2019年2月20日(水)


2019年2月19日(火)日本経済新聞
米ベンチャー投資額、最高 昨年58%増、ITバブル期超え 大型案件が急増 過熱感に警戒も
(記事)

 



2018年12月18日(火)のコメントで、ソフトバンク株式会社の上場に関する記事を計26本紹介し、
「有価証券の上場には4つのパターンがある。」という資料を作成し、以降、集中的に証券制度について考察を行っているのだが、
2018年12月18日(火)から昨日までの各コメントの要約付きのリンクをまとめたページ(昨日現在、合計64日間のコメント)。↓

各コメントの要約付きの過去のリンク(2018年12月18日(火)〜)
http://citizen.nobody.jp/html/201902/PastLinksWithASummaryOfEachComment.html


 

 



【コメント】
2019年2月18日(月)のコメントで、証券取引所に関する記事を計3本紹介しました。
まず、東京証券取引所は1部、2部と分かれている市場の区分けを見直すことが計画されているとのことです。
また、総合取引所の構想についてですが、東京商品取引所が日本取引所の傘下に入る
(日本取引所が東京商品取引所を完全子会社化する)、という方向で話が進んでいるようです。
今日は、米国でベンチャーキャピタル(VC)による未上場企業への投資が急増している、という記事を紹介しています。
私はこの記事を読んで、「創業者利潤」という言葉が頭に浮かびました。
会社の上場時に会社の創業者が「創業者利潤」を得る、ということにはどのように説明が付けられるだろうかと思いました。
現実には、会社の創業者と市場の投資家との間には極めて大きな情報の非対称性があります。
その意味では、会社の上場時に会社の創業者から市場の投資家へ株式が売却される際には、
大なり小なりの情報の非対称性がある中で株式の取引が行われることは現実には避けられない、ということになります。
しかし、この点について理詰めで考えていましたら、やはり創業者は情報の非対称性を利用して「創業者利潤」を得ている
ということとは異なる、という見方になると私は思いました。
純粋な理論上は、創業者が「創業者利潤」を得られる理由は、情報の非対称性ではなく、
株式の価値そのものが増加したからなのです。
このことに気が付いた理由は、現実のことは度外視した理論上の前提になりますが、
市場の投資家は発行者による「ディスクロージャー」によって株式の本源的価値を算定できるという前提が理論上はあるからです。
創業者が会社を設立した時は暗中模索であったわけです。
しかし、投資家が株式市場で株式の取引を行う時は、逆に株式の価値は既に明らかになっているわけです。
市場の投資家はその価値が既に明らかになっている株式を株式市場で取引するだけなのです。
したがって、純粋な理論上は、市場の投資家は株式投資によって利益を得ることはできないのです。
純粋な理論上は、株式の本源的価値の算定という点では、
会社の創業者と市場の投資家との間の情報の非対称性は「ディスクロージャー」によって既に解消されている、
と考えるわけです。
会社の創業者は株式の上場によって「創業者利潤」を得ることができますが、
市場の投資家は株式への投資によって投資利益を得ることはできないのです。
その違いというのは、情報の非対称性にあるのでは決してなく、リスクを取ったか否かにあるのです。
純粋な理論上は、株式市場は投資家が投資利益を得る場では決してないのです。
純粋な理論上は、株式市場は(その意義や目的や実現可能性等はともかく)純粋に投資家が株式を売買する場でしかないのです。
今日は以下のような資料を作成しましたので、理解のヒントにして下さい。
今日は、「純粋な理論上は、発行者は実はいわゆる『継続開示』を行う必要は全くない。」ということにも気が付きました。


"Every five consecutive business years tells an investor the intrinsic value of a share."
(連続するどの5ヶ年間を見ても投資家は株式の本源的価値が分かります。)

「PDFファイル」

「キャプチャー画像1」

「キャプチャー画像2」

 

 


In pure theory, an issuer doesn't have to make what you call "continual disclosure," actually.
In pure theory, an issuer has to disclose its financial results of the past 5 years only at the point of its listing.

