2014年6月15日(日)


今日は、昨日2014年6月14日(土) のコメントについて追加をします。


2014年6月14日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201406/20140614.html


私は昨日、非上場企業は新株式を発行する際、理論上は「株主割当て」の方法によるしかない、と書きました。
この点に関連する話ですが、上場企業ではライツ・オファリング(株主への新株予約権の無償割当て)が実施されることがあります。
ライツ・オファリング(株主への新株予約権の無償割当て)については、2014年6月13日(金) にコメントしました。


2014年6月13日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201406/20140613.html

 

私が昨日書きました内容を踏まえれば、ライツ・オファリング(株主への新株予約権の無償割当て)は理論上は認められない、
となろうかと思います。
なぜなら、既存株主を含む市場の全投資家の中で、既存株主のみに特段に優先的に株式を引き受ける権利を付与しているからです。
株式の上場制度では、株式市場内の全ての投資家(既存株主も含む)に平等な投資機会が提供されねばならないはずです。


仮に、既存株主のみに優先的に株式を引き受ける権利を付与することを認めるとします。
その場合、理屈では、上場企業においても株主割当てにより新株式発行を実施すればよい、となろうかとは思います。
しかし、株主割当てにより新株式発行を実施する場合は、「株主は新株式を必ず引き受けねばならない」わけです。
他の誰かに代わりに新株式を引き受けてもらうことはできません。
上場企業の株主には、趣味や好奇心から軽い気持ちで株式投資をしているだけの個人投資家も大勢いるわけです。
株主割当てでは、そういった個人投資家も含めた全株主に新株式を必ず引き受けてもらわねばならないわけです。
もうこれ以上同じ株式を買いたくはないと思う個人投資家も大勢いることでしょう。
そうしますと、現実的には、新株式を発行するとなりますと、株主割当てではなくライツ・オファリングによらざるを得ない
ということになると思います。

 



株主割当ての場合は、「『全株主が』発行される『全株式を』平等に引き受ける」で1セットの新株式発行です。
他の既存株主が代わりに引き受けたり他の新しい投資家が代わりに引き受けるということは法理上全く想定しないわけです。
資本の払い込みをしなかった株主には新株式を発行しなければよい(割当てなければよい)、という考え方自体がないわけです。
もちろん、株主に十分な手許現金がないという場合ですと、現実的に新株式を引き受けたくても引き受けられないという事態になります。
しかし、商法理上は、一部の株主が株式を引き受けないことは全く前提としていないと思います。
十分な手許現金がなく現実的に新株式を引き受けたくても引き受けられない株主が一部いる場合はどうなるのかと言えば、
株主割当てによる新株式発行自体が一切行えない(1株も新株式を発行できない)、ということになると思います。
引き受けたくても引き受けられない株主のことは、商法制の対象外の議論ということになると思います。
非上場企業において、法理上新株式の発行は株主割当てによるしかないのなら、
引き受けたくても引き受けられない株主がいる場合は、その非上場企業は増資(新株式の発行)自体ができない、ということになります。
資本の払い込みのあった一部の株式だけを発行する、という考え方は株主割当てにはない、ということになると思います。
それは例えば、他の株主には十分な手許現金がないのを見越して、資本力のある大株主が株主割当てにより大量の株式を発行することを
株主総会で決議する場面を想定すれば、その理由が分かるでしょう。
他の株主には十分な手許現金がないことに付け込めば、その株主割当ては結局限りなく第三者割当てに近くなるでしょう。
商法制度としては、理論上は、株主平等の原則に照らして、そのような新株式の発行自体を認めない、と定めるざるを得ないでしょう。
現実的には、上場企業では株主割当てによる新株式の発行は不可能ということになろうかと思います。

 



以上の議論を踏まえ、上場企業では、既存株主保護と投資家保護の折衷案と言いますか窮余の策と言いますか、
株主割当てにできるだけ近い形の新株式の発行ということで、
ライツ・オファリング(株主への新株予約権の無償割当て)が時々実施されているわけです。
それはよく言えば折衷案かもしれません。
しかし、悪く言えば、引き受けたくても引き受けられない株主のことを考えればやはり株主の利益保護は十分であるとは言えず、
また、既存株主に優先的に新株式を引き受ける権利を付与している点を考えればやはり投資家保護も十分であるとは言えないでしょう。
さらに、ライツ・オファリング(株主への新株予約権の無償割当て)ではなく公募による新株式発行を行うことを考えても、
ほとんど同じような理由になりますが、既存株主の議決権割合は必然的に薄まってしまうでしょう。
既存株主の議決権割合が薄まってよいのは、その既存株主の意思に基づく場合のみ、すなわち、
その既存株主が他の投資家に株式を譲渡する場合のみ、と理論上は考えねばなりません。
そのためには、一旦株主割当てという手段によらざるを得ないのです。
株主割当てと公募は相矛盾する、と言わねばならないと思います。

商法理論はどちらかというと純粋に理論一本で株式会社を構築していると思います。
悪く言えば、商法理論は実務のことは相対的に考慮はしていない(使い勝手が悪かったり機能しづらい面があることは議論の対象としていない)、
という側面があると思います。
それに対し、証券取引規制の枠組みは現実的にはどのような定めでなければならないかを非常に考慮していると思います。
証券取引規制には理論の部分もありますが、実務や実際や現実のことを踏まえて制度構築がなされていると思います。
商法理論は理論としては完成している、一方、証券取引規制は現実への対応に重きを置いている、
という相対的な違いがあるように私には見えます。
会社法のみで会社運営が可能な非上場企業は、ある意味概念的・イメージ的に”閉じている”と表現できると思います。
それに比べ、上場企業は、新たに証券取引規制(金融商品取引法等)に服する形になりますので、
何と言いますか法令上も概念上も”閉じていない”と表現できると思います。
上手く言えませんが、上場企業は必然的に適用される法令の幅が一気に広がってしまう、と表現すればよいでしょうか。
株式や株主や証券取引ということを考えた時、非上場企業が上場企業に変わる際には、
一定の様々な矛盾は必然的に生じてしまうものなのだろうな、と改めて思いました。