2018年11月13日(火)



2018年11月13日(火)日本経済新聞
債権移管「1月には終了」 親和銀頭取、統合巡り
ふくおかFG 純利益2%減 4〜9月
(記事)



2018年11月1日(木)日本経済新聞
長崎地銀統合巡り 債権の引き受け 鹿児島銀が完了
(記事)



2018年11月1日(木)日本経済新聞
地域経済活性化へ連携 金融庁、財務局に職員派遣
(記事)



2018年10月31日(水)日本経済新聞
地銀再編
十八銀と親和銀、合併半年延期 システム統合 万全期す ふくおかFG 再編劇2年8ヵ月が決着
ふくおかFG吉戒氏「店舗統廃合でシナジー」
十八銀福富氏「地元長崎から心配、ほっと」
(記事)



2018年10月31日(水)日本経済新聞
ふくおかFGと十八銀 経営統合で最終合意
(記事)




「現実には、有価証券の譲渡に関して言えば、発行者による『情報開示』によって当事者の利益を保護できるのは
『市場の投資家と市場の投資家との間の取引』に関してのみである。」、という点について書いた昨日のコメント↓。

2018年11月12日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201811/20181112.html

 

 


【コメント】
昨日債権の譲渡について書いたわけですが、長崎県における銀行の経営統合においても債権の譲渡が論点となっていましたので、
関連する記事を計5本紹介しました。
銀行の貸出金には通常担保が付いていますので、貸出金の譲渡と同時に担保物件も譲渡先の銀行に移転させれば、
譲渡先の銀行で受け入れた貸出金が回収不能になるということはないわけです。
例えば、鹿児島銀行が親和銀行から受け入れた貸出金が将来回収不能になるということは決してないわけです。
しかし、昨日議論しましたように、債権に担保が付いていない場合は債権の弁済可能性が問題になるわけです。
債権に担保が付いていない場合は、債権の弁済の引き当ては債務者の会社財産しかないわけです。
昨日のコメントでは、この点について、次のように書いたわけです。

>「たとえ民法上は債権の譲渡は認められているとしても、証券制度(投資家保護)の観点から言えば、
>債権の譲渡のためには債務者の財務情報開示を義務付けるべきだ。」

上場株式の取引の際、市場の投資家は発行者から開示された情報を基に株式の本源的価値を判断するように、
債権の譲渡の際は、市場の投資家は発行者から開示された情報を基に債権の弁済可能性を判断するようにすればよい、
と私は最初思ったわけです。
基本的には「情報開示」しか投資家保護の手段はないのだろう、とやはり今でも思います。
しかし、昨日記事を紹介して指摘をしましたように、より性悪説に立って投資家保護について考えてみると、
「情報開示」では投資家の利益を保護し切れない場面があることに昨日気付いたわけです。
性悪説に立って考えてみると、現実には発行者が開示する情報以上の情報を「設立時株主」と「商取引時債権者」は有している、
と昨日は書いたわけです。
発行者が開示する情報から判断する限り、債権の弁済可能性は非常に高いのだが、
「設立時株主」や「商取引時債権者」が有している情報から判断すると、債権の弁済可能性は非常に低い、
という場面が実際にあり得るわけです。
その理由は、市場の投資家とは異なり、「設立時株主」は会社と会社の業務執行者を直接的に極めてよく知っていますし、
「商取引時債権者」も会社と会社の業務執行者を間接的によく知っているからです。
債権の弁済可能性についての判断根拠が、「設立時株主」と「商取引時債権者」と市場の投資家との間で全て異なっているわけです。
「この情報格差は現実には解消のしようがない。」(「投資家保護」の限界である)、ということを昨日のコメントで書きました。
担保が付いている債権の譲渡であれば、この情報格差は何ら問題になりません(当事者間にどんなに情報格差があってよい)。
なぜならば、たとえ市場の投資家は債務者のことを何1つ知らなくても、その債権は必ず回収することができるからです。
債権は債務者との関係に依拠しますが、物権は担保物件との関係のみに依拠するからです。
その意味では、「債権の譲渡は、担保が付いている債権についてのみ認める。」という証券制度も考えられると思います。
証券制度としては、担保が付いている債権の譲渡のみを認めるようにすれば、投資家の利益は一切害されないからです。
この証券制度であれば、市場の投資家と「設立時株主」や「商取引時債権者」との間の情報格差そのものは確かに解消されないものの、
市場の投資家の利益が害される(債権が回収不能になる)という自体は確実に回避できるのです。
また、関連する議論になりますが、細かいことを言えば、実は債権という時点で性善説に立っているとも言えるわけです。
代金の決済は後でよいと言っている時点で、相手方を信頼していることが前提だとも言えるわけです。
相手方を信頼することが前提なのに会社制度上「債権者保護」の手段を講じる、というのはある意味矛盾だとも言えると思います。
委任において受任者の債務不履行に関連して委任者を保護することはできない(委任者保護そのものを観念できない)ように、
債権債務関係において債務者の債務不履行に関連して債権者を保護することはできない(債権者保護そのものを観念できない)
(信頼関係という点において委任と債権債務関係は共通するものがある)、という考え方も理論的にはあるように思いました。

 


それから、債権の譲渡に関しては、証券制度と言わず、
民法そのものに「譲渡の際には債権には担保を付けなければならない。」旨の規定を盛り込むべきだと思います。
現行の民法の第四百六十六条に債権の譲渡についての規定がありますので、民法を改正し、
以下のように「さらに、譲り渡す債権には担保を付けなければならない。」の一文を追加するべきだと思います。