純粋な理論上は、発行者は実はいわゆる「継続開示」を行う必要はないのです。
純粋な理論上は、上場時にのみ過去5ヵ年間の業績を開示すさえすればよいのです。

 

In pure theory, in terms of a calculation of the intrinsic value of a share,
one "five consecutive business years" is quite the same as another "five consecutive business years."

純粋な理論上は、株式の本源的価値の算定という点では、
ある「連続する5ヶ年間」は他のどの「連続する5ヶ年間」とも全く同じなのです。

 

Any "five consecutive business years" will do as long as it is true.

真正でありさえすれば、どの「連続する5ヶ年間」でも構わないのです。

 

What you call "a founder's profit" is not a result of taking advantage of asymmetry on information
but a result of an increase of the value of the share.

いわゆる「創業者利潤」は、情報の非対称性を利用した結果ではなく、株式の価値が増加した結果なのです。

 


In pure theory, there doesn't exist asymmetry on information between a founder and an investor
at least concerning a calculation of the intrinsic value of a share.
In pure theory, the reason why a founder can gain what you call "a founder's profit" at the listing of the issuer lies
not in asymmetry on information between a founder and an investor
but in the fact that the value itself of the share has actually increased as at the listing in comparison with as at the foundation.
In pure theory, a founder doesn't take advantage of asymmetry on information between an investor and him at all.
In pure theory, a founder has merely acquired a share of an issuer when the value of the share was uknown yet.
In pure theory, what you call "a founder's profit"
doesn't derive from  asymmetry on information between a founder and an investor at all
but it is purely a return on the fact that he took a risk.
In pure theory, investors in the market can't take any risks at all.
For they have good grounds for calculating the intrinsic value of a share.
In pure theory, a share is traded in the market between investors
under the situation that the intrinsic value of the share has already been fully revealed through the "disclosure."
That is to say, in pure theory,
investors in the market can't gain any returns on their investment in listed shares at all, actually.
In pure theory, a listed share can be said to be very similar to a corporate bond as securities, actually.
In pure theory, just as the value of a corporate bond is clear from the beginnig,
the value of a listed share is clear from the beginnig.
In pure theory, concerning a listed share, investors in the market merely trade securities
whose value has been obvious to them since the listing, actually.
In pure theory, that's why investors in the market can't gain any returns on their investment in listed shares at all.

純粋な理論上は、少なくとも株式の本源的価値の算定に関しては創業者と投資家との間に情報の非対称性は存在しないのです。
純粋な理論上は、発行者が上場する際に創業者がいわゆる「創業者利潤」を得ることができる理由は、
創業者と投資家との間に情報の非対称性があるからではなく、
会社設立時点と比較すると上場の時点では株式の価値そのものが実際に増加しているからなのです。
純粋な理論上は、創業者は投資家と自分との間の情報の非対称性を利用しているわけでは決してないのです。
純粋な理論上は、創業者は株式の価値がまだ未知数であった時に発行者の株式を取得したというだけなのです。
純粋な理論上は、いわゆる「創業者利潤」は、創業者と投資家との間の情報の非対称性に由来するものでは決してなく、
純粋に創業者がリスクを取ったことのリターンなのです。
純粋な理論上は、市場の投資家はリスクを取るということが全くないのです。
なぜならば、市場の投資家には株式の本源的価値を算定する十分な根拠があるからです。
純粋な理論上は、株式の本源的価値は「ディスクロージャー」によって既に十分に明らかになっているという状態の下で
投資家は株式を市場で取引するのです。
すなわち、純粋な理論上は、実は市場の投資家は上場株式への投資では投資利益を一切得られないのです。
純粋な理論上は、上場株式というのは実は有価証券としては社債に非常によく似ていると言えるのです。
純粋な理論上は、社債の価値は始めから明らかであるように、上場株式の価値も始めから明らかなのです。
純粋な理論上は、上場株式に関して言えば、
市場の投資家は、実は、上場の時からその価値が明らかになっている有価証券を取引しているに過ぎないのです。
そういうわけで、純粋な理論上は市場の投資家は上場株式への投資では投資利益を一切得られないのです。