2018年10月31日(水)


2018年10月31日(水)日本経済新聞
ポイント 投資の入り口に CCCなど新証券会社 少額から体験 若者呼び込み
(記事)



「常に『取引の相手方』のことを念頭に置いて物事を考えなければならない。」、と書いた昨日のコメント↓。

2018年10月30日(火)
http://citizen.nobody.jp/html/201810/20181030.html

 

 


【コメント】
昨日のコメントに一言だけ追記をします。
昨日のコメントでは、「Tポイント投資」というサービスは理論的には提供できない、と書きました。
「Tポイント投資」では、投資家はTポイントを使って株式を購入できる、という触れ込みであったわけですが、
株式は投資家間で取引をするわけなのですから、株式の売り手には株式の代金を「現金」で支払わなければなりません。
消費者がスーパーやコンビニで「Tポイント」で買い物をすることはありますが、
株式市場で株式売却の代金を「Tポイント」で支払われても、株式の売り手は困るわけです。
「Tポイント投資」というサービスは、「取引の相手方」を完全に無視して発想されたアイデアであるわけです。
また、昨日のコメントでは、株式の買い手・株式の売り手双方の課税関係についても書きました。
たとえ株式の売り手が「Tポイント」での代金支払いを受け入れたとしても、
少なくとも税法上は、株式の買い手は代金を支払っていない(無償取得)という取り扱いになりますし、
株式の売り手は代金を受け取っていない(無償譲渡)という取り扱いになります。
実生活の上では目的物の譲渡についてどのような代償を相手方に支払ってもよい(相手方との合意しさえすれば支払手法は自由)
のですが、会計の世界では相手方に支払う代償は「現金」(法定通貨)のみと考えているわけです。
たとえ目的物の譲渡の代償として「現金」(法定通貨)以外を相手方に支払っても、少なくとも会計の対象外であるわけです。
会計の世界では、「現金」(法定通貨)以外のものは客観的ではない(明確に数値で表現することができない)と考えるわけです。
「現金」(法定通貨)というのは、目的物の価値を計る物差しであるわけです。
会計の世界では、「現金」(法定通貨)以外のもので目的物の価値を正確に計ることはできない、と考えるのです。
実生活を鑑みれば、確かにそれでは代償を受け取った人物が享受できる便益の全てを捕捉したことにはなっていません。
しかし、その便益の価値を客観的ではない形で推論して決めることは、公平性・透明性・納得性の観点から問題が大きいわけです。
「現金」(法定通貨)で表現されていない便益について、
その価値の大きさを人為的に「現金」(法定通貨)で表現しようとするのは、"parable"(たとえ話、比喩)に過ぎないわけです。
「その便益はこのような金額を受け取ったようなものだ。」と。
便益が「現金」(法定通貨)で表現されていないために、代償を受け取った人物が享受できる便益に捕捉ができない部分がある
のは確かですが、少なくとも会計の世界ではその部分は"perquisite"(役得)と考えるほかないわけです。
少なくとも会計の世界では、"parable"(たとえ話、比喩)よりも"perquisite"(役得)がある方がまだ客観的だと考えるわけです。
"parable"(たとえ話、比喩)では、便益の金額が評価者の数だけある(便益の金額が決して一意に決まらない)わけです。
「疑わしきは罰せず。」ではありませんが、少なくとも会計の世界では
「『現金』(法定通貨)で表現されていない事柄については捕捉せず。」という考え方にならざるを得ないのです。
"parable"(たとえ話、比喩)をすることによって、便益に間違った金額を付けるよりはましなのです。
会計の世界では、「『現金』(法定通貨)で表現されていない代償については、代償を受け取った人物の利益に。」なのです。
少なくとも会計の世界では、「現金」(法定通貨)が物事の価値を客観的に計ることができる唯一の物差しなのです。

 

A legal currency is a scale.

法定通貨は物差しなのです。