第四百六十六条(債権の譲渡性)
債権は、譲り渡すことができる。ただし、その性質がこれを許さないときは、この限りでない。
さらに、譲り渡す債権には担保を付けなければならない。

「商取引時債権者」とそうでない人物との情報格差を鑑みれば(もしくは、債務者と商取引時債権者との関係性に着目すれば)、
性悪説に立てば債務者による「情報開示」では弁済可能性を判断し切れないため、
債権の譲渡先の利益を保護する手段はこの方法しかないように思います。
債権を譲り受ける条件として担保を付けることを債務者に求めた場合、誠意のある債務者であれば、
「もちろんです。この物件を債権の担保として提供します。」と言うことでしょう。
それから、債権の譲渡に関しては債権に担保を付けるという手段が考えられる(それにより投資家の利益は保護される)わけですが、
株式の譲渡に関しては担保を付けるというような手段は有用ではないように思います。
理屈では、当事者間で私的な契約を結ぶことにより、「株式にこのような事態が生じた場合は抵当権を行使できるものとする。」
といった条項を付けることはできる(そのような手段でも投資家の利益は保護されると言えば保護される)わけですが、
株式の譲渡に担保を付けることは少なくとも証券制度としてはそぐわないと言わねばならないと思います。
その理由は、株式市場では、あくまで株式の本源的価値に関して投資家間で競い合うものだからです。
発行者が倒産しなければ(もしくは発行者が倒産しても担保により出資額を回収できさえすれば)投資家の利益は保護される、
というものでは決してないのです。
株式市場における投資家保護の本質は、「株式の本源的価値を算定できること」にあるわけです。
たとえ投資家は担保により出資額を回収できるとしても、それでは投資家の利益は保護されたことになりません。
株式の本源的価値を算定できる時、投資家の利益は保護されるのです。
同じ「投資家保護」でも、債権の場合と株式の場合とではその意味合い・文脈が大きく異なるのです。
債権には価額があります(したがって、投資家にとっては債権が弁済されることが一番重要)が、
株式には価額はない(したがって、投資家にとっては株式の本源的価値を算定できることが一番重要)のです。
株式の価額を算定するのは投資家なのです。
極端に言えば、株式には出資額を回収するという概念はないのです。
たとえ譲渡損が出ても、株式の本源的価値を算定できている限り、投資家の利益は保護されているのです。
逆に、たとえ譲渡益を得られても、株式の本源的価値を算定できていないならば、投資家の利益は保護されていないのです。
少なくともそれが証券制度の前提なのです。
その意味において、株式の譲渡に関しては投資家間で「情報格差」があることは避けなければならない、という結論になるわけです。
しかし、昨日も書きましたように、「設立時株主」と市場の投資家との間の「情報格差」は現実には解消不可能なのです。
性悪説に立って考えると、昨日の議論の様になおさら市場の投資家の利益が害される部分が現実にはあるわけです。
会社の業務執行者のことを極めてよく知っているか「部外者」としてしか知らないかの差は現実には極めて大きいと思います。
証券制度は性善説に立っている部分がある(その「情報格差」を度外視して制度が構築されている)のは確かかと思います。

 



最後に、昨日のコメントに誤植がありましたので訂正をします。

「設立時株主は会社の業務執行者を非常によく知っているが、
市場の投資家と商取引時債権者は会社の業務執行者を相対的には知らない。」

の英訳を昨日は次のように書きました。

>A shareholder at incorporation know an executive of a company very well,
>whereas neither investors in the market nor a creditor at a commercial transaction comparatively doesn't.

上記英文の最後の"doesn't"は"does"の間違いです。
正しくは次の英文になります。

"A shareholder at incorporation know an executive of a company very well,
whereas neither investors in the market nor a creditor at a commercial transaction comparatively does."

 

 


In theory, receivables are issued on the basis of the view of human nature as fundamentally good.
And, in theory, a mandate is also made on the basis of the view of human nature as fundamentally good.
To put it extremely simply, if you stand on the basis of the view of human nature as fundamentally evil,
you should never make a promise about your future from the beginning.

理論的には、債権というのは性善説に立って発行されるのです。
そして、理論的には、委任もまた性善説に立って行われるのです。
極めて簡単に言えば、性悪説に立つのなら始めから将来の約束は決してするべきでない、ということです。

 


In theory, just as a mandator can't complain about a mandatary in time of need,
an obligee can't complain about an obligor in time of need.
The reason for it is that both relationships above are a "fiduciary relation."

理論的には、有事の際委任者は受任者に文句は言えないように、有事の際債権者は債務者に文句は言えないのです。
その理由は、それらの関係はどちらも「信頼関係」だからです。

 


Concerning a transafer of a receivable, interests of an investor are protected as long as it is fully settled,
whareas, concerning a transfer of a share, interests of an investor are not protected
even if he can recover his investment by means of a collateral.
The meaning of the term "investor protection" in a transfer of a receivable is fundamentally different from
that in a transfer of a share.

債権の譲渡に関しては、債権が全額弁済されさえすれば投資家の利益は保護されます。
しかし、株式の譲渡に関しては、たとえ担保により出資額を回収できたとしても投資家の利益は保護されないのです。
債権の譲渡における「投資家保護」という言葉の意味は、
株式の譲渡における「投資家保護」という言葉の意味とは本質的に異なるのです。