えるべく、市場価格より一定のディスカウントを行った価格で買い付けることが望ましいと判断いたしました。


2015年1月30日に白銅株式会社が発表した「自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ」にも、
全く同じ文言が記載されています。
2014年2月1日(日)と2015年1月30日(金)に、株式公開買付における公開買付者と対象者との関係について書きました。


2015年1月30日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201501/20150130.html


2014年2月1日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201502/20150201.html


この時のコメントで、法理的には対象者は実施される公開買付に関して一切意見表明を行ってはならない、と書きました。
株式公開買付における取引は、「公開買付者」と「対象者の株主」との間の取引です。
「対象者の株主」の応募に関する判断に影響を与えることがないよう、
「対象者」は実施される公開買付に関して一切意見表明を行ってはならないわけです。

 



それで、引用したプレスリリースの文言についてですが、株式公開買付の本来の考え方からするとこれは完全に的外れであるわけです。
「公開買付者」は、自身が実施する公開買付けに応募せず対象株式を保有し続ける株主の利益を考慮・尊重する必要など全くありません。
なぜなら、株主は、応募することが自分の利益になると判断したら応募するでしょうし、
応募しないことが自分の利益になると判断したら応募しない、というだけだからです。
「公開買付者」が応募する株主の利益のことを考慮するなど、株式公開買付という取引を法理的に考えれば根底からおかしな話なのです。
公開買付に株主が応募しないようであれば、株主が応募するよう、「公開買付者」は買付価格を上げるだけのことではないでしょうか。
また、応募株式の決済は対象者の資産には全く影響を与えません(「公開買付者」が現金を支出して株式を取得するというだけです)。
買付価格の大小は対象者とは何ら関係がないのです。
さらに、買付価格は市場価格よりディスカウントを行った価格の方が株主の利益になる、などという矛盾した話は、
この株式公開買付は全株主に平等な株式公開買付とは言えない、ということを暗に意味していると思います。
買付価格は高ければ高いほど株主に有利であり、買付価格は低ければ低いほど株主に不利だ、
ただそれだけのことではないでしょうか。
白銅株式会社が行う株式公開買付も株式会社太陽ホールディングスが行う株式公開買付も、
煎じ詰めれば創業者から低い価格で自己株式を取得することが目的(創業者のみが応募することがこのたびの株式公開買付の前提)であり、
この場合は創業者が「自分が保有している株式の会社による買い取り価格は低い価格で全く構わない」と言っているのだと思います。
ですので、創業者の立場や会社の立場、そして、創業者以外の株主の立場からすると、
買付価格は低い方が皆(会社にとっても全株主にとっても)の利益になる、というようなことになっているのは分かります。
ただ、本来は、買付価格は低い方が株主の利益になる、などということは絶対にあり得ないわけです。
本来は株主が買い取り価格は低い価格でもよいということはあり得ませんから、
法理的には、そもそもこの株式公開買付は全株主に平等な株式公開買付ではないのだ、という言い方ができると思います。
両社の事情はもちろん分かりますが、株式公開買付制度の法理から考えれば、この利害関係には矛盾が生じていると言っていいと思います。
「公開買付者」と「対象者」とが同一人物であるという特殊な株式公開買付(自己株式の公開買付)だからこそ、
そして、創業者という低い価格での買い付けが心情的に自身にメリットになる応募予定者が予めいるからこそ、
このような矛盾が生じ得たのだろう、と思います。

 


そしてこの矛盾は、煎じ詰めれば、会社が自己株式を取得することの問題点にも通じる話なのだろうと思います。
自己株式の取得に応じる株主は会社に高い価格で買ってもらいたい一方、
他の株主は会社に低い価格で自己株式の取得を行ってもらいたいわけです。
これは、自己株式の取得自体が、そもそも全株主にとって平等とは言えない、ということを端的に表しているわけです。
本来は、ある株主とある株主との間で株式の譲渡を行っても、他の株主には中立である(他の株主には何ら影響を与えない)わけですが、
会社が自己株式を取得するとなりますと、会社財産が減少するわけですから、結果他の株主に影響を与えることになってしまうわけです。
端的に言えば、本来は株式の譲渡は株主に影響を与えないはずなのに、会社にそして結果他の株主にも影響を与えることになる、
これが、株式会社の概念や基本原理から見た、会社が自己株式を取得することの問題点なのだと思います。

 


A right to make a decision lies in a shareholder, not the others. That's all.

株主が全てを決める。それだけだ。
(直訳「意思決定を行う権利は株主にあります。それ以外の者にはありません。それだけです。」)

 

As even the most basic business administration textbook says,
all the shareholders should be perfectly equal
not only in terms of interests but also in terms of legal status.
It means that it is true that a shareholder loses his legal status when he sells his shares,
but a share itself as a nameplate which repesents legal status never becomes extinct.
In other words, legal status as a shareholder is transferred
but the total number of legal status as a shareholder doesn't change.

最も基本的な経営管理学の教科書にも書いてあることかと思いますが、
全ての株主は、利益・権利という観点からだけではなく法的地位という観点からも、完全に平等でなければなりません。
つまり、株主は株式を売却した時には確かにその法的地位を失うわけですが、
法的地位を表象する名札としての株式そのものは決して消滅することはない、ということです。
他の言い方をすれば、株主としての法的地位は譲渡されるが株主としての法的地位の総数は変わらない、ということです